【カサンドラの葛藤】それでもアスペルガー夫と離婚していない理由を整理してみた

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こんにちは。
今日も悩める、鈴山ミミーです。

 

「もう無理・・・限界!!!!!」
「でも、別れる決意ができない・・・!(泣)」

 

これを読んでいただいている方の多くは、そんな葛藤を幾度も繰り返しながら過ごされているのではないでしょうか・・・

 

私も、まさしくそのうちの一人です。

 

今回は、そんな苦悩の中にいながらも、
なぜ私が「受動型アスペルガー」と「ADHD」の傾向を持つ夫と
まだ別れるに至っていないか?を綴りたいと思います。

 

とても個人的な考え方ですので、軽くお読み流しください。

 

 

 

 

私の人生の最大の目的は?

 

どーん!
いきなり、壮大すぎるテーマ持ってきました。

 

私は会社員時代、仕事を辞めたいと思い悩んだ時期がありました。

その時の仕事は、普通にやれていたんです。
少し難しくはあったけど、乗り越えていくのが快感だった。
給料も待遇も、すごく良かった。
でも、そのまま生きていくことが、なぜか、すごく怖かった。

 

「自分はこれからどうしたらいいのか」
「何をしたいと思っているのか」

そんなことが恥ずかしながら全く分からず、

 

いろいろなジャンルの本を手当たり次第に読み、
自己分析をこれでもかというほどやりました。

 

その時の経験から今に至るまで、忘れないようにしていること。

それは、

 

「24時間365日、無限にやり続けられるくらい興味のあることに力を注ごう」

 

ということです。

 

その人が真の力を発揮できる場所って、人それぞれだと思うんです。

 

どんなに光り輝くグッピーに憧れたとしても、
彼らと同じ場所で、深海魚は生きられない。

どんなにシロクマに憧れても、
ヒグマは南極の氷の上では生きていけない。

 

日々の雑多なことに追われ、
「こうあるべき」という周囲の声に思い悩んで、
「どう見られているか」ばかりを気にして、
これ以上、自己犠牲的に生きないよう、

 

まだ見つからない「自分の軸」を探すべく、
思考を掘り下げて掘り下げて、
考えました。

 

明確な「正解」を発見したわけではなく、
今もまだ手探りで現在進行形ではありますが、

私の場合、この答えが「芸術分野」のことでした。

正直、なかなかお金にならず、難しいところ。
がんばっていればお金になるのかもしれない。
し、ならないのかも分からない。

 

でも、

 

これに打ち込み続ける限り、私の人生は豊かなものになる

 

そして、

 

これで成果が出せることが何よりの幸せだということ

 

に気付いたんです。

 

人生における最大の目的は、
お金でも、富でも、名誉でもない。

この目的に向かって生きていければ、
あとはそこそこ足りていればいいかという
自分の内にある願望に気付きました。

 

つまり、ここまでずっと夫のことで思い悩んで心身病んできたけれど、

 

唯一無二の最高の伴侶探し

 

は、私の人生の最大の目的ではない。
そう思ったんです。

 

唯一無二の最高の伴侶探し

 

が自分の人生最大の目的ではないのに、

私は「最高の伴侶探し」もしくは
「最高の伴侶を作り上げること」
についてめちゃくちゃこだわっていないか?

そこに時間とパワーを使っていくの?

ていうかもはやそれ幻想じゃないの・・・?

 

もちろん、パートナーは欲しいですよ。
そしてそのパートナーには、
私の人生最大の目的に対して、
よき理解者であってほしい。

 

・・・そうなんです。
夫の場合、この点においては
最強のよき理解者なのです。

 

「人生とはやりたいことをやるべきで、人の意見に振り回されるべきじゃない」
「ミミーのやってることを俺は誇りに思ってる」
「楽しいのが一番、家事なんて二の次でいい」

 

私の心の動きや気持ちは読めない、
不注意・物忘れが大爆発の夫ですが、
ここに異様なまでの寛大さと理解があるのです・・・

 

そのため、

夫の言動についても「脳の特性である」と、
私も理解をしようしようという
気になってしまうのです。

 

(ただそうは思っても、夫の言動が私の気持ちの堤防をしばしば凌駕してくることもお伝えしておきます。)

 

パートナーの特性に気を取られてばかりいたら、
一旦、自分が今後歩みたい人生を見つめ直してみると、
新たな視点が出てくるかもしれません。

 

でもね・・・やっぱり情緒的な交流っていうのが、私にとって、パートナーに一番求めることではあるのです。辛い時には頼れない。心の支えになることはない、むしろ心が乱れないようなるべく考えないようにして生きている・・・

 

 

( やはり私が求めすぎなのですか・・・? )

 

問題の本質を見失っていないか?

