【考察】本来、誰にでも起きる
こんにちは!鈴山ミミーです。
よく分からない不思議体験談ばっかり書きまくってきましたが、実際に生活に取り入れられる、参考になるようなお話をこれから多めにお届けしたいと思っています・・・!
今回は、並木さんの動画を見ていて、ある時、謎に記憶の蓋がパカッと空いてしまったことや
参考:
「なぜだか分かってしまう」系の直感が急に増えたことについて、
参考:
「なぜこんなことが起きたんだろう・・・」
と考えた時に、思い当たることについて書きたいと思います。
以前は、エンジンべた踏みで「自分の人生、この舟の舵はじぶんで切るんだぜ!」とパワー系で生きていましたが、
人生がどうにもこうにも立ちゆかなくなる中で 不思議なことが起きはじめ、
「これもなにか意味があってこうなってるんだな・・・」
「わたしの一個人のちからでどうこうしようなんて考えず、宇宙の采配にお任せしよう・・・そのためにサインを受け取れるように心身を整えて行動していこう・・・」
と、
どちらかというと、
「尽くしますから、わたしをお使いください」
みたいな全面降伏モードになっているのですが、
その結果、なんだか不思議な方向に自分の人生が運ばれていっています・・・(たぶん)
もしかしたら同じような境遇の方もいるかもしれない、どなたかのお役に立てるのではと思い、今回はシェアさせていただきます。
そもそも論として
わたしが直感やメッセージ的なものを受け取ったりしている対象が何なのか、
身の回りで不思議なことを起こしているものが一体何なのかは、
正直わかっていません。(とても正直)
それを「宇宙」と呼ぶ人もいれば、「潜在意識」と呼ぶ人もいれば、「ハイヤーセルフ」とか「守護霊」と呼ぶ人もいるんだと思うけど、
そのそれぞれが別のものなのか、同じものをちがう呼び方をしているのか、もあまり分かっていなくて、
でも究極、元はすべて同じものから出来ているので、情報伝達がうまく機能しているならば細かいことはこだわらなくていいのかな、と今は思っています。
スーパーサイキックな人に、いつか聞いてみたい・・・!
本当はみんな宇宙とつながってる
同じような体験をしたことがある方の体験談をはじめ、色々本を読んだりするうちに「絶対そうだわ」と思っていることなんですが、
今、わたしが体感して生きているこの感覚が特別なことなのではなくて、本来、(その対象を "宇宙" と呼ぶのならば)
もれなく全員が宇宙とつながっているんだと思います。
シンプルに、多くの人が
「自分でつながらないようにして生きている」
んじゃないかと。。。
生まれてからずっと、24時間365日、今この瞬間だって がっつりパイプは繋がっているのに、わざわざそこに鉄ドアを設けて遮断している、的な。
だから、つながるために何かする、のではなくて、「自分でつながらなくしていること」をやめたらいいのでは、という前提で話を進めます。
考え方を見直す
量子力学の回で書きましたが、
わたしが小さい頃からこの世界を観察している感覚や、科学的な実験をみても
この世界はきっと、自分の思考を元に形作られています。
自分が日頃から エネルギーレベルで無意識でバンバン発信していること、
「物事をどのように捉えて思考するのか」
ということがすっごく肝になっている。(!)
つまり、自分の中にある思い、つまり自分の発する思考のエネルギーで、
鉄ドアを作ることだってできるんです。
そうした、心地いい現実を作るには 無いほうがいい思考や観念って、
もちろんわたしの中にも、みなさんの中にも、たくさんあると思うのですが、
その中でも多くの方の中に見受けられるとわたしが感じるものについて、
今回は2つ挙げたいと思います。
何事も善悪で考えない
究極、この世界に善悪ってなくて、「それがそうであっていいから、その状態で存在している」。
ところが、みんな自分の持っている価値観なんかをそこに乗っけて、「あれは良い」「これはキライ」と日々、評価しています。
たとえば・・・
「京都の人力車」と「サハラ砂漠のラクダ」、
どっちが良くて、どっちが悪いですか?
って聞かれても「えっ・・・・」てなりませんか?
「その2つを比べるの?」「どういう観点で?」と。
きっと「どちらにも、それぞれの良さがある」が答えですよね。
自分がどんなに人力車に憧れて、人力車を押す車夫さんをしていたとしても、
サハラ砂漠でラクダを引いている商人に「人力車こそが正義!」「お前も人力車を使うべきだ!」とは言わないですよね。
また、「鳥取砂丘で荷物を運ぶビジネス」の話が来たならば、「よし、人力車の出番!」ではなく、「砂の上を移動できて、荷物を運べる手段」という点から「ラクダを取り入れる」という選択肢も考えてみるんじゃないかなと思います。
みんな自分の良さがあるから、そのように存在している。
その時々で「自分がどうなっていきたいか」の参考にして「自分を変える」ことはできるけど、
相手を下に見たり、悪いと評価したり、なんなら「相手を変えよう」とするのはちがう。
この考え方、簡単なようで、実際に生活の中で徹底しようと思ったらめちゃくちゃむずかしくて・・・
近しい関係の相手に対しては、
あいつが悪い!
こいつも悪い!
(そしてわたしは気分を害している!)
と、私たちはいとも簡単にジャッジしまくります。
でも、こうしたものの考え方を通して、自分の思考を見ていく(点検する)ことってとても大切で。。。
以前、知人と一緒にいた時に、知人がすれ違った人のことを「うわーあの人の服だっさ」と言ったことがあったんですけど、
それを聞いて
「この人、自分が着ているものにすごいこだわりがあるんだな」
「なにかしらのコンプレックスをファッションでカバーしているんだな」
って思ったんです。
「自分のファッションのほうがあの人よりも上である」と思いたい、なんらかの理由がそこにはあると。
こうした、自分の心の奥深いところに潜んでいる "自信のなさ" や "コンプレックス" は、無自覚にそれらもエネルギーを発します。
おしゃれなもの、高価なもので着飾って それらの思いを封じ込められていると思っていても、
「わたしって本当にダメな人間・・・」
「俺なんて・・・どうせ俺なんて・・・」
という思いが、鉄ドアを作ってしまうんです。
もっと言うと、パイプを通して伝えられる声は、それが声なのか分からないほどのかすかなささやきなので、自分の内なる封じ込めた声のほうがずっと大きくて、向こうから声がきていることにさえ気付けません。
(※ それでも、パイプの向こうからはずっと声がけをし続けてくれています)
なので、こうしてなんらかの善悪の判断(ジャッジ)をしてしまっている自分に気づいた時は、大きなチャーンス!です。
「今、わたしあの人のことやばい奴だと思ってるわ・・・」
「なんで自分はあの人を下に見たいと思っているんだろう・・・?」
と、自分の内なるものを掘り下げることで、自分の中にある「見ないようにしているコンプレックス・過去のトラウマ」などが見つかることが多く、それと向き合うことが、人生が大きく好転する機会になります。
大切なのは、ジャッジしている自分に気付いた時に「本当はださいと思っているけど、ジャッジはよくないから、いいと思うことにしよう!」などと、小手先で無理やり、本心では思ってないことを思い込もうとしないことです。
ジャッジしてしまって、いいんです!
それは、あなたの中に封じ込めた 内なるなにかが、
「おーーい、ここにいるよ〜 見つけてくれ〜」
と叫んでいる証拠。
「いやな気持ちにでもしないと、気付いてくれないでしょ〜」
「はーい、ここにいま〜す!」
と。
そう、最高のチャンスなんです。
また、善悪の判断をしないというのは、他人に無関心でいろということでもありません。
特に自分の中になにもなければ、自分の意見は持ちながら、良いとか悪いとか思わずに捉えることもできます。
同じ人を見ても
「ピンクがすごく似合うだろうし、こういう服を着せたら あの人、大変身するだろうなぁ」
と思うかもしれないし、
「わたしならあの服は買わないけど、どこかにあの服を作ろうとした人がいて、こうして買う人がいて、世の中ってそうやってうまく回ってるんだなぁ」
と思うかもしれません。
感情ベースで選択する
「本当はなにがやりたいのか?」
自分の本心に蓋をして、「ああするべき、こうするべき」という社会通念に長年合わせてきたことで、こうした簡単な問いに答えられないひとがあまりに多い、と感じています。
目をキラキラさせて夢を語るひとなんてほとんどいなくて、大多数からは「どうせ」「今更」と、過去に対する恨み節なんかが返ってくるでしょう。
壮大な夢を持て!というんじゃないんです。
いきなりそんなことをするのは、正直むずかしすぎる。
この世界はすべてが素粒子で、あなたから発せられるエネルギーによって今見ている世界を構成している。
あなたは、あなたが思っている通りに、あなたの世界を形作っています。
「こんな人生、望んでない!」と言う人は、心の奥底で「本心からの望みなんて自分には叶いっこない」と思っている。
「どうせ無理」「これくらいが自分には丁度いい」と思っていると、ちゃんとその通りの現実を生きているはずです。
居酒屋に着いて「とりあえずビールでいいよね?」と聞かれた時に、1秒で首を縦に振るのをやめて「本当に今、自分が口にしたいのは何だろう・・・?」とちゃんと考えてみる。
ランチに行って「コーヒーにしますか?紅茶にしますか?」と聞かれた時に、「今、飲んでしあわせだな〜と思うのはどっちだろう・・・」とリアルにその味をイメージしてから答える。
そんな小さなことから、自分は何を選択したいのか、何を選択したら自分を心地良くしてあげられるのか、をひとつひとつ考えて行動していく。
質問です。
「壮大な人生実験をします。Aグループのひとはこれから3年間、絶対的に自分が心地いいと思うほうを選択してください。Bグループのひとはこれから3年間、不快であろうが社会的に正しいと思うほうを選択してください」
って今、急に言われたら、どちらのグループに入りますか?
このブログにたどり着いてここまで読まれている方は、もれなく Aグループ を希望するのではないでしょうか?
