こんにちは!鈴山ミミーです。
今回から、ますます謎展開な話をしていきたいと思います・・・
おそらく、世に出ているカサンドラ話とは切り口が全然違うと思うのですが、
こういう思想を持って日々たたかっている方ってあまり口外されないタイプの方が多いんじゃないかという思いもあり、
ちょっと違う視点にも触れてみるかという気持ちで読んでいただけたらと思います。
一つ前の投稿を読んで頂いていることを前提に話しますので、まだの方はぜひそちらを先に・・・
ぶっ飛んだ話に入る前に大前提を
カサンドラで苦しんできた、今もたたかっている戦友の方たちに気分を害してもらいたくないのと、ちょっと内容が無茶苦茶だと思うので大前提をお話させてください。
わたし自身、なんかこれおかしいな?と感じる、
この世には仕組みがあるというか、バーチャル空間で生きているような不思議な感覚が1年半ほど前からあります。
それも、目に見えない何かから、それを気付かされているような、不思議なことが身の回りで次々と起きていて、、、
そうしたことについて「これは何が起きているんだろう・・・」と考えながらわたしの人生を振り返ってみた時に、
「いや、なんかこれ絶対おかしいやん」
「確実に設定された意図があるやん」
って気付いたんです。
よくよく分析すると、そこにはとてもわかりやすい流れがあって、
(ちょっと不自然な感じすらする)
まるで自分が用意された川下りレースをどんぶらこと流されているようなんです。
で、「そっちじゃない」ほうになにがなんでもいこうとしたら、転覆させられたり、川から出てきた河童に引き摺り込まれたりする。
そうして川底で死にかけた時に、「なんでや!なんでこんな目に遭うんや!!!でもわたしは!生きる!!!」と息も絶え絶えながらもがき、ちょっと失神しかけるのですがなんとなく河岸に打ち上げられ、
「あれ・・・生きてる・・・」「つらいけどまた行くか・・・」とまた川にボートを出してなんとなくまた川下りをしていたら、なんとそれはあの幻の川だった (夢見たいな人生に変わっている)
みたいなことが(もちろん例えですよ)これまでに人生で2回あって、なんかその前後も変な感じなんです・・・
(今思い返すと、色々なことが奇跡的に繋がっていることに気付きました)
このブログの最初のほうから読んで頂いたらわかるのですが、わたしのカサンドラへの向き合い方、急にあるところから変わっています。
それはなぜかというと、上記のように色々なことを分析していった結果、
これ、わたしが(きっと生まれてくる前に)決めた人生ストーリーに沿って、魂の成長具合に合わせて天がイイ感じに采配してくれてはるんやわ・・・
ってことが結構確信に近く分かったからなんです。
いや、めっちゃ怪しいですよね・・・自分でも何言うとんねんって思います。
カサンドラになるのも理由があってなってる
これが、わたしが発達障害の夫との向き合い方を転換させた気付きです。
「これ、夫を責めてたら一生終わらんわ」と。
気付くべきことに気付いて、それを体現していかない限り続くし、
逆に、そのキーになることが分かったら自然と(どういう形かはわからないけれど)これ解決するんやわ、と。
自分では思いつかないような場所へ天が運んでくれると思うと、しっかり向き合わないわけにはいきません。
ちなみに、ここまで読んでもらった方の中には、
「旦那さんの発達障害がたいしたことないからそんな悠長なことが言っていられるんじゃないの?」
と訝しげに思われる方もいらっしゃるんじゃないかと思うので、
ちょっとここから、わたし自身の備忘とこころの整理を兼ねて、だーーーっとこれまでに我が家で起きた出来事を書き連ねて、
そうしたことを経た結果、今わたしがどういう境地に立っているかというお話で最後締めたいと思います。
出来事の部分は、分かる〜!と共感していただくもヨシ、読んでいて気分が良くないと感じられる方は、盛大にスクロールして最後のまとめまですっ飛ばしてくださいね。
我が家でこれまで起こったこと(一部抜粋)
・結婚式、手作り感のあるちいさなパーティーにしようとなったものの「主役はミミーだから好きにしたらいいよ」と準備にほとんどノータッチだった夫。ドレス選びにも同行することがなかったけどそれはそれでいいと思い当日、じゃーんと見せたところ、「うーん・・・別に・・・変じゃないよ」と言われる。
