こんにちは!鈴山ミミーです。
ここまで、次々と謎ばなしを展開させてきましたが、
思い返してみると、一連の不思議なことが起き始めた、
まさに最初の "トリガー" に心当たりがあるんです。
(心当たり、というか「なにがきっかけだったんだろう」と考えようとすると、ふと鮮明に思い出される光景があります)
「それを早く話さんかい」
って感じですよね。
えぇ、分かります。前置きが長くてすみません。
今回もがんばって書きます!
やれるだけのことを徹底してやった
さかのぼると、これは幼い頃からなのですが、、、
ひとつ前の投稿でも「わたしの人生哲学」と書いたように、
どれだけ辛い、とか、理不尽だ、とかいう境遇にあっても、
今の自分にとってこれ以上ない「超ウルトラCの言動」って何だろう?
ということを、いつも考えるようにしてきたんです。
たとえば。
親から、あまりに理不尽なことを言われたとします。
「弟や妹はかわいいからお金沢山あげるけど、あんたはこれだけで何とかしなさい!」とか、
「あんたを生んだから、わたしは不幸になったのよ!」とか。
ええぇぇぇ・・・ってなりますよね。
わたし、なにかやったかなぁ・・・
それはないんじゃない・・・って、やり場のない気持ちが起きます。
人って、「親を嫌いになりたくない」「大好きな存在であってほしい」みたいな本能があるので、親をきらいになりそう、悪く思ってしまう自分のほうに罪悪感を持ったりします。
そうした心理状態で、365日、10年も20年も 手を変え 品を変え、アタックし続けられると、ふつーに病みます。
(これを読まれている方の中にも少なからずそういう方がいらっしゃるかもしれません。実際、こうした自分の内面を隠して、気丈に暮らしている方にこれまでにたくさんお会いしてきました。)
( ※ 親子の関係については代々、連綿と続いていることなので、親自体も同じような経験や場合によってはもっと大変な体験をしてきていることも多く、とても難しいテーマだなと。。。またそんなことも別の回で書きたいと思います。)
そうした時に、です。
「ふざけんな!グレてやる!」って荒れることもできます。
「ひどい・・・わたしってそういう存在なんだ・・・」と塞ぎ込むこともできます。
わたしも小学生の頃までは、絶対にこれが正しいと思うことをやっているのにもかかわらず、おとなの機嫌ひとつで振り回されることに「一体どうすれば・・・」とよく分からなくなっていたのですが、
当時12, 3才だったわたしがある日、心に決めた第三の選択が、
「ここで人生台無しにしてたまるものか」
だったんです。
で、どうしたか。
誰から見ても、裏表なく、ツッコミようのない人間でいたらいい。
理不尽なことを言ってもらってもいいし、そんなことを続けていたら結局、そんなことをしている本人が自爆してしまうだけ。
わたしにできることは、わたしの人生のために、在りたい自分を追求していくだけ。
これ「相手を恨む」とか「ブラックエンジンを全搭載する」とか、
そういう意味じゃないんです。
その「ひたすら理不尽なことをしてくる相手」に対しても、他の人に対してと変わらず、こちらからは「超ウルトラCの言動」で付き合っていくんです。
どうやったら、これ以上なく喜ぶかなぁ、とか。
こんなユーモアで切り返したら場が和むよね、むしろ笑って楽しくなっちゃうんじゃない?とか。
それでもひどい罵声を浴びせてきたり、嫌なことをしてきたら、
それでもまた「次回はこう対応しよう」と、
今の自分が考えられる限りの「超ウルトラC」を考えて、次に備えるんです。
以前にも書いたと思うのですが、夫に「たぶん妊娠してると思う」と伝えて、
「本当なら堕ろしてほしい・・・」とこれまでに3回言われた時にも、
3回目の時には前の2回のことは(その時に話し合ったことについてももちろん)記憶喪失のように全く覚えていないし、
「こんな大切なことを強制されるなんて自由がない!おかしい!!」
「結婚する前なんて 結婚できればいいと思ってんだから、俺も子供ほしい〜とでもなんとでも言うだろ!(ハッハッハ)」
と、夫の人格崩壊している様子にあまりに絶望して、数ヶ月間 会話ができなくなってしまったのですが、
その時は「これ、どうするのがいいんや・・・・・」と思案して、結局は、
「このお願い聞いてくれたら、一旦リセットしようと思う」
「好きって100回言って!」
と言って、水に流しました。
(注:わたしは好きと言ってほしいタイプの人間ではありません)
これらのケースを含め、自分がウルトラCだと思ってしてきた言動が、果たして正解だったのかどうか?は、正直分かりません。
でも、「その時の自分」にとっては、
そこに一切の損得の計算をはさまず、
「自分も、相手も、どちらにとっても喜ばしい結果を生むベストな言動」
「これ以上のことできなかったよね、と思えるベストオブベスト」
だったんです。
自分の人生、ぜーーーんぶ監視カメラで撮られて、見られていてもいい。
むしろ、神様的ななにかよ、ぜんぶ見てくれているよね?