どうやって生きることが自分を幸せにするか、って、みんな本当は、本能的に分かっているんだと思います。
自分を幸せにする小さな選択を重ねていくことで、そのうち自分で判断をするには大きすぎると感じる選択をする時がきても、なぜだか瞬時に「こっちだな」と分かるようになっていたりします。
食を見直す
これはどこまで本当なのかわたしも分かっていないのですが、脳には松果体と呼ばれる内分泌器があり、そこが直感のはたらきと関係がある・・・と言われています。
しかしこの松果体、現代人のほとんどが石灰化してしまっている。
原因としては、食べ物に含まれる添加物や、ハミガキ粉に含まれるフッ素などが挙げられています。
これを知った時に、
「 添加物、か・・・ 」
とふと心当たったのが、下記のこと。
(これはカサンドラ情報としてどこかのタイミングでシェアしようと思いつつここまできてしまった話なので、本来の「治療・回復目的」として参考にされる方に向けても、併せてご紹介しますね。)
結論から言うと、
食に興味がない方であれば特に、まずは 添加物を摂らない ことをおすすめします。
GAPS との出会い
以前、知り合いから頼まれて、ある勉強会のお手伝いに行ったんです。
そこでテキストとして使用されていた本が、こちら。
[ GAPS 腸と心の症候群 ]
自閉症 や ADHD、うつ病、統合失調症と呼ばれる精神障害や脳の特性について、食事の改善で治りますよ、ということが紹介されている本で、
著者のナターシャ・キャンベル マクブライド医学博士は、実際に息子さんの自閉症を克服した後、多くの患者さんも回復させています。
わたし、食には興味があってちょっとした資格も取ったりしていたのですが、そこまでストイックに実践しているかというとそういうことはなくて・・・
しかも、こういう健康のための食事ってやっぱりおいしくなさそう。
そう思っていたのですが、その勉強会でいただいた料理が、
信じられないくらい美味しかったんです。
美味しいというより、もはや「身体がよろこんでる・・・」という感じ。
腸脳相関といって、腸と脳は密接に関わっているから、脳の正常なはたらきのためには、腸を整えることがすごく大切。
現代の荒れた食生活で、ほとんどの人は腸が超不健康であると。
当時、便通がよくなるために毎朝牛乳を飲んでいたのですが、そのことについて「それは便通がいいんじゃなくて、ただお腹をくだしているだけですよ」と言われて、えーーー!とびっくりしたのを覚えています。
勉強会では、あくまでも「本によるとこういう研究がされていて、実際にやってみたところこういう感じだから、もしやってみようと思う人がいたら、自分の身体に聞きながらぜひご自身でやってみてくださいね。」というスタンスだったので、ちょっとやってみようかなと、実践しはじめました。
ただ、はじめるにあたって、あれはいい、これは食べないほうがいい、というのはその人の腸の状態によっても変わってくるみたいで、
ならば とりあえず肝だけ押さえておこうと思ったところ、
添加物はいつ何時も カラダに入れていいことがない
というのが分かりやすかったので、そこはすぐに実行するようにしたんです。
(この時には、アスペルガー症候群やADHD、発達障害といったことは一切知らなかったので、この勉強会との縁もなにかの布石だったんだな・・・と、後になって思いました)
実際に取り入れはじめたところ、身体がどうこうというよりも、すごく頭がスッキリしていたり、メンタルが安定している日が増えている実感がありました。
夫にも薦めたけれど、食にはこだわらない、好きなものが食べたい、制限されるだなんて不自由すぎる、と言われてまで人に強制することじゃないなと思い、
結局、今に至るまで8〜9年間ほど、自分に合う食生活を見直しながらひとりで続けているんです。(すべてルール通りにやるわけではなく、あくまでも自分に合う形を日々模索しながらやっています)
そして、たぶんこれまでの人生で今が一番、腸の状態がいい気がしていて・・・体調は毎日いいし、風邪も何年もひいていない。
(以前は、お通じは3〜4日に一回くらいだったし、体調が良いと言える日は、年に数日あるかな・・・くらいでした)
何より、死ぬほどひどかった生理痛が、嘘みたいになくなった。。。。
中年真っ盛りですが、健康診断の結果を見ても、これまでの人生で今が一番いいです。(オールAで、腹囲もなぜか年々細くなっています)
ストイックにしようと思うとハードルが高いので、なにか少しだけでも、見直して取り入れてみる。それで体感として「あれ?なんだかいい感じだな」と実感できるようになると、他にもこうしてみよう、という気に自然になると思います。
参考までに、わたしが今やっていることは、
・小麦粉(パスタ、うどん、パン)は極力食べない(外食時のみ)
・市販のお菓子、加工食品 は食べない
・市販のお菓子 → レーズン・ナッツなどに置き換え
・白米 → 発芽玄米ともち麦を半々で混ぜて炊く
などです。
添加物を摂らない、だけでもかなり体感が変わってくると思います。
ぜひ参考にしてみてください。
ちなみにハミガキ粉は、シャボン玉せっけんのフッ素不使用のハミガキ粉を使っています。
※ お使いのブラウザ(safari, chromeなど)によって、各サイトへの書籍リンクが表示されない場合があります。その場合は、別ブラウザにてご覧いただけますと幸いです。
まとめ
- 善悪の判断(ジャッジ)をしない
- 感情ベースで、心地よい選択をする
- 食を見直す(添加物、フッ素を摂らない)
これを読んで、
「え〜、そんなことして、何かになるの〜?」
とお思いの方が少なくないと思うのですが、
わたしの鬼調査によると、
「なんだかやった方がいい気がして、なんの保証もないのに、こんなことを粛々とやり続けている人」
に、ある日 ポーンと「なにか」が起きているケースが結構多そうです。
何回も言いますが、わたし自身、
「がんばれない人間が最終的に依存するもの、それがスピリチュアル」
だと思ってきたのですが、ここに書いてきたことって、
お金も時間もかからない、しかも効果があったらラッキー
という話だと思うので、
「なんだか気になる」
「まぁ、損はないしね」
と思われる方、こっそりはじめてみて下さい。
この記事が、どなたかの参考になりますと幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
つづきが読みたい!早よ書かんかい!
というエールをいただけると一層がんばれます。
↓ ↓
【ぜひ知ってほしい】不思議なことが起き始めたトリガー

こんにちは!鈴山ミミーです。
ここまで、次々と謎ばなしを展開させてきましたが、
思い返してみると、一連の不思議なことが起き始めた、
まさに最初の "トリガー" に心当たりがあるんです。
(心当たり、というか「なにがきっかけだったんだろう」と考えようとすると、ふと鮮明に思い出される光景があります)
「それを早く話さんかい」
って感じですよね。
えぇ、分かります。前置きが長くてすみません。
今回もがんばって書きます!
やれるだけのことを徹底してやった
さかのぼると、これは幼い頃からなのですが、、、
ひとつ前の投稿でも「わたしの人生哲学」と書いたように、
どれだけ辛い、とか、理不尽だ、とかいう境遇にあっても、
今の自分にとってこれ以上ない「超ウルトラCの言動」って何だろう?
ということを、いつも考えるようにしてきたんです。
たとえば。
親から、あまりに理不尽なことを言われたとします。
「弟や妹はかわいいからお金沢山あげるけど、あんたはこれだけで何とかしなさい!」とか、
「あんたを生んだから、わたしは不幸になったのよ!」とか。
ええぇぇぇ・・・ってなりますよね。
わたし、なにかやったかなぁ・・・
それはないんじゃない・・・って、やり場のない気持ちが起きます。
人って、「親を嫌いになりたくない」「大好きな存在であってほしい」みたいな本能があるので、親をきらいになりそう、悪く思ってしまう自分のほうに罪悪感を持ったりします。
そうした心理状態で、365日、10年も20年も 手を変え 品を変え、アタックし続けられると、ふつーに病みます。
(これを読まれている方の中にも少なからずそういう方がいらっしゃるかもしれません。実際、こうした自分の内面を隠して、気丈に暮らしている方にこれまでにたくさんお会いしてきました。)
( ※ 親子の関係については代々、連綿と続いていることなので、親自体も同じような経験や場合によってはもっと大変な体験をしてきていることも多く、とても難しいテーマだなと。。。またそんなことも別の回で書きたいと思います。)
そうした時に、です。
「ふざけんな!グレてやる!」って荒れることもできます。
「ひどい・・・わたしってそういう存在なんだ・・・」と塞ぎ込むこともできます。
わたしも小学生の頃までは、絶対にこれが正しいと思うことをやっているのにもかかわらず、おとなの機嫌ひとつで振り回されることに「一体どうすれば・・・」とよく分からなくなっていたのですが、
当時12, 3才だったわたしがある日、心に決めた第三の選択が、
「ここで人生台無しにしてたまるものか」
だったんです。
で、どうしたか。
誰から見ても、裏表なく、ツッコミようのない人間でいたらいい。
理不尽なことを言ってもらってもいいし、そんなことを続けていたら結局、そんなことをしている本人が自爆してしまうだけ。
わたしにできることは、わたしの人生のために、在りたい自分を追求していくだけ。
これ「相手を恨む」とか「ブラックエンジンを全搭載する」とか、
そういう意味じゃないんです。
その「ひたすら理不尽なことをしてくる相手」に対しても、他の人に対してと変わらず、こちらからは「超ウルトラCの言動」で付き合っていくんです。
どうやったら、これ以上なく喜ぶかなぁ、とか。
こんなユーモアで切り返したら場が和むよね、むしろ笑って楽しくなっちゃうんじゃない?とか。
それでもひどい罵声を浴びせてきたり、嫌なことをしてきたら、
それでもまた「次回はこう対応しよう」と、
今の自分が考えられる限りの「超ウルトラC」を考えて、次に備えるんです。
以前にも書いたと思うのですが、夫に「たぶん妊娠してると思う」と伝えて、
「本当なら堕ろしてほしい・・・」とこれまでに3回言われた時にも、
3回目の時には前の2回のことは(その時に話し合ったことについてももちろん)記憶喪失のように全く覚えていないし、
「こんな大切なことを強制されるなんて自由がない!おかしい!!」
「結婚する前なんて 結婚できればいいと思ってんだから、俺も子供ほしい〜とでもなんとでも言うだろ!(ハッハッハ)」
と、夫の人格崩壊している様子にあまりに絶望して、数ヶ月間 会話ができなくなってしまったのですが、
その時は「これ、どうするのがいいんや・・・・・」と思案して、結局は、
「このお願い聞いてくれたら、一旦リセットしようと思う」
「好きって100回言って!」
と言って、水に流しました。
(注:わたしは好きと言ってほしいタイプの人間ではありません)
これらのケースを含め、自分がウルトラCだと思ってしてきた言動が、果たして正解だったのかどうか?は、正直分かりません。
でも、「その時の自分」にとっては、
そこに一切の損得の計算をはさまず、
「自分も、相手も、どちらにとっても喜ばしい結果を生むベストな言動」
「これ以上のことできなかったよね、と思えるベストオブベスト」
だったんです。
自分の人生、ぜーーーんぶ監視カメラで撮られて、見られていてもいい。
むしろ、神様的ななにかよ、ぜんぶ見てくれているよね?
そう思って生きてきました。
「被害者意識」というのはあまりなく、どちらかというと、
自分の言動について誰かに何か言われたとしても、一切言い訳などしなくてもいい「100%負い目のない自分を生きよう」「相手もいい気分になれて、わたしにとってもまたひとつベストな対応力が身につく」と思ってきたのですが、
この日々の対応が、もしかしたらスピリチュアル業界で言われている、宇宙で最大の力であるという「愛」に近かったのかもしれない、、、と後になって思いました。
(ちなみにアインシュタインも、「科学がまだ証明できていない、強力で宇宙的な力」として、"愛" について娘さんに手紙を遺しています)
いやいや、愛とか・・・ご冗談・・・!