「え?変かな?」と聞くも、「だから変じゃないって・・・」「何度聞くんだよ。今日は友達と楽しむ日だから何か用があったらメールして」と声を荒げてどこかへ行ってしまい、当日もひとりで準備する。
これがASDの特性のウチソト思考なのでしょうが、この時から急に変わってびっくりしましたね・・・なんかこの人、変かも・・・すでに入籍したけど反故にできるのかな?とか考えてしまい、目から自然と涙がポロポロと止まらなくなって、パーティーは催行不能ギリギリの45分遅れで始まりました・・・
・おそらくこれが同居してからはじめの出来事。半年くらい毎日使っていたお皿が、夫が元カノと陶芸体験で作ったものであると皿洗いしていて気付いたわたし。(裏側に名前が彫ってあった)割ったらいやだから、大切にしまっておいてと渡したんです。(正直、あまりそうしたものを保管していることには嫌悪感とかありません。いい思い出だったのかもしれないし。夫はすぐ捨てると言ってましたがそのあとはどちらでもいいので確認とかしていません)ただ名前が分かっちゃって、SNSでいつも夫とコメントやりとりしあってるあの人やん、と分かってしまったんです。
で、「あなたと友達かもよ?」って、その人と繋がることをAIがやたらと勧めてくるようになってきたんです。「うわーこれ向こうにも表示されてると思ったらいやだなぁ・・・」と思って、「今まで何も思わなかったけど、分かってしまったからちょっといやだなと思ってる」と言うと、夫は「俺はお前を選んだのに気にすることはなにもないだろ!」とお怒りの様子。コメントやりとりしてるのも、めっちゃ流れて来るんです・・・
お前を選んだもなにも、その彼女と何度もヨリを戻すもフラれていたことを知っていたから(元カノは「なにかヘンだ」という勘が鋭かったのでしょう・・・)、余計にもやっとしつつ、「その彼女と切るのがいやだったら、私とのSNSを切ったら見られなくなるけど、そうする?」と聞いたら、「(え・・・・いいの?それでいいの?)」という感じで、わたしと切って、結局元カノと繋がりつづけた夫・・・
数週間経ってから、なにか引っ込みがつかなくなってるのかなとか思い「あのさ、、、SNSのこと、本当にこれでいいと思っている?」と聞くと、「まだ言ってんのかよ!もう終わったこといつまでも言ってんじゃねーよ!しつけーんだよ!!!」とブチ切れられました。
今思えば、アスペルガー受動型ってこういうことなんだなという初めての体験だったのですが、当時は「この人には自分の考えとかあまり無い」という概念まで思考が行き着くことがなく、謎すぎる、気味悪い系の怖さでしたね・・・
・スマホ見ながら運転することをやめるように言うも、よそ見運転で赤信号の交差点に突っ込む事故を起こす
こちらをぜひ:
・事故後、離婚したほうがいいのかと真剣に考えるも、いやだと懇願する夫。「運転時にはアルコールを飲まない」「運転中はオーディオ機器をさわらない」など当たり前なことを含む誓約書にサインしたものの、数週間後に夫の運転で行ったレストランで、わたしがトイレへ行ってる間に一升瓶サイズのビールを注文。夫しか運転できないミッション車で来ていたので、飲むわけないよね、好きなビールだから持ち帰るんだよねと思いながら「このビール何?」と聞くと、「大丈夫、大丈夫!!!」と満面の笑みで手でわたしを制止しながら、「ちゃんと全部飲んで帰るから!」と謎発言をする。
この時もまだ結婚1年目くらいでASDだとかなにも分かっていなかったので、ちょっと言動が薄気味悪いというか、恐怖でした・・・
・これまでに、妊娠してると思うと伝えて、「へーじゃあ堕ろして」と言われる(計3回)
こちらをぜひ:
・複数人でランチで同じものを食べて、夫だけビールを2杯飲み、帰り際にわたしがトイレに行っている間に会計をしていたので帰ってから聞いたところ、全員で均等割りしたとのこと。夫、いつもこれ(わたしと付き合っていた頃から)やっているので、「そういう時は、アルコール分は自分で払ったほうが誰ももやっとしないと思うよ。ケチなわけじゃないのに、人によってはそう思われかねないからもったいないよ」と自宅でやんわり伝えたところ、激怒の上、突き飛ばされる。
この時はまだASDだと分かっておらず、やんわり言えばいいと思っていたのでわたしもショックやらパニックやらな状況でした・・・