そう思って生きてきました。
「被害者意識」というのはあまりなく、どちらかというと、
自分の言動について誰かに何か言われたとしても、一切言い訳などしなくてもいい「100%負い目のない自分を生きよう」「相手もいい気分になれて、わたしにとってもまたひとつベストな対応力が身につく」と思ってきたのですが、
この日々の対応が、もしかしたらスピリチュアル業界で言われている、宇宙で最大の力であるという「愛」に近かったのかもしれない、、、と後になって思いました。
(ちなみにアインシュタインも、「科学がまだ証明できていない、強力で宇宙的な力」として、"愛" について娘さんに手紙を遺しています)
いやいや、愛とか・・・ご冗談・・・!
って、わたしも思ってきたんです。
一番、そう思うタイプの人間なんです。
スピリチュアルっぽいことを言われると、
「そういうのは人生がんばれない人間が言う綺麗ごとでしょ」
「よくわかんないものにまで依存してしまっとるやん・・・」
と、光の速さで 心のドアを閉じてきたんです、わたし。
でも、一体自分に起きてることは何なんや・・・と思って調べるうちに出会ったこの本を読んで「おやおや・・・」となり始めました。
ざっくり言うと、科学的な実験を通して、人に備わっているいわゆる「徳」のようなものを測定することができる、というのです。
そしてそれが、「どれだけ理想的な人生を送れるか」に関係していると。
神なのか、宇宙なのか、著者の人にもわかっていないと思うんですが、そのなにかはわたしたちのことを全部お見通しだから、人として「内面の成長を意識して生きる」ことってバカにできないんですよ(というかそれが一番大切)っていう内容です。
がんばっているのに報われない・・・という方にはぜひ読んでいただきたい。
「がんばり方をまちがえている」ことが発見できるかもしれません。
夫はうまくいっているのはなぜ
そんなわたしですが、なんか、人生つらたんなわけです。
特にこの結婚生活。どうしたらいいのかがまじで分からない・・・
(終わらせる出口すら見つけられない状況)
こんなに、がんばってるのに。
わたし、ずっとがんばってきたよね。
強く、やさしく、時にユーモアを交えながら、
これ以上ないと思うくらいやってきたと思うんだけど・・・
一体、なんなんですか?
わたしが間違っているんだったら、教えてください!
その通りにしますから!!!
もう本当につらくて つらくて、分からなくて、そう心の中で叫んだんです。
そうしたら、
「ちょっと待てよ・・・家の内と外で人格を使い分けて、あんな傍若無人な態度で開き直っている夫は、人生うまくいってるんだよね・・・」
「もしかして・・・え? わたしが間違えているの?」
って急に、なにかとんでもないことを知らされた感じがしたんです。
自分の正しさを疑いはじめた
その日から、日頃の自分の言動や、正しいと思っている信念をチェックしはじめました。
わたしと、夫のちがいってなんだろう・・・
夫のどういう部分が、人生がうまくいくことに繋がっているんだろう・・・
そうして、「夫はめちゃくちゃだ」と思っていたところから、
「夫からわたしのことを注意したり責めてくることってないんよな・・・」とか、
「夫は何度でもおなじトラブルを繰り返してるけど、毎回完全に身を任せてるよなぁ・・・」とか、
「夫がお金の管理できないことにストレス感じてきたけど、稼いではいるし、ある意味執着がないんだよね・・・」とか、
これまであまり着目してこなかったところに目を向けるようになっていったんです。
わたし、自分の正しさばかりを主張して、なにか大切なことに気付いていないんだわ。
そう思いはじめたことが、おそらくわたしにとっての大きなターニングポイントであり、その後から、一連の「不思議なこと」が起き始めました。
まとめ
ここまで読んで、
「正しさ・・・正義感をふりかざす・・・」
とギクリとされた方、いらっしゃるでしょうか?
わたしは正直、
「もっと早く気付きたかった!」という思いと、
「それでも、これが自分にとってのベストタイミングだったんだろうな・・・」という思いとで、
ここに至るまでのすべてが必要な道であり、学びだったんだと思っています。
これまでだって、自分の正義感に酔わないように注意は払ってきた。
けど、なにか「やるだけのことはやった」から、時が満ちて、この時に本当に心の底から、そのことに気づくよう促されたんじゃないかな、という体感があります。
また、以前、量子力学についての考察記事にも書きましたが、
この世界はきっと、自分の意識や思考といったものが現実を形作る重要なカギになっていて、
自分の中にあるいろいろな思い込みや信念を洗い出したり、
関連書籍を読んでみて 自分の人生と照らし合わせていくと、
「え?!これってダメなの?!(それならそうと早く言ってよ〜!!)」
ということが少なくなくて、今も日々、生活の中で見直しては改善しています。
(そして、そういうことをひとつひとつやっていくうちに、それを反映するかのように、生活の中で「おやおや・・・」という変化が起きています。一見悪く思えることも、良いことが起きる前フリになっていることが多く、ますます不思議だなぁと思いながら実験しています。)
そうした具体事例についても、また書いていけたらと思っています・・・!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
つづきが読みたい!早よ書かんかい!
というエールをいただけると一層がんばれます。
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