って、わたしも思ってきたんです。
一番、そう思うタイプの人間なんです。
スピリチュアルっぽいことを言われると、
「そういうのは人生がんばれない人間が言う綺麗ごとでしょ」
「よくわかんないものにまで依存してしまっとるやん・・・」
と、光の速さで 心のドアを閉じてきたんです、わたし。
でも、一体自分に起きてることは何なんや・・・と思って調べるうちに出会ったこの本を読んで「おやおや・・・」となり始めました。
ざっくり言うと、科学的な実験を通して、人に備わっているいわゆる「徳」のようなものを測定することができる、というのです。
そしてそれが、「どれだけ理想的な人生を送れるか」に関係していると。
神なのか、宇宙なのか、著者の人にもわかっていないと思うんですが、そのなにかはわたしたちのことを全部お見通しだから、人として「内面の成長を意識して生きる」ことってバカにできないんですよ(というかそれが一番大切)っていう内容です。
がんばっているのに報われない・・・という方にはぜひ読んでいただきたい。
「がんばり方をまちがえている」ことが発見できるかもしれません。
夫はうまくいっているのはなぜ
そんなわたしですが、なんか、人生つらたんなわけです。
特にこの結婚生活。どうしたらいいのかがまじで分からない・・・
(終わらせる出口すら見つけられない状況)
こんなに、がんばってるのに。
わたし、ずっとがんばってきたよね。
強く、やさしく、時にユーモアを交えながら、
これ以上ないと思うくらいやってきたと思うんだけど・・・
一体、なんなんですか?
わたしが間違っているんだったら、教えてください!
その通りにしますから!!!
もう本当につらくて つらくて、分からなくて、そう心の中で叫んだんです。
そうしたら、
「ちょっと待てよ・・・家の内と外で人格を使い分けて、あんな傍若無人な態度で開き直っている夫は、人生うまくいってるんだよね・・・」
「もしかして・・・え? わたしが間違えているの?」
って急に、なにかとんでもないことを知らされた感じがしたんです。
自分の正しさを疑いはじめた
その日から、日頃の自分の言動や、正しいと思っている信念をチェックしはじめました。
わたしと、夫のちがいってなんだろう・・・
夫のどういう部分が、人生がうまくいくことに繋がっているんだろう・・・
そうして、「夫はめちゃくちゃだ」と思っていたところから、
「夫からわたしのことを注意したり責めてくることってないんよな・・・」とか、
「夫は何度でもおなじトラブルを繰り返してるけど、毎回完全に身を任せてるよなぁ・・・」とか、
「夫がお金の管理できないことにストレス感じてきたけど、稼いではいるし、ある意味執着がないんだよね・・・」とか、
これまであまり着目してこなかったところに目を向けるようになっていったんです。
わたし、自分の正しさばかりを主張して、なにか大切なことに気付いていないんだわ。
そう思いはじめたことが、おそらくわたしにとっての大きなターニングポイントであり、その後から、一連の「不思議なこと」が起き始めました。
まとめ
ここまで読んで、
「正しさ・・・正義感をふりかざす・・・」
とギクリとされた方、いらっしゃるでしょうか?
わたしは正直、
「もっと早く気付きたかった!」という思いと、
「それでも、これが自分にとってのベストタイミングだったんだろうな・・・」という思いとで、
ここに至るまでのすべてが必要な道であり、学びだったんだと思っています。
これまでだって、自分の正義感に酔わないように注意は払ってきた。
けど、なにか「やるだけのことはやった」から、時が満ちて、この時に本当に心の底から、そのことに気づくよう促されたんじゃないかな、という体感があります。
また、以前、量子力学についての考察記事にも書きましたが、
この世界はきっと、自分の意識や思考といったものが現実を形作る重要なカギになっていて、
自分の中にあるいろいろな思い込みや信念を洗い出したり、
関連書籍を読んでみて 自分の人生と照らし合わせていくと、
「え?!これってダメなの?!(それならそうと早く言ってよ〜!!)」
ということが少なくなくて、今も日々、生活の中で見直しては改善しています。
(そして、そういうことをひとつひとつやっていくうちに、それを反映するかのように、生活の中で「おやおや・・・」という変化が起きています。一見悪く思えることも、良いことが起きる前フリになっていることが多く、ますます不思議だなぁと思いながら実験しています。)
そうした具体事例についても、また書いていけたらと思っています・・・!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
つづきが読みたい!早よ書かんかい!
というエールをいただけると一層がんばれます。
↓ ↓
「思ってたスピリチュアルと違う」

こんにちは!鈴山ミミーです。
今回は、これを書くべきかどうか、悩んだのですが・・・
元々、このブログをスタートした時には、
「鈴山ミミーのカサンドラ奮闘記」
という名前で運営していました。
それを、はてなブログに引っ越した2022年からは、
「鈴山ミミーのカサンドラ終わらせ隊」
に変更したのですが、
今回、これまでにあった色々な不思議なことをはじめ、
もう書いてしまうか・・・と心に決めて、
「鈴山ミミーの人生のしくみ研究所」
に新しく生まれ変わりました。
落ち着きのない奴ですみません・・・!
今回は、このブログを読んでいただく方へのメッセージと共に、
同じような体験をしてネット検索して来られた方の参考になれば、という思いで、書いてしまいます。
さぁ、勇気を出して書くんだ、ミミー・・・!
まだまだ続けていた Youtube 捜査
ひとつ前の投稿で、これまで自分に起きた不思議体験について調べるために Youtube を見ていたと書きましたが、
わたし、なんだか「偶然にしては不自然」に感じる、人との不思議な縁が多く、そんな経験をしている人のyoutube 動画を見るうちに、「生まれ変わり」や「魂」といったことを紹介する動画に行き着いたんです。
生まれ変わりか・・・ありそうだけど・・・
魂も、証明されてるとかいうものじゃないけどきっとあると思う・・・
そう思いながら、臨死体験に関する動画をいろいろ見始めたんです。
中国に存在する、前世の記憶を持つ人たちが住む「生まれ変わりの村」。
臨死に関する研究をされていた、立花隆さんの紹介番組。
いろいろ見る中で、目に留まったのが、「矢作直樹さん」という方。
東京大学の名誉教授で、医師として長い間、救急医療の現場に携わってきた経験から、「霊魂や生まれ変わり、あの世といったものは存在する」ということを話されていて、そうした本もこれまでにたくさん書かれています。
正直、わたし自身、ど根性・どストイックな生き方をしてきた人間なので、ふわふわしたスピリチュアル〜な話には全然関心を持てなかったのですが、
なんかこの方、マジやな・・・と思えて、検索しては他の動画も見ていたんです。
そんな中で、スピリチュアルカウンセラーの「並木良和さん」という方と一緒にしていたお話会?イベントの様子の動画もあり、矢作さんが並木さんをすごく尊敬・信頼している様子が見て取れたので、
「矢作さん、こういう方とも仕事するくらいマジなんやな・・・」
とか思いながら見ていて。
最初見た時、女性なのか男性なのか?正直わからなかった中性的な雰囲気の並木さんは、
「過去生でレムリア大陸にいた頃は・・・・・」とか
「そう、あのオリオン大戦の時には・・・・・」とか
え、なにそれ?っていう聞いたことがないワードばかり話されていて、
「めちゃくちゃ どスピリチュアル な方やな・・・こういうのはちょっと分からないんだよね・・・」
となり、そこで見るのをやめたんです。
なぜだか気になる並木さん
その夜。
寝る前にふと、あの人って男性なんよな・・・
女性かと思ったけど、身長どのくらいなんだろ?
結婚してるのかな?
と、なぜだか気になって、検索したんです。
そこで出てきた検索結果には、
「結婚はしていないと思うけど、女性のお友達と2人でYoutubeチャンネルをやっている」
と。
お二人とも、とても気さくな楽しい雰囲気で〜・・・みたいな紹介文が書かれていて、
「めっちゃシリアスに謎な宇宙のことを話してた、あの人が??」
と思い、早速、翌日に見てみることに。
思ってたスピリチュアルと違う・・・
検索して出てきた「ちひろ☆なう」というチャンネルで、お友達のちひろさんと話している並木さん。
もうね。全っ然、違ったんです。
前日に見ていたのとは、全くの別人だった。
「みなさん、おひさしぶりです〜」
「お久しぶりぶり、ぶりの照り焼き」
「えーーでも塩焼きのほうが好きかも〜」「わかる〜」
みたいな めちゃくちゃどうでもいいオープニングトークも多くて、
え、この人めっちゃ好きだわ、友達になりたい
と思ったのが第一印象でした。笑
そして、そこで繰り広げられているのが、
「スピリチュアルとは」
みたいな話だったんですが、
その話が「え、それをスピリチュアルと呼ぶの・・・?」という感じの、
まさにわたしが大切にしてきた人生哲学
だったんです。
どれだけ嫌なことがあろうとも、合わない人がいようとも、
「どんな自分で在りたいか」
怒りや悲しみに満ちた対人関係にあっても、感情を吐露せず、卑屈にならず、
今、自分にやれる限りの「超ウルトラC」の言動はなにか。
損得なくそれを続けていれば、神様的な存在はすべて見ているから、
いい人生がきっと展開していく。
そう思ってずっと生きてきたのですが、
なんか、そういうことを
「魂とつながる」とか「スピリチュアル」として話されていたんです。
スピリチュアルって、恋の行方をタロットに聞くとか、満月の夜だからなにかやるとか、天使に祈りを捧げるとか、そういうことじゃないの・・・?!
( ※ 決してディスってるわけではなく、わたしのスピリチュアルという言葉に対する勝手なイメージです)
この時、
「スピリチュアルとは、"本質" という意味です。皆さんも自分の本質を生きましょう。」
と話している並木さんを見ながら、
「わたしの生き方は、スピリチュアル・・・なのか・・・?」
という衝撃を受けると共に、
自分の非が分かりつつも謝れない・どうにもできず怒鳴り散らす夫を、
決して責めてはいけない、、、不安なだけなんだよね、、、大丈夫、落ち着いて、、、と諭すように話をしていた時に、
「ふざけるな!お前は聖人かッ!!!」
と、罵倒なのか賞賛なのかわからない叫びを受けたことも思い出したのでした。
急展開は突然に
並木さんはご自身のYoutubeチャンネルも持たれていることを知り、そちらも見てみようと。
単独でのイベントをされることもあるようで、その時に見ていた動画では、一人でマイクを持って話をされていました。
その動画。
どの動画だったか、とかはちょっと覚えていないんですが・・・
「僕たちの魂は、こうやって、波動を落として、地球に降りてきたんですよ。」
「軽いままだと、ふわ〜ってまた戻ってしまうから、無価値観や、罪悪感なんかで、重たく重たくして、ぜんぶを経験したくて、この地球に来たんです。」
「ずっと眠って、それを楽しんできました。でも、もう目醒めなきゃダメなんです。」
「今、26,000年に一度の、タイミングが来ているからです。今世限りで、こんな大チャンスはもうやってきません。」
そんな話をされていたんですけど、わたし、これを聞いた時に、
「あれ・・・この人、なんでそれを知っているんだろう・・・」
って思ったんです。
「わたしも、それ知ってた。」
と。
自分でもなぜか分からないけど、
「この人、なんでそれをそこまで分かって、人前でこうも話せているんだろう・・・」
って、急に思ったんです。
そしたら次の瞬間に、その過去動画の中の並木さんが、
「皆さんも、分かっているはずです。今回このタイミングに乗ると決めて生まれてきた人は、こういう話を聞いたら、"へ〜、そうなんだ〜" とかじゃなく、"あ、わたしそれ知ってた" "知ってる" ってなりますから。この動画を見ているのも偶然じゃないんです。そうやって、思い出すんですよ。」
って話していたんです・・・
(一言一句この通りではありませんが、大筋はこんな感じでした)
よみがえる過去の記憶
えっと、これって一体どういうことなんだろう・・・
わたしは知っていた、という気になっている・・・のか・・・?