・旅行先で、その宿で働いている綺麗なおねえさんと話したくて、夫はひとりでロビーで延々と待ち伏せをして、一緒にここにいないでと放っておかれる。部屋に戻りひとりで寝ようとするも、通りかかったおねえさんをなんとか引き留めて始まった会話が、部屋まで聞こえていて全然寝られない・・・いっそ話に混ぜてもらおうとロビーに向かおうとすると、その気配に気付いた夫はこちらに向かって駆けつけ、両手を広げてわたしを制止しながら「なっ・・・なにしに来たの!!!」と漫画かのように道を塞いできました・・・
ア然としてしまい、「先寝るって言おうと思って・・・」と言うと、「寝て」と言われ、「奥さん放っておいていいの?」「寝るってさ〜」とその後もずっと会話を聞かされ続ける羽目に・・・
夜中・・・2時くらいかな・・・に戻ってきた夫は上機嫌でした。このあたりではもうASDだという気付きもあり、なんとか対策打ちまくっていたカサンドラまっしぐらな時期です。
・あまりの長時間にわたる痛みで失神してしまうほど、という悲劇的な謎の持病(頭痛)をわたしは持っているのですが、夫と結婚してから2度目の発症時、「もう勘弁して、俺寝るから・・・」とリビングに追いやられ、そこからしばらくしたある朝、リビングのソファで失神後に目が覚めたところ、これから友人とキャンプに行く夫が顔を覗き込んで、「お前は頭痛くなってろよ^^」とニヤつきながら出て行った・・・
もはや悲しみとかいう感情もなく、心を無にしてました。
・録画していた映画を楽しみに観ていたら、夫が見ることもないバラエティ番組を録画しすぎて、最後1時間が録画されていなかったんです・・・がっかりとモヤモヤを抱えつつも怒らず、「こういうことがあったんだけど、来週も録画したいから、見ないやつ消してもらってもいい?」とお願いすると、「なんで・・・?」と。「いや、録画できなくなってるから」「録画して観たい映画があるの」と言うと、「別にいいじゃん、録画できなくて何が問題なの・・・?」って不思議そうな顔をして言ってきました。
これは最近のことなのですが、意地になって言ってきているのか、共感力もここまで無いとなるともはや清々しいとすら思えてしまいました・・・ちなみにわたしの不在中に、夫が食べた魚の缶詰の汁がキッチンとリビングまで飛び散って臭っていた時に「飛ぶのはしょうがないかもしれないから、その後に拭いてね」と言った時も「なんで・・・?俺は気にならないからこれからも拭かない。それはお前の基準でしかない」と返ってきました・・・
・暴言を吐いても、こちらが同じトーンで返すことはもはやなく、諭したりすることもやめて、言われっぱなしで放置するようにしていたら、どうやら「こう言えばこいつは黙る」「効果的!」と誤った学習をしてしまったようで、最近は「うるせえ、黙れよ」「てめえでやれや」「俺の家から出て行け」を常用するようになってしまった。
こういう言動をして自分の中にいやな気持ちが残らない人(おそらく脳の報酬系があまり活発じゃないので、こうした強気な暴言を吐いてスカッとしたいという衝動的なものでしかなく、もはや言ったことすら本人は秒で忘れる)と一緒にいるのはやっぱり無理だな、と、知るべきことを見せられているようなきもちになっています。
結果として気付いたこと
あの・・・カサンドラの方ならわかると思うのですが、こういうことって毎日なんですよね。
こういうことがある代わりに、同じくらい心惹きつけられることがある、とかいうことは全くないんですよね・・・
これまでの10年でこれだけ、ではなくて、まじでこういうことが毎日ある。
なので、あまり書くとわたしも要らん感情が湧いてきそうなので、ここらへんでやめて、まとめます。すみません。
1. 夫からの影響でとてもポジティブなこともあった
夫と一緒にいるより前のわたしには無かった、
おそらく今世で得たいと決めてきた、みたいなものを与えてもらってきたということ。
例えば「お金は使っていいんだ」という自分への許可。
わたしは節制や管理が得意な真面目な性格ゆえ、お金がいくらあってもなんだか不安になり、どれだけあっても貯金してきた。
今思えば、年に一回は海外に絶対行く!とか、やたらめったら色んな資格に手を出してお金を使ってしまったり、そうやって経験のためにお金を使うことはなんらかの糧になると思って出費してきました。