いや、レムリア大陸だとか、オリオン大戦とか聞いても「えーなにそれ(ちょっとひいちゃう)」って感じだったのに、
なんでこのことについては、「わたし、それ知ってました」って思ってるんだろう・・・
そう思っていたら急に、過去の2つの記憶がふわ〜っと回想シーンのように思い出されたんです。
「わたしって誰だっけ」
ひとつは、6、7才くらいの時の記憶。
昼過ぎに近所の人通りの少ない道で、まわりに誰もいないことを確認して、アスファルトの上に裸足で立ってみた時のこと。
あったかい・・・なんて気持ちいいんだろう・・・と、足の裏から伝わるあたたかさを感じながら、
「わたしって誰だっけ・・・わたしって何なんだっけ・・・」
と繰り返しこころの中で唱えていたんです。
「"鈴山ミミー" っていうのは、今与えられている表面的なキャラクターではあるんだけど・・・本当のわたしは、このカラダの中にある、今この声を聞いている "意識体" で・・・それは・・・何なんだっけ・・・」
目を閉じて、全身であたたかさを感じながら自分に問いかけ続けていると、意識が遠くに離れていくというか、自分が一体 何なのかが分からなくなってきて、
「どうしよう、なにか思い出しそうだけど、思い出すとやばそう・・・」
なんだか自分が何なのかが本当に分からなくなってしまいそうで怖くなり、靴下と靴をはいて家に帰ったのでした。
「間に合わなくなっちゃう」
もうひとつは27歳のときに、自分がこの人生で本当にやりたいことは何なのか、を本気で考えていた時。
会社を休職していて人生 八方塞がり、といった状態で「これからどうしよう・・・」と思いながら、
「わたし、ここに何しに来たんだっけ・・・思い出せ、思い出せ・・・じゃないと、間に合わなくなっちゃう・・・!」
って思っていたんです。
「あの時 そういえば、なぜか "間に合わない"って思ってたな・・・」
フラッシュバックのようにその時の光景を思い出しながら、なんだか急に 点と点が繋がった感じがしました。
すべて「同じこと」を「別の見方・言い方」をしてるだけ
並木さんの話す「スピリチュアル」が、ほぼ、わたしが自分の軸として大切にしてきた「人生哲学」だったことで、
心理学も、脳科学も、哲学も、スピリチュアルも、
結局、ぜんぶが同じことを「ちがう切り口」「ちがった捉え方」で説明しているだけなのではないか?
究極、「どうやったらわたしたちって幸せに生きられるんだろう」ということを、手を変え 品を変え、あーでもない こーでもないと、ちがう形で説明しているだけなんじゃないかな・・・?
そう考えるようになりました。
どの分野でも、いい。
自分にしっくりくる、分かりやすい方法でいい。
そんな、あたらしい発見でした。
____________________
今回も、長々とお読みいただきありがとうございました。
「スピリチュアル」って、結構 その言葉自体がひとり歩きしてしまって、発信している人によって内容が千差万別だなと感じています。
誰は正しいとか、あの人は間違えている、とかいうことはたぶん無くて、
それぞれの人がその人にとっての真実をただ話し、それを必要とする人がベストなタイミングでその言葉を受け取るんだろうな・・・と。
かくいう私は、その後も並木さんの動画を色々見てみましたが、
並木さんが紹介するワーク(心理的なブロックを取り除く、とか、許せない人を許すための演習、といったようなもの)は、
全然ピンとこないんです。笑
お話は、めちゃくちゃ分かるのに。
「そう、そうそう。」ってなるのに。
「では、みなさん目を閉じて、深呼吸して、こんなことをイメージして・・・」
っていうのは、どれをやっても
全然、ピンとこない。
そんな感覚的なことじゃ、なにも解決せんよ、ってなる。笑
これもまた、ひとりの人の言うことにただ傾倒すればいい、というのではなく、わたしがしっかり自分と向き合っていかなくてはいけないということなんだろうなと思い、自分に合ったやり方を模索しながら日々ためしています。
ここに関しては、どのようにして自分と向き合っているか、日々の気付きや、内観の方法等々・・・
次回以降の投稿で、またそんな話も書けたらと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
つづきが読みたい!早よ書かんかい!
というエールをいただけると一層がんばれます。
↓ ↓
量子力学との出会い

こんにちは!鈴山ミミーです。
鉄は熱いうちに打たなきゃダメだよね・・・と思って、鉛のように思い腰を上げて、前回までの謎ばなしのつづきを早速書いています。
ここまで読んでくださっている方、本当にありがとうございます・・・!
(書くのに時間がかかりすぎて、更新したあとのアクセス数をチラ見して、ご覧いただいている方がいることがとても励みになっております!)
前回までの不思議体験について、まだの方は先にどうぞ。
(2本立てとなっております)
Youtube で情報を探しはじめる
前回までの、不思議体験を踏まえて。
(実際はほかにも色々とありすぎて、ここでは割愛します)
これ、どういう現象なん?
そう思ったわたしは、同じような経験をしている人はいないかネット検索するうちに、それまで全く見てこなかった Youtube であれこれ動画を見るように。
時はすでに2021年・・・
全く関わってこなかった youtube には様々なコンテンツがありすぎるくらいあって、びっくりしました。。。
量子力学との出会い
実は、幼い頃には不思議体験がちょこちょこあり、「自分には不思議なちからがあるのでは・・・?」と思っていました。
(当時はまだ世の中の仕組みを理解していなかったため、それが特別なことなのか、大人になれば誰でもできることなのかということも分からなかった)
大きくなるにつれて、そうした ちょっとしたサイキック体験のようなこととは縁が無くなってからも、みんなとは少しちがう視点で世の中を見ているのか、人から「変わってるよね〜」と言われてきました。
そのひとつが、電車の車窓から家並みを見ていると、
「きっとあそこの家のインターホンを鳴らすと、住人の方が出てきて、聞かせてくださいとお願いしたらその人の半生を話してくれるかもしれないけど、わたしがあそこに行ってインターホンを鳴らしてその人が出てこない限り、その人も、その人の人生も存在しないのではないか・・・?」
といつも思っている・・・というもの。
もうひとつが、
「今、わたしはカフェでAさんとお茶をしている。わたしから見えているこの視点を1カメ、Aさんから見えている視点を2カメ、カフェで周りにいる人たちが見ている視点を複数の3カメ、とした時に、わたしの1カメ以外は本当にあるのかどうかなんて分からないよね・・・?」
・・・というもの。
(私も!俺も!それ思ってたー!!っていう方、いらっしゃるかな。。。)
それが。
youtube 動画を見ているうちに出てきた、これまでに聞いたことがありそうでたぶんなかった「量子力学」についての説明・紹介動画を見ていくうちに、
やっぱりそうなんじゃん?
ってなったんです・・・
やばい「二重スリット実験」
「二重スリット実験」ってご存知でしょうか?
大前提として、、、
この世界は、すべてのものが「素粒子」からできています。
人間も、動物も、植物も、石も、車もビルも、空気も水も。
ぜんぶが 素粒子からできていて、その素粒子がそれぞれ どれくらいの速さで振動するかの違いが、形状や温度や色のちがいになって現れています。
たとえば、ここに、直径5cm の球(ボール)があるとします。それが、1メートルの距離を、超高速!超超高速!で往復していたら、それはもはや「5cm の球」ではなく、まるで「太さ5cm の、1メートルの棒」みたいに見えますよね。
同じように、限りなく極小の球が、往復距離2mmを超高速で行き来していたら、もはや球として認識することはなく「2mmの小さな縦長のモノ」として扱えるかもしれません。
自転車の車輪なんかもそうで、止まった状態で見たら 中心から放射状に伸びるワイヤーの間はスカスカなのに、高速で回転していると、面ができて まるでひとつの円盤みたいに見えます。
あまり頭が良くないのでちゃんと説明すると違うかもしれませんが、たぶんそんな感じで、この世界のすべての物質は「素粒子」が形作っています。
その素粒子ってなんなの?
という研究における有名な実験が、「二重スリット実験」です。
その実験の結果、なんとこの素粒子、
自分が 見られているか、見られていないかで、ちがう振る舞いをする
ことが分かったんです。
見られていないと "波" の状態でいるのに、見られた瞬間から "粒子" になる。
すごいのが、実際に 誰かが見ているか、見ていないか だけではなく、
置いたカメラをオンにするか、オフにするか でも、もれなく振る舞いを変えるんです。
ざっくりしたイメージで例えると、
「ずっと H2O であることに変わりはない」んだけど、
人が見ていなかったら水蒸気の状態でいるのに、
人が見た瞬間から、ちいさい水滴になっている。
カメラを置いた状態で、オフにしていたら水蒸気でいるのに、
オンにした瞬間からやっぱりちいさい水滴になっている。
といった感じ。
完全に、自分が 観察されているか、観察されていないかが分かっているんです。
そこに意識を向けた時と、向けない時で、まったく異なる状態になる。
この世界のすべてが、そんなもので出来ているんです。
いろいろと条件を変えて行われているこの実験。
その不思議な実験結果を知れば知るほどに、
「紙に書いたら、現実になる・・・なにか関係あるんじゃないか・・・」
「1カメを向けたらそこに世界が展開されるのであったら、Aさんや他の人たちの実体は1カメから見えているとしても、やっぱり2カメ3カメって本当はないんじゃないか・・・」
と思いはじめました。
やばい「量子もつれ」
さらにすごいのが、「量子もつれ」。
量子とは、(先ほどは例えとして "水蒸気" と "水滴" で説明しましたが)
"波" と "粒子" の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことで、素粒子も量子の一種です。
・量子もつれの実験・
量子である 二つの粒子を、「量子もつれ」の状態にします。
(科学者の人がしてくれます。詳しいことは割愛。)
すると、粒子同士につよい結びつきができて、その二つがどんなに離れていても、まるでお互いが「コインの裏表」のように、片方を測定することで、もう片方の状態が瞬時に確定するようになるんです。
たとえば、量子もつれにした粒子の、片方は上向きのスピン、もう片方は下向きのスピンをしているとします。
それぞれ 中が見えないように箱に入れて、シャッフルして、ひとつの箱はここに、もうひとつの箱は隣の部屋に置きます。
どちらの部屋にある箱の粒子が 上向きのスピンで、下向きスピンなのか、分からないですよね。
「どちらかは上向きで、どちらかは下向き」ということだけわかっている。
これ、「どちらが上向きで、どちらが下向きかは箱の中では決まっているけど、箱の中にあってそれが見えないから分からない」んじゃなくて、
「まだ見ていないから、どちらがどちらなのか決まっていない」んです。
「は?」ですよね。
さっきの例で説明した通り、
箱の中にある時は、どっちも水蒸気なんです。
開けて「見られてしまった」瞬間に、水滴になるんです。
量子もつれにした粒子同士だと、
手元の箱を開けて「あ、こっち上向きスピンだわ」の瞬間に、もう一つの箱の中の粒子の「下向きスピン」の状態が確定するんです。
上下のスピンを「白・黒の水滴」で例えるなら、
粒子からすると、箱の中では「どちらでもない水蒸気」でいたのが、
手元の箱を開けて観察した瞬間に「見られちまったから、俺は白い水滴になることにした!」となって、あたかもずっと白い水滴だったかのようにそこに存在し、
その瞬間に、隣の部屋にあるもうひとつの箱の中では、「おーそうきたか、じゃ、俺は黒い水滴ってことね」ということで、水蒸気から黒い水滴になるんです。
片方が「俺はこっち」と決めた瞬間に、瞬間テレパシーで、もう片方が「OK、ならば俺は "じゃないほう" ってことな」と変化する感じ
と言ったらいいでしょうか・・・
わたしは超文系人間なので、ほんとよくよく理解できているわけではないと思うのですが、
この実験のことを知るうちに、なんかおかしいなぁと・・・
というのも、この "もう一つの箱" が「隣の部屋」ではなく「何千光年 何万光年と離れた惑星」にあっても結果が同じになるらしいんです。
「ん?光の速さよりも速いものはないと言われているのに、何万光年離れてても"その瞬間" に確定するっておかしくない・・・?」
(光の速さでその情報が届くなら、伝達までに何万年もかかるよね?)
と、ひっかかってしまって・・・
でも、実験上、「その瞬間」に伝わっちゃうんです。
科学では説明できないような、不可思議なことが量子力学では証明されてる。
科学者の人たちも、どういうことや・・・と頭を抱えている。
これを受けて、
「これが本当なら、5次元以上が存在するっていう前提じゃないと、そうはならないのでは・・・」
と思ったのと、
「もしもこの世界を形作っているすべての素粒子が量子もつれの状態で関係し合っているとしたら・・・やっぱり、あそこに見えるマンションの一室には今、誰がいるかはまだ確定していなくて、わたしが行ってインターホンを鳴らして、マンションの住人が出てきた瞬間に、どんな人なのかが確定するし、それを発端に、それ以外の様々なことが確定する状態になるのでは。。。」
「もしかしたら、回線不具合なんかで先の展開スピードが遅い状態のオンラインゲームみたいに、今この瞬間まですべては未確定で、"わたし" が "意識を向けて見ている" この目の前の現実をどう展開させていくかで、まだなにも決まっていないその先の状態が確定していっているのではないか・・・?」
そんな風に思ったんです。
この世界が、わたしの1カメだけなのか、それとも見えているすべての人に個別の1カメを通した世界があるのかは、分かりようがない。
でも、もしかしたらそれぞれの人がそれぞれのカメラを通した別の世界を生きていて、連絡を取ったり 会ったりと関係し合った時には、量子もつれの働きですべてが辻褄が合うように完璧にアレンジされるから、整合性の取れた世界になっている・・・
量子力学の研究結果を見ていると、そんな
一 億 総 別 世 界
も成立するのでは・・・・・
そんな風に思えてきました。
思考もまたエネルギーなのでは
ここまで考えて、思ったんです。
ちょっと待てよ・・・
「粒子を見たら」「粒子は見られたら」振る舞いを変える、って・・・
これ、「見る」っていう行為が影響している、というか、
そこに "思考を向ける" こと、"意識する" ことで、
対象物に対してエネルギーを発して、
それが物理的に影響しているんじゃないの?
イメージ

なんだかそう考えたほうが、受け入れられる。
そう考えると、すこし前からわたしが体験している
「なぜだか分かってしまう」シリーズについても、
「相手が発しているエネルギーを物理的にキャッチしているだけ」
(何かがトリガーになって、そのエネルギーをうまく翻訳→理解できるようになった)
と考えられるな・・・と、なんだか腑に落ちました。
不思議体験「なぜだか分かってしまう」はこちら ↓
みなさんも、「険悪なムード」「あの人は機嫌が悪そう」
「この人の近くにいると癒される」「この空間は居心地が良い」等々、
感覚として分かることってありませんか?
目に見えないから「空気感」「雰囲気」として感じることしかできないけど、
たとえば "音" にしたって 実は、空気の振動が伝わる物理現象 である ように、
すべてのものが なにかしらのエネルギーを発したり、それを受け取ったりしているというのは、そうおかしな発想ではないと思うんです。
おそらく自分の思考・意識がカギになっている
この現実ってきっと、自分の思考や意識がカギになって出来ているんだな・・・
科学的な実験結果 や わたし自身の経験含め、そう思いはじめました。
もしそうであれば、これまで分からないと思ってきた色々なことの説明がつきそう・・・
でも、仮にそうであったとして。
じゃあ、どうすればいいわけ?
って感じですよね。
そうなんです。
ここから、また新たな試みがはじまります・・・
____________________
今回も、長々とお読みいただきありがとうございました。
こんな話に興味を持って下さる方がいるのかしら・・・と思いつつ、とりあえずこれまでにあったことを整理しながら、順を追って綴っています。
(また更新までに何百年も空いてしまったらすみません・・・!)
ご自分の見識やこれまでのご経験と照らし合わせて、
「むむむ・・・・・」
となにか謎が紐解かれそうな感じになる方がいたらうれしいですし、
もちろん興味本位でお読みいただくのも大歓迎です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
つづきが読みたい!早よ書かんかい!
というエールをいただけると一層がんばれます。
↓ ↓
不思議なことが起き始めた話(2)2021年編

こんにちは。 鈴山ミミーです。
ひとつ前の記事のつづきですが、放っておくと光の速さで書く気が消えてなくなるので、急いで書いていきたいと思います。
まだの方は、こちらからどうぞ ↓
断捨離で出てきたもの(2021年 3月)
ひとつ前の記事で書いたように、"直感" と呼ぶにしてはちょっとヘンだな・・・ということが、もはや日常になりつつあったある日。
無性に断捨離がしたくなり、昔から取っておいたもの、特に手紙や年賀状などの紙類を一斉に処分しはじめたんです。
量にして、大きな段ボール6箱分くらい・・・
開けては、気になるものはスマホで撮り、「ありがとうね」と伝えて どんどんゴミ袋に入れていきました。
そこで、なんですが、妙に気になるものが2点出てきたんです・・・
① 12年前に書いたルーズリーフメモ
(これは以前にすこし触れた、再掲内容となります)
そこには、「やりたいことリスト」「やりたくないことリスト」が書かれていました。
当時、仕事で色々あって体調を崩してしまい、休職中だったわたし。
やさしすぎる会社で、残っていた年休有給を全消化して1ヶ月半ほどお休みしていました。
働くうちに自律神経がおかしくなってしまったのですが、
「わたしの人生、このままでいいのかな?」
そんなことを心の奥底で考えながら日々激務をこなしていたため、頭では不調を理解できなくても、身体に正直に出てしまった感じでした。
「このままじゃ、ダメだ・・・」
「でも、どうしたらいいか全然わからない・・・」
ネット記事を検索しまくり、使えるツールは使おうと。
「得意なこと、好きなこと、求められること」の3つの円が交わる図を書いてみたり、いろいろやってみました。
また、本屋に行って自己啓発系の本を探し、ビジネス系、特に「やりたいことをやって人生を楽しんでいる経営者や実業家」の自伝書などを買い、その方達がどうやってそんな人生をクリエイトしたのかについても、必死になって読み漁りました。
そこでよく書かれていたのが、
・「やりたいこと」「やりたくないこと」を明確にすること。
・叶うか、叶わないかを考えずに、とりあえず書きまくること。
書くときのコツ
・365日24時間、飽きずにやり続けられることはなんだろう?(→ そのために、幼少期や学生時代に自分がハマっていたことを思い出してみる)
・本当にやりたいことは、魂が震える感覚が内から湧き起こってくるから自分で分かるはず
・急に3億円もらえることになった!今の仕事を辞められる。さて、何をする?
こんな感じのことでした。
10年前以上のことなのに、そのメモを書いたときのことは 今も鮮明に覚えています。
人生のどん底で、暗闇の中を手探りで進んでいるような毎日。
「わたしの人生って、なんでこんなにハードモードなんだろう・・・」
最後は死ねばいいか、くらいまで思い詰めながら「いっそ書いてやれ」という思いで次々に書いていったリスト。
「いや〜ないわ〜」
「こんなの叶ったら・・・夢だわ〜」
「さらにこうだったら・・・夢だよね〜」
こんなことやってちゃダメだわ、くらいの感じで、ひとしきり書ききった後に記憶の彼方に忘れ去られていた夢リスト。
あれから12年。
床に座って、断捨離で出てきた 右上にリスのイラストが添えられたそのリストを見ると、この12年で、リストに書かれていた
ほぼすべてが叶っていました。
しかも、よくよく考えてみると、
夫と結婚することで、その流れですべてが芋づる式に叶っていたんです・・・
断捨離をしながら、
「なんでわたしってこんなに不幸なんだ・・・」
という怒りや悲しみや絶望でいっぱいだった わたし。
ちょっと待って・・・叶ってるじゃん・・・
12年前のわたしが今のわたしを見たら、なんて言うだろう・・・?
(きっと「うそー!信じられない!夢みたい!!!」って言うな・・・)
なにかヘンなちからが働いてる。
メモに書いたからなのか、縁のちからなのか、なにかは分からないけど。
それに、ご褒美 も 学び(試練)も、たぶん同じように来てる。
なんだかそんなことを直感しました。
② 小学生の時につくった工作物
もうひとつは、小6の時につくった「将来の夢」という工作物。
みんなが現実的な職業などをテーマにして作っていたところ、わたしはなぜか一人だけ、よく分からないものを作っていたんです。
たとえばそれが、「パリコレ」っていう工作物だったとします。
「モデルになりたいの?」
「デザイナーになりたいの?」
「パリコレスタッフになりたいの?」
ってなるじゃないですか。
どういうこと?って。
そういう曖昧なことをテーマにして作っていたんですけど、自分でもその時に急に思い立ってそれを作ったのを覚えてるんです。
「これ、めっちゃ覚えてるわ・・・」
と、それを手にしながらまたヘンな気持ちになるわたし。。。
膨大な量の断捨離をしているのに、なんだかまるで「モノから話しかけられている」ような、神様的ななにかから「大切なことに気付くよう促されている」ような、そんな気持ちになりました。
そうして5日くらいかけて断捨離しまくったあと、思いがけず、処分できそうな段ボールがもう1箱出てきたんです。
「うわぁ どうしよう、気が重いな・・・これはもうやらなくてもいっか・・・」
そう思いながら横目で箱を見ると、
(そこにまた新しい発見があるかもよ?)