でも、高価な外食をする!とか、ブランド物を買う!みたいなことって、あまり興味を持てないというか、興味を持たないようにしてきた気がします。
それが、夫と一緒になってからは「俺は時々、贅沢がしたい!」「俺が働いて、お金はあるんだから!」とたまにお金を使うようになり、なんだかお金を使うことへの罪悪感のようなものがなくなった気がします。(ちなみにわたしは基本的に全然使いません)
あと、興味を持たないように自分のきもちに蓋をしてきたけれど、実際に経験をしてみることで、「やっぱりこれではわたしは本当の幸せは感じないんだな」という確認もできた気がします。未練がなくなるというか。
これはきっと、夫と一緒にならない限り経験できなかったかも、と思っています。
あと、「なんでもオッケー」という姿勢。
アスペルガー受動型の特性な部分も大いにあるかもしれませんが、、、夫から禁止されるということが本当にない。
たとえばですが、体調が悪くて食欲がないけど、どうしても今日はお酒が飲みたい・・・!という状況でも、
普通なら「えー何言ってんの!消化にいいもの食べて早く寝なよ」とか言いそうなものを、
「飲みたい時は飲んだらいいよ〜付き合うよ」
っていう感じなんですよね。
正直、過干渉気味な親の元で育ったこともあり、ものすごい自由でいられる、なにをしても責められないんだ、という感覚を持てるようになった気がします。
2. わたしに慢心があるということ
夫が自分の言動についてなにも覚えていなくて、やたらとわたしのせいにしてくるので時々確認のために「あなたがこう言ったからわたしはこうしているんですよ、こう言われたからこれはこうしているんですよ」という文面をLINEしたり、
「わたしはこういう場面でいつもこういう気持ちだから、急にキレるのではなくて、次からはこういう風にしてもらえるとうれしいよ」とかいうことをやんわり伝えるのですが、先日夫から、
「ミミーがいうことをすべて正しいものとして俺はこの先も矯正され続けるのは堪えられない」って返ってきたんです。
矯正・・・・・
なんだかこのワードはショッキングでした。
そうだよねぇ、、、夫にとっては、なんでもアリなんだもの。
暴言も、嫌味を言いたいだけ言うのも、それでいて数分後にはバラエティを見て大笑いをしているのも、もうそんな発言をしたことすら翌日には記憶からなくなってしまうことも。
でも、夫にとってはそう感じるんだと思ったら、そうなんだなと。
なんかわたし、結局は「こうなることが夫にとっていいに決まっている!」「夫は困っているはず、少なくとも職場の人とかは夫のことで困っているはずだし、これを解決できるのは自分だけ!」「最大限の配慮と、最高な対策!」みたいに勘違いしてきたんだろうなと。
自分がやるべきことで成果を出せていない分まで、なんかこの人から「精神的報酬」みたいなものを得ようとしているのかもしれない、、、
「わたしは、わたしがやるべきことに没頭するべきなんだわ」
そんな直感が降りてきました。
3. 完璧な試練を与えてくれている
考えてみれば色々あるので、例えば、なんですけど、、、
わたしは親との関係があまり良くなくて(理由は分からないのですが、母はどうしてもわたしを許せない気持ちがあるみたいで定期的にメンタルが崩壊して連絡がきます・・・)、正直、できるだけ会わない方がいいと思っているのですが、
それゆえ、子供を持つということに対しても、なぜだか真っ先に「親に見せに行くことを考えたら気が重い」と思ってしまうんです・・・
あと、自分が親に対して小さい頃から抱いてきた不信感とか安心できなさみたいなものを、自分も子供に持たれるんじゃないかと思うと、なんのために子供を持つんだろう?と思ってしまったり。
重ねて、夫には、妊娠したんじゃないかと伝えたら、前述のように言われてしまう。
義妹からは(夫の家族は全員発達障害の特性があります・・・)、「(うちの子の)イトコまだですか〜?」とか連絡が来る。
「どいつもこいつも〜!!!泣」と思っていた時期もあったんですが、続けば続くほど、
ん? なんかこれ、おかしくないか?・・・と。
これ、子供を持てない自分に執着するのではなく、そう言う風になってしまった環境を責めるのではなく、
身軽だからこそ達成できる、この人生でやるべきことがあるフラグなんじゃない?