という、声が聞こえたというか、謎の直感があったんです。
・・・ならば!えぇい!とその場で開封して出てきたのは、小6の担任の先生もらった年賀状。卒業して、10年くらい経ってから送ってくれたものでした。
そこには一言、
「パリコレ、いつ頃行けそうや?」
という文字が。
(※ 「パリコレ」は例えで、実際はちがうワードです。)
すっかり忘れてたけど、また思い出させるやん・・・
パリコレ・・・パリコレ、って何なんやろ・・・
いやなんでもないよな・・・
そうして、そんなことはふんわりとまた忘れた、約1週間後。
曲のイントロを当てるクイズ番組を見ていた時に、
「この曲、昔やってたあの番組のエンディング曲にすごい似てる〜!」
という曲があったんです。
独特な歌い方で、メロディは印象的だけど、当時は歌詞が日本語なのか英語なのかも分からなかったその曲。
いい機会だから調べてみよう〜とググってみると、その曲のタイトルが
「君と一緒に、パリコレ!」
だったんです・・・
ちょっと待ってよ・・・
また思い出させるやん、ていうか、
タイトルにするにはなんか不自然すぎるというかヘンだし、
これはもう 気付かせ案件 確定 やろ・・・?
そうして、心の中で「了解しました」と謎の了承をしました。
これにはきっとなにか意味がある
もう、そう思わざるを得なくなってきました。
けど 一体、なにに気付けと・・・?
ひとつづきで書こうと思ったら巻物みたいに長くなりすぎてビックリしているので、今回も一旦ここで切ろうと思います。
これぜんぶ実話なのですが、こうした話を聞いて、
「は?」とか「だから何?」とか「はいはい、不思議に思いたいのね」みたいに思われる方のほうが多いとは思うのですが、
ここまで読んで下さる方は、同じような体験をしたことがあったり、少なくとも、これを読みながらなにか心がザワザワしたりしているんじゃないかなって思います。
(こういう不思議体験をお持ちの方いらっしゃったら、めちゃくちゃ聞きたい・・・!)
これが何なのか調べはじめて分かったこと、これまでのことと繋がってきたことなんかを次回から書いていこうと思います。
この世界は、たぶんわたしたちが思ってきたような仕組みではないし、
それを紐解きながら、理解して生きていくのはすごく面白いと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
つづきが読みたい!早よ書かんかい!
というエールをいただけると一層がんばれます。
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不思議なことが起き始めた話(1)2019-2020年編

お久しぶりです、鈴山ミミーです
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
少し前から話の潮流が変わってきた件について・・・
いよいよちょっと書いていきたいと思い、今回はタイトルの通り、わたしの不思議体験をお話したいと思います。
オカルト話かよ、というツッコミは大前提です。爆
ただ、「なんとかカサンドラから抜けたい!神様、ホトケ様!」という同志のみなさまのお力になれるかもしれない話になっていきますので、ご興味のある方はどうぞお読みいただけたらと思います。
ちなみに、時間が空きすぎておそらく体裁はバラバラですが、「カサンドラ?何の話をしてるの?」とお思いの方は、前回までのブログの内容をざっとおさらいしていただけると幸いです。
それでは、不思議体験、ドン!
- イヤホン事件 (2019年 2月)
- ハサミ事件 (2019年 3月)
- 世の中に対する違和感を覚えはじめる (2019年 夏〜)
- 「なぜだか分かってしまう」が始まる (2020年 秋〜)
- (2)につづく
イヤホン事件 (2019年 2月)
当時、作業中に iphone で youtube を流して聞くために、ものすごく簡易的な(飛行機で配布されるような)コードタイプのイヤホンを片耳だけ使っていました。
そしてそのイヤホン、ほどなくして壊れたようで、聞こえなくなったんです。
「うそ〜」と思ったものの、もう片方は聞こえる!
片耳でしか聞いていなかったため、まぁ片方壊れても問題ないか〜と使い続けていたんです。
そんなある日、イヤホンを耳から外した時に、イヤーピースというんでしょうか・・・耳にフィットさせるために付いてる黒いシリコンのパーツが取れて、ポーンと飛んでしまったんです。
そして、どこにも落ちていない。
デスク横のワゴンの下に転がったか〜と思ってどけてみたものの、無い。
黒いし、1cmくらいはあるからすぐに見つかりそうなのにどこにもなくて
「どうしよう、耳にはまらないじゃん・・・」
と思ったものの、
「そうだ、これ片耳しか使ってないんだった」
と気付き、壊れている、使っていないほうのイヤホンのイヤーピースを外して 付け替えて、「まぁ無くなっちゃったけど問題ないか!」と解決したんです。
その数日後。
朝起きて、ふとそのイヤホンを見たら、両耳にイヤーピースが付いてたんです。
近くにいた夫に、
「わー見つけてくれてありがとう〜!どこにあった?」
と聞くと、
「・・・何の話?」と。
「この黒いシリコンのやつ、どこで見つけた?」
と聞くと、
「え、俺なにも知らないけど・・・怒られるのいやだし、ミミーの物さわるわけないじゃん」と。
そう。なぜか、イヤーピースが両耳のイヤホンにはまった、元の状態になっていたんです。
イヤホン事件の当時の考察
一体、なにをどうしたらそうなるのだろう・・・?と。
イヤーピースを付け替える、という作業を確実にしているため、「勘違いでは絶対ない」と分かっているだけに。
当時は、
◯ 妖精のいたずら(怖がる必要なし)
◯ 妖怪のいたずら(なにか良くないものだとどうしよう)
という2つの可能性しか思い浮かばなかったのですが(頭おかしい奴っぽくてすみません。ちなみにそういう存在に遭ったとか見えたとかいう経験ゼロです。爆)、
同じような体験をした人がいないかネット検索して時に出てきた第三の可能性が、
◯ パラレルワールドを移行した
というもの。
なんかSFチックやな・・・と思いつつも、パラレルワールドとはなにかを調べるうちに、なんだか心がざわざわし始めたというか、
「なんだろう・・・なにかに気付くように仕向けられてる・・・?」
と感じ始めました。
ハサミ事件 (2019年 3月)
イヤホンのことがあってから、数週間後。
家で裁縫をしていたのですが、今さっき使ったハサミが、無い。
布を切る専用の「裁ちばさみ」というデカくて重いハサミなのですが、どこにも見当たらないんです。
布の下か?椅子に置いたか?それともアイロン台か?
ハサミがないと作業がそこから進められなかったため、見つかってくれ〜!!と順に片付けてみたものの、やっぱり、どこにもない。
この時にふと、
「え・・・これは違うよね・・・?」
「ハサミはでかいもんね・・・」
と、なんだかヘンな予感がしたんです。
出てきてくれ〜とすべてを片付けるも出てこず、
机の上も、椅子の上も、アイロン台も、ソファも、テレビ台も、あらゆるところを隈なく見るも、ない。
(ていうか、そもそも裁ちばさみは 机の上以外で使わん・・・!!!)
ちなみに片付け大好きミニマリストなので、書類や雑貨なんかを外に出したままに一切しておらず、なにかに隠れているという可能性もほぼない。
「え〜 ちょっとどこよ〜〜!!泣」
と思いながら、その日は作業を諦めて寝ることに。
翌朝 起きたら、リビングに入って一番目立つ、アイロン台の上にどーーんと置いてありました。
ちなみに夫は数日前から出張中でした。
世の中に対する違和感を覚えはじめる (2019年 夏〜)
この頃から、世の中にはこんなに頭のいい人たちがたくさんいて、すばらしい技術やテクノロジーもたくさんあるのに、なぜ世界は平和にならないだろう?
なんかおかしくない?
と思い始めました。
なにか前情報や、誰かに吹き込まれたとかいうわけではないのですが、ふと気になって、その頃に買って読んでみた本をいくつかご紹介しますね。
本の内容については割愛するので、よければぜひリンク先から書評などご覧いただけたらと思います。
この時、着港した豪華客船で隔離していた乗客の方たちをなぜだか帰してしまったというニュースを目にして、「これになにか感じているのは・・・わたし、だけ・・・なのか・・・?」と思い始めたのでした。
「なぜだか分かってしまう」が始まる (2020年 秋〜)
「当たりすぎるけど、勘違いよな・・・」とか
太陽、月
月
お茶、コーヒー
コーヒー
フライパン、お皿
フライパン
火星、金星
金星
なんだよ!ミミー分かってんじゃん!
いや、分からない・・・答えは分からないけど、どっちを答えさせようとしてるのかは分かる、ってかんじかな・・・
こんな感じで即答スタイルで(なぜ当たってるのかも分からないまま)5、6回当て続けたあとに動画を再生してみると、
夫が思っていたのと答えが全然違っていたんです。
「うわぁ、全然ちがった!」と悔しがってる夫の横で、
( わたし、なんで分かったんだろう・・・? )となったのでした。
(その点については、夫はなにも思っていないようでした笑)
ちなみにこの頃から、SNSのアイコンやコメントを目にした時にこれまでにない感覚を持つようになり・・・「エネルギーが伝わってくる」と言うのでしょうか・・・
Facebook や instagram は不要にコメント欄を開かなければ大丈夫かな、といった感じだったのですが、Twitter はタイムラインの時点でものすごい自分に合わないエネルギーを感じてしまい、、、
もう開かなくていいようにアカウントも全削除してしまいました。
(2)につづく
ちょっと長くなりすぎるので、今回はここで一旦切ろうと思います。
「お前は一体、なんの話をしてるんだい?」
とお思いの方が全員だとは思いますが、これからまだまだ謎の展開を見せます・・・
というのも、これらのことが やはり、
わたしに何かを分からせるために起きていた
ということが、今となってはほぼ確信になっていることと、
それはわたしに限らず、ほかの方(これは発達障害のパートナーをお持ちか否かににかかわらず)にもお伝えすることで、
皆さまの人生もきっときっと良くなる!のではと思い、
(もっと言うと、「ちゃんと伝えろ」ととなにかに言われている気がしてならず汗)
これまでに起きた膨大な出来事をかなり時間をかけて整理しながら、書き綴っております・・・
ですので、もしつづきを気にしていただける方がいらっしゃったら、またのぞきに来ていただけるとうれしいです・・・!
文才がないゆえ、この後の構成をどうしたらいいか分からなくなっていますが、気持ちがどこか遠い彼方に行ってしまう前につづきを書こうと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
つづきが読みたい!早よ書け!
という応援いただけると一層がんばります。
↓ ↓
カサンドラは希望でしかないかもしれない話

こんにちは!鈴山ミミーです。
今回から、ますます謎展開な話をしていきたいと思います・・・
おそらく、世に出ているカサンドラ話とは切り口が全然違うと思うのですが、
こういう思想を持って日々たたかっている方ってあまり口外されないタイプの方が多いんじゃないかという思いもあり、
ちょっと違う視点にも触れてみるかという気持ちで読んでいただけたらと思います。
一つ前の投稿を読んで頂いていることを前提に話しますので、まだの方はぜひそちらを先に・・・
ぶっ飛んだ話に入る前に大前提を
カサンドラで苦しんできた、今もたたかっている戦友の方たちに気分を害してもらいたくないのと、ちょっと内容が無茶苦茶だと思うので大前提をお話させてください。
わたし自身、なんかこれおかしいな?と感じる、
この世には仕組みがあるというか、バーチャル空間で生きているような不思議な感覚が1年半ほど前からあります。
それも、目に見えない何かから、それを気付かされているような、不思議なことが身の回りで次々と起きていて、、、
そうしたことについて「これは何が起きているんだろう・・・」と考えながらわたしの人生を振り返ってみた時に、
「いや、なんかこれ絶対おかしいやん」
「確実に設定された意図があるやん」
って気付いたんです。
よくよく分析すると、そこにはとてもわかりやすい流れがあって、
(ちょっと不自然な感じすらする)
まるで自分が用意された川下りレースをどんぶらこと流されているようなんです。
で、「そっちじゃない」ほうになにがなんでもいこうとしたら、転覆させられたり、川から出てきた河童に引き摺り込まれたりする。
そうして川底で死にかけた時に、「なんでや!なんでこんな目に遭うんや!!!でもわたしは!生きる!!!」と息も絶え絶えながらもがき、ちょっと失神しかけるのですがなんとなく河岸に打ち上げられ、
「あれ・・・生きてる・・・」「つらいけどまた行くか・・・」とまた川にボートを出してなんとなくまた川下りをしていたら、なんとそれはあの幻の川だった (夢見たいな人生に変わっている)
みたいなことが(もちろん例えですよ)これまでに人生で2回あって、なんかその前後も変な感じなんです・・・
(今思い返すと、色々なことが奇跡的に繋がっていることに気付きました)
このブログの最初のほうから読んで頂いたらわかるのですが、わたしのカサンドラへの向き合い方、急にあるところから変わっています。
それはなぜかというと、上記のように色々なことを分析していった結果、
これ、わたしが(きっと生まれてくる前に)決めた人生ストーリーに沿って、魂の成長具合に合わせて天がイイ感じに采配してくれてはるんやわ・・・
ってことが結構確信に近く分かったからなんです。
いや、めっちゃ怪しいですよね・・・自分でも何言うとんねんって思います。
カサンドラになるのも理由があってなってる
これが、わたしが発達障害の夫との向き合い方を転換させた気付きです。
「これ、夫を責めてたら一生終わらんわ」と。
気付くべきことに気付いて、それを体現していかない限り続くし、
逆に、そのキーになることが分かったら自然と(どういう形かはわからないけれど)これ解決するんやわ、と。
自分では思いつかないような場所へ天が運んでくれると思うと、しっかり向き合わないわけにはいきません。
ちなみに、ここまで読んでもらった方の中には、
「旦那さんの発達障害がたいしたことないからそんな悠長なことが言っていられるんじゃないの?」
と訝しげに思われる方もいらっしゃるんじゃないかと思うので、
ちょっとここから、わたし自身の備忘とこころの整理を兼ねて、だーーーっとこれまでに我が家で起きた出来事を書き連ねて、
そうしたことを経た結果、今わたしがどういう境地に立っているかというお話で最後締めたいと思います。
出来事の部分は、分かる〜!と共感していただくもヨシ、読んでいて気分が良くないと感じられる方は、盛大にスクロールして最後のまとめまですっ飛ばしてくださいね。
我が家でこれまで起こったこと(一部抜粋)
・結婚式、手作り感のあるちいさなパーティーにしようとなったものの「主役はミミーだから好きにしたらいいよ」と準備にほとんどノータッチだった夫。ドレス選びにも同行することがなかったけどそれはそれでいいと思い当日、じゃーんと見せたところ、「うーん・・・別に・・・変じゃないよ」と言われる。
「え?変かな?」と聞くも、「だから変じゃないって・・・」「何度聞くんだよ。今日は友達と楽しむ日だから何か用があったらメールして」と声を荒げてどこかへ行ってしまい、当日もひとりで準備する。
これがASDの特性のウチソト思考なのでしょうが、この時から急に変わってびっくりしましたね・・・なんかこの人、変かも・・・すでに入籍したけど反故にできるのかな?とか考えてしまい、目から自然と涙がポロポロと止まらなくなって、パーティーは催行不能ギリギリの45分遅れで始まりました・・・
・おそらくこれが同居してからはじめの出来事。半年くらい毎日使っていたお皿が、夫が元カノと陶芸体験で作ったものであると皿洗いしていて気付いたわたし。(裏側に名前が彫ってあった)割ったらいやだから、大切にしまっておいてと渡したんです。(正直、あまりそうしたものを保管していることには嫌悪感とかありません。いい思い出だったのかもしれないし。夫はすぐ捨てると言ってましたがそのあとはどちらでもいいので確認とかしていません)ただ名前が分かっちゃって、SNSでいつも夫とコメントやりとりしあってるあの人やん、と分かってしまったんです。
で、「あなたと友達かもよ?」って、その人と繋がることをAIがやたらと勧めてくるようになってきたんです。「うわーこれ向こうにも表示されてると思ったらいやだなぁ・・・」と思って、「今まで何も思わなかったけど、分かってしまったからちょっといやだなと思ってる」と言うと、夫は「俺はお前を選んだのに気にすることはなにもないだろ!」とお怒りの様子。コメントやりとりしてるのも、めっちゃ流れて来るんです・・・
お前を選んだもなにも、その彼女と何度もヨリを戻すもフラれていたことを知っていたから(元カノは「なにかヘンだ」という勘が鋭かったのでしょう・・・)、余計にもやっとしつつ、「その彼女と切るのがいやだったら、私とのSNSを切ったら見られなくなるけど、そうする?」と聞いたら、「(え・・・・いいの?それでいいの?)」という感じで、わたしと切って、結局元カノと繋がりつづけた夫・・・
数週間経ってから、なにか引っ込みがつかなくなってるのかなとか思い「あのさ、、、SNSのこと、本当にこれでいいと思っている?」と聞くと、「まだ言ってんのかよ!もう終わったこといつまでも言ってんじゃねーよ!しつけーんだよ!!!」とブチ切れられました。
今思えば、アスペルガー受動型ってこういうことなんだなという初めての体験だったのですが、当時は「この人には自分の考えとかあまり無い」という概念まで思考が行き着くことがなく、謎すぎる、気味悪い系の怖さでしたね・・・
・スマホ見ながら運転することをやめるように言うも、よそ見運転で赤信号の交差点に突っ込む事故を起こす
こちらをぜひ:
・事故後、離婚したほうがいいのかと真剣に考えるも、いやだと懇願する夫。「運転時にはアルコールを飲まない」「運転中はオーディオ機器をさわらない」など当たり前なことを含む誓約書にサインしたものの、数週間後に夫の運転で行ったレストランで、わたしがトイレへ行ってる間に一升瓶サイズのビールを注文。夫しか運転できないミッション車で来ていたので、飲むわけないよね、好きなビールだから持ち帰るんだよねと思いながら「このビール何?」と聞くと、「大丈夫、大丈夫!!!」と満面の笑みで手でわたしを制止しながら、「ちゃんと全部飲んで帰るから!」と謎発言をする。
この時もまだ結婚1年目くらいでASDだとかなにも分かっていなかったので、ちょっと言動が薄気味悪いというか、恐怖でした・・・
・これまでに、妊娠してると思うと伝えて、「へーじゃあ堕ろして」と言われる(計3回)
こちらをぜひ:
・複数人でランチで同じものを食べて、夫だけビールを2杯飲み、帰り際にわたしがトイレに行っている間に会計をしていたので帰ってから聞いたところ、全員で均等割りしたとのこと。夫、いつもこれ(わたしと付き合っていた頃から)やっているので、「そういう時は、アルコール分は自分で払ったほうが誰ももやっとしないと思うよ。ケチなわけじゃないのに、人によってはそう思われかねないからもったいないよ」と自宅でやんわり伝えたところ、激怒の上、突き飛ばされる。
この時はまだASDだと分かっておらず、やんわり言えばいいと思っていたのでわたしもショックやらパニックやらな状況でした・・・
・旅行先で、その宿で働いている綺麗なおねえさんと話したくて、夫はひとりでロビーで延々と待ち伏せをして、一緒にここにいないでと放っておかれる。部屋に戻りひとりで寝ようとするも、通りかかったおねえさんをなんとか引き留めて始まった会話が、部屋まで聞こえていて全然寝られない・・・いっそ話に混ぜてもらおうとロビーに向かおうとすると、その気配に気付いた夫はこちらに向かって駆けつけ、両手を広げてわたしを制止しながら「なっ・・・なにしに来たの!!!」と漫画かのように道を塞いできました・・・
ア然としてしまい、「先寝るって言おうと思って・・・」と言うと、「寝て」と言われ、「奥さん放っておいていいの?」「寝るってさ〜」とその後もずっと会話を聞かされ続ける羽目に・・・
夜中・・・2時くらいかな・・・に戻ってきた夫は上機嫌でした。このあたりではもうASDだという気付きもあり、なんとか対策打ちまくっていたカサンドラまっしぐらな時期です。
・あまりの長時間にわたる痛みで失神してしまうほど、という悲劇的な謎の持病(頭痛)をわたしは持っているのですが、夫と結婚してから2度目の発症時、「もう勘弁して、俺寝るから・・・」とリビングに追いやられ、そこからしばらくしたある朝、リビングのソファで失神後に目が覚めたところ、これから友人とキャンプに行く夫が顔を覗き込んで、「お前は頭痛くなってろよ^^」とニヤつきながら出て行った・・・
もはや悲しみとかいう感情もなく、心を無にしてました。
・録画していた映画を楽しみに観ていたら、夫が見ることもないバラエティ番組を録画しすぎて、最後1時間が録画されていなかったんです・・・がっかりとモヤモヤを抱えつつも怒らず、「こういうことがあったんだけど、来週も録画したいから、見ないやつ消してもらってもいい?」とお願いすると、「なんで・・・?」と。「いや、録画できなくなってるから」「録画して観たい映画があるの」と言うと、「別にいいじゃん、録画できなくて何が問題なの・・・?」って不思議そうな顔をして言ってきました。