・・・と。
そんな直感が降りてきたんです。
そしたらなんか、こうしたことも起こるべくして起きているんだなぁと・・・
母が苦しんでいるのも、わたしにやれることは全てやったから後は彼女が自分の人生を楽しめることを信頼して、適切な距離をとって委ねるしかない、とか、
夫も義妹も、マジで悪気なく言ってるし、それによってわたしが気分を害したとしても「こういう人間がこの世にはいる」とここまで知れたら今後の対人関係で病むことはずっと減るだろうし(もはや「他人の言ってること」で片付けられる)、彼らに困ることがあっても無くても、わたしがどうこうできることではないと思ってそこに思いを馳せることはやめよう、とか、
抱えてきた、いやな気持ちが成仏していくんです。
(この場合、本当に子供を持ちたいというきもちがあるのであれば、こうしてきもちを片付けることはできないと思います。わたしの場合、本当は持たなくていいと自分自身は思っているのに、持っていないという現実について、こうして周りの人の言動のせいで自分は苦しんでいるとすこし転嫁しているような気がしてきているんです)
そして同時に、今やっていることには打ち込めている・・・
ここまでのやりたいことに出会えて没頭できているのは夫のおかげで・・・
まだ成功と思えるだけの成功はしていないけれど・・・なんかこれより上のステージにいくにはメンタルも伴わないと無理な気がする・・・
ん?あれ?・・・なんか全部が完璧に与えられているんじゃない?
なんかこれ、ここでこうしたトラブル(とわたしが思っていること)とどう向き合うべきか、試されてるんやない?
これまでの人生の淀みまくってた時期も、そういうことやったんか・・・?!
となったんです。
あと、わたしそれなりに人を見る目はあるというか、めちゃくちゃガードも硬いタイプなのですが、なのになぜ夫と付き合い結婚してしまったのかと自分を呪うことも100万回くらいしてきたのですが、
たぶん、夫である必要があったんだと思います。これもまた完璧だった。
夫の「外ではすごい評判良くていい人なんだけど、実際は筋金入りの発達障害」という変化球も、めちゃくちゃ絶妙だったんだなと、なんだか天の采配に感動するやら感心するやら・・・と思ったりもします。
あいつが悪い、こいつのせいで自分は嫌な気持ちにさせられている、というのではなく、
あの人もこの人も、自分の思うままに表現していて、ありのままの自分で愛されたいと思っている。もちろん、わたし自身も。
だから、責めたり、否定したり、そうした負の感情で反応するのではなく、
「あなたはこう思うんだね、そうなんだね」「なるほどね」
と全肯定する。
その上で、「わたしはこう思うから、こうするよ。」と行動する。
「全肯定はしつつ、同調はしない」といった感じで。
そこには上も下もなく、ただ「違いがある」というだけで、それを認めて、それぞれがいいと思うようにやったらいい。
(決して意固地になって頑固な行動をとったりせず、自分の言動がかならず自分のこころを軽くする心地よいことしかしない)
それができるか。
どれだけ人を認め、許せるか。
同時に、自分がやるべきことに突き進められるか。
なんかその要素がめちゃくちゃ上手い具合に現実世界に織り込まれているようにしか思えないんですよね・・・
まとめ
なんだかダラダラと長くなってしまってすみません・・・
読みづらかったかもしれませんが、どなたかの参考になる部分があればとてもうれしいです。
あと、わたしと同じように、「魂を磨く」「徳を積む」みたいなことのためにこの世に生まれてきたんじゃないか・・・と感じて来られた方には、ぜひこちらの本を読んでいただきたいんです。
いや、これは噓くさい・・・と思われるかと思いますが、
科学的に測定できる形で "徳" は備わっていて、個々人の "徳" のレベルによって展開する現実のステージが変わってくる
といったことが書かれています・・・
わたしはこれを読んだ時に、「あれ・・・自分の生き方間違ってなかったんや・・・」と衝撃を受けました。
確からしさが証明できるわけではないけど、これは本当だなと思えた。
弱小ブログゆえ、この本の紹介リンクが働いているか分からないので、読んでみようと思っていただけた方、ぜひこちらのリンクからのぞいて買って見てくださいね。(ド直球なお願い)
よければ、ぜひ instagram @suzuyama.mimi のフォローと適当にイイネ!もお願いします。読んでもらっている方がいるのかな、という実感が出てきたらまた続きをいろいろと更新しようと思います。
皆さま、カサンドラの将来は、きっとめちゃんこ明るいです。
なぜなら、ここまでの試練を与えられるのは、期待されまくっているから・・・!
もうそうとしか思えないわたしがいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!