これは最近のことなのですが、意地になって言ってきているのか、共感力もここまで無いとなるともはや清々しいとすら思えてしまいました・・・ちなみにわたしの不在中に、夫が食べた魚の缶詰の汁がキッチンとリビングまで飛び散って臭っていた時に「飛ぶのはしょうがないかもしれないから、その後に拭いてね」と言った時も「なんで・・・?俺は気にならないからこれからも拭かない。それはお前の基準でしかない」と返ってきました・・・
・暴言を吐いても、こちらが同じトーンで返すことはもはやなく、諭したりすることもやめて、言われっぱなしで放置するようにしていたら、どうやら「こう言えばこいつは黙る」「効果的!」と誤った学習をしてしまったようで、最近は「うるせえ、黙れよ」「てめえでやれや」「俺の家から出て行け」を常用するようになってしまった。
こういう言動をして自分の中にいやな気持ちが残らない人(おそらく脳の報酬系があまり活発じゃないので、こうした強気な暴言を吐いてスカッとしたいという衝動的なものでしかなく、もはや言ったことすら本人は秒で忘れる)と一緒にいるのはやっぱり無理だな、と、知るべきことを見せられているようなきもちになっています。
結果として気付いたこと
あの・・・カサンドラの方ならわかると思うのですが、こういうことって毎日なんですよね。
こういうことがある代わりに、同じくらい心惹きつけられることがある、とかいうことは全くないんですよね・・・
これまでの10年でこれだけ、ではなくて、まじでこういうことが毎日ある。
なので、あまり書くとわたしも要らん感情が湧いてきそうなので、ここらへんでやめて、まとめます。すみません。
1. 夫からの影響でとてもポジティブなこともあった
夫と一緒にいるより前のわたしには無かった、
おそらく今世で得たいと決めてきた、みたいなものを与えてもらってきたということ。
例えば「お金は使っていいんだ」という自分への許可。
わたしは節制や管理が得意な真面目な性格ゆえ、お金がいくらあってもなんだか不安になり、どれだけあっても貯金してきた。
今思えば、年に一回は海外に絶対行く!とか、やたらめったら色んな資格に手を出してお金を使ってしまったり、そうやって経験のためにお金を使うことはなんらかの糧になると思って出費してきました。
でも、高価な外食をする!とか、ブランド物を買う!みたいなことって、あまり興味を持てないというか、興味を持たないようにしてきた気がします。
それが、夫と一緒になってからは「俺は時々、贅沢がしたい!」「俺が働いて、お金はあるんだから!」とたまにお金を使うようになり、なんだかお金を使うことへの罪悪感のようなものがなくなった気がします。(ちなみにわたしは基本的に全然使いません)
あと、興味を持たないように自分のきもちに蓋をしてきたけれど、実際に経験をしてみることで、「やっぱりこれではわたしは本当の幸せは感じないんだな」という確認もできた気がします。未練がなくなるというか。
これはきっと、夫と一緒にならない限り経験できなかったかも、と思っています。
あと、「なんでもオッケー」という姿勢。
アスペルガー受動型の特性な部分も大いにあるかもしれませんが、、、夫から禁止されるということが本当にない。
たとえばですが、体調が悪くて食欲がないけど、どうしても今日はお酒が飲みたい・・・!という状況でも、
普通なら「えー何言ってんの!消化にいいもの食べて早く寝なよ」とか言いそうなものを、
「飲みたい時は飲んだらいいよ〜付き合うよ」
っていう感じなんですよね。
正直、過干渉気味な親の元で育ったこともあり、ものすごい自由でいられる、なにをしても責められないんだ、という感覚を持てるようになった気がします。
2. わたしに慢心があるということ
夫が自分の言動についてなにも覚えていなくて、やたらとわたしのせいにしてくるので時々確認のために「あなたがこう言ったからわたしはこうしているんですよ、こう言われたからこれはこうしているんですよ」という文面をLINEしたり、
「わたしはこういう場面でいつもこういう気持ちだから、急にキレるのではなくて、次からはこういう風にしてもらえるとうれしいよ」とかいうことをやんわり伝えるのですが、先日夫から、
「ミミーがいうことをすべて正しいものとして俺はこの先も矯正され続けるのは堪えられない」って返ってきたんです。
矯正・・・・・
なんだかこのワードはショッキングでした。
そうだよねぇ、、、夫にとっては、なんでもアリなんだもの。
暴言も、嫌味を言いたいだけ言うのも、それでいて数分後にはバラエティを見て大笑いをしているのも、もうそんな発言をしたことすら翌日には記憶からなくなってしまうことも。
でも、夫にとってはそう感じるんだと思ったら、そうなんだなと。
なんかわたし、結局は「こうなることが夫にとっていいに決まっている!」「夫は困っているはず、少なくとも職場の人とかは夫のことで困っているはずだし、これを解決できるのは自分だけ!」「最大限の配慮と、最高な対策!」みたいに勘違いしてきたんだろうなと。
自分がやるべきことで成果を出せていない分まで、なんかこの人から「精神的報酬」みたいなものを得ようとしているのかもしれない、、、
「わたしは、わたしがやるべきことに没頭するべきなんだわ」
そんな直感が降りてきました。
3. 完璧な試練を与えてくれている
考えてみれば色々あるので、例えば、なんですけど、、、
わたしは親との関係があまり良くなくて(理由は分からないのですが、母はどうしてもわたしを許せない気持ちがあるみたいで定期的にメンタルが崩壊して連絡がきます・・・)、正直、できるだけ会わない方がいいと思っているのですが、
それゆえ、子供を持つということに対しても、なぜだか真っ先に「親に見せに行くことを考えたら気が重い」と思ってしまうんです・・・
あと、自分が親に対して小さい頃から抱いてきた不信感とか安心できなさみたいなものを、自分も子供に持たれるんじゃないかと思うと、なんのために子供を持つんだろう?と思ってしまったり。
重ねて、夫には、妊娠したんじゃないかと伝えたら、前述のように言われてしまう。
義妹からは(夫の家族は全員発達障害の特性があります・・・)、「(うちの子の)イトコまだですか〜?」とか連絡が来る。
「どいつもこいつも〜!!!泣」と思っていた時期もあったんですが、続けば続くほど、
ん? なんかこれ、おかしくないか?・・・と。
これ、子供を持てない自分に執着するのではなく、そう言う風になってしまった環境を責めるのではなく、
身軽だからこそ達成できる、この人生でやるべきことがあるフラグなんじゃない?
・・・と。
そんな直感が降りてきたんです。
そしたらなんか、こうしたことも起こるべくして起きているんだなぁと・・・
母が苦しんでいるのも、わたしにやれることは全てやったから後は彼女が自分の人生を楽しめることを信頼して、適切な距離をとって委ねるしかない、とか、
夫も義妹も、マジで悪気なく言ってるし、それによってわたしが気分を害したとしても「こういう人間がこの世にはいる」とここまで知れたら今後の対人関係で病むことはずっと減るだろうし(もはや「他人の言ってること」で片付けられる)、彼らに困ることがあっても無くても、わたしがどうこうできることではないと思ってそこに思いを馳せることはやめよう、とか、
抱えてきた、いやな気持ちが成仏していくんです。
(この場合、本当に子供を持ちたいというきもちがあるのであれば、こうしてきもちを片付けることはできないと思います。わたしの場合、本当は持たなくていいと自分自身は思っているのに、持っていないという現実について、こうして周りの人の言動のせいで自分は苦しんでいるとすこし転嫁しているような気がしてきているんです)
そして同時に、今やっていることには打ち込めている・・・
ここまでのやりたいことに出会えて没頭できているのは夫のおかげで・・・
まだ成功と思えるだけの成功はしていないけれど・・・なんかこれより上のステージにいくにはメンタルも伴わないと無理な気がする・・・
ん?あれ?・・・なんか全部が完璧に与えられているんじゃない?
なんかこれ、ここでこうしたトラブル(とわたしが思っていること)とどう向き合うべきか、試されてるんやない?
これまでの人生の淀みまくってた時期も、そういうことやったんか・・・?!
となったんです。
あと、わたしそれなりに人を見る目はあるというか、めちゃくちゃガードも硬いタイプなのですが、なのになぜ夫と付き合い結婚してしまったのかと自分を呪うことも100万回くらいしてきたのですが、
たぶん、夫である必要があったんだと思います。これもまた完璧だった。
夫の「外ではすごい評判良くていい人なんだけど、実際は筋金入りの発達障害」という変化球も、めちゃくちゃ絶妙だったんだなと、なんだか天の采配に感動するやら感心するやら・・・と思ったりもします。
あいつが悪い、こいつのせいで自分は嫌な気持ちにさせられている、というのではなく、
あの人もこの人も、自分の思うままに表現していて、ありのままの自分で愛されたいと思っている。もちろん、わたし自身も。
だから、責めたり、否定したり、そうした負の感情で反応するのではなく、
「あなたはこう思うんだね、そうなんだね」「なるほどね」
と全肯定する。
その上で、「わたしはこう思うから、こうするよ。」と行動する。
「全肯定はしつつ、同調はしない」といった感じで。
そこには上も下もなく、ただ「違いがある」というだけで、それを認めて、それぞれがいいと思うようにやったらいい。
(決して意固地になって頑固な行動をとったりせず、自分の言動がかならず自分のこころを軽くする心地よいことしかしない)
それができるか。
どれだけ人を認め、許せるか。
同時に、自分がやるべきことに突き進められるか。
なんかその要素がめちゃくちゃ上手い具合に現実世界に織り込まれているようにしか思えないんですよね・・・
まとめ
なんだかダラダラと長くなってしまってすみません・・・
読みづらかったかもしれませんが、どなたかの参考になる部分があればとてもうれしいです。
あと、わたしと同じように、「魂を磨く」「徳を積む」みたいなことのためにこの世に生まれてきたんじゃないか・・・と感じて来られた方には、ぜひこちらの本を読んでいただきたいんです。
いや、これは噓くさい・・・と思われるかと思いますが、
科学的に測定できる形で "徳" は備わっていて、個々人の "徳" のレベルによって展開する現実のステージが変わってくる
といったことが書かれています・・・
わたしはこれを読んだ時に、「あれ・・・自分の生き方間違ってなかったんや・・・」と衝撃を受けました。
確からしさが証明できるわけではないけど、これは本当だなと思えた。
弱小ブログゆえ、この本の紹介リンクが働いているか分からないので、読んでみようと思っていただけた方、ぜひこちらのリンクからのぞいて買って見てくださいね。(ド直球なお願い)
よければ、ぜひ instagram @suzuyama.mimi のフォローと適当にイイネ!もお願いします。読んでもらっている方がいるのかな、という実感が出てきたらまた続きをいろいろと更新しようと思います。
皆さま、カサンドラの将来は、きっとめちゃんこ明るいです。
なぜなら、ここまでの試練を与えられるのは、期待されまくっているから・・・!
もうそうとしか思えないわたしがいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!