 

夫の言動のことで、心身が疲れている時。

最近、自分に掛ける言葉があります。

 

それは、

 

「あれ?私、悩みたいのかな?」
「がんばって悩もうとしている?」

 

です。

ひとつ、例を挙げて説明します。


<ここからの話はセンシティブな内容も含みますので、話題として苦手だという方はご注意下さい。>

 

アスペルガー夫に妊娠したかもと伝えたら

 

まだ、付き合う前。
知人として、当時の夫と人生観について話していた時のこと。

 

話の流れで、私は夫に、

  • 子どもはできたら欲しいと思っているけれど、子どもがいなくても2人で楽しく過ごしていける人
  • もし産まれた子に障害などがあっても、一緒に楽しく育てていける人

この2点がとても重要であると、私の中にあった、結婚相手に求める理想像の話をしました。

 

この後まもなくして、夫に「付き合おう」と言われます。
お互い、大学を出てから何年も働いた後で、もういい大人でした。

 

「あぁ、この人は私と同じ価値観なんだ」

 

と、私は思います。よね。

一方で夫は、私の話なんて覚えていないわけです。

 

「自分の意見を持ってる人だなあ。(内容は覚えてないけど)」

 

なわけです。

 

その後、二人は結婚。

付き合う中で、なんだかもやもやすることが多々あり、
別れようかどうしようかという時に決まった、夫の転勤がきっかけでした。

 

結婚から2年ほど経った頃。

「妊娠したかも?」と思うことがありました。
まだ、夫の発達障害などについて発覚していない、もやもや期でした。

正直、私自身、子どもを持つことがまだ具体的にイメージできておらず、
とりあえず夫に話してみることにしました。

 

「そ、そうか・・・!それは!楽しみだな!」
「ミミー、身体に気をつけなくちゃな!」

 

うろたえながらも、そんな頼もしい言葉を言ってくれるだろうと
安易に期待していました。

 

そして実際の夫の反応は・・・
泣き出すんじゃないかというくらいうろたえながら、

 

子どもがいたらお金がなくなっちゃう・・・
堕してほしい

 

でした。

 

未だにこれは、トラウマ案件です
(ちなみに妊娠はしていませんでした)

 

この件については、
夫にアスペルガーADHDの可能性があると夫婦間で共有した後、

 

「妊娠がわかった時には、でかしたぞ!やったー!って私を持ち上げてくるくるしてね」
「そしてまだ子どもが欲しいと思えないなら、それまではちゃんと避妊してね

 

と伝えました。

もう二度とあの言葉を聞きたくない・・・と思って、釘を刺したわけです。
言わなければ、分からないから。
(この時はまだ「言っても分からない」とは知らなかった。)

 

それからしばらくして、また妊娠疑惑が浮上しました。

毎回、避妊をしないことについてその現場で確認を取っていたらさすがにしらけると思って質問してはいなかったものの(もしくは聞くのが怖かったのかもしれません・・・)、

最近、避妊しないということは、そろそろ子どもを持ってもいいと思ってくれているんだと思いながら、おそるおそる、夫に話してみました。

 

夫の反応は、

前回と一緒でした

(この時も私の身体に異変はあったもののおそらく受精後に着床せず、結局授かるには至りませんでした)

 

夫は子どもを持たず、経済的に余裕のある生活をすることが理想のようで、
自由で勝手気ままな生活ができることを周囲にアピールする節があります。

 

お子さん連れの家族と一緒になる行事や、親戚に子どもが産まれるたびに、
私のこころはざわつきます。

 

妊活なんて聞くと、「夫婦二人で同じ方向を向いているんだ・・・」と、
なんとも言えない虚しさにおそわれます。

責任感なく堕してほしいとかいうの、ただの人殺しだからね

後日、あまりに嫌気が差して言ってしまったこの言葉も、
夫の中にはもう残っていないでしょう。

 

そもそも私が思い描いていた結婚とは

 

先に書いた通り、私はそもそも、

 

「子どもはできたら欲しいと思っているけれど、子どもがいなくても2人で楽しく過ごしていける」

 

ことが理想だと考えていた。

 

絶対に、子どもがほしいと考えていたわけではなかった。
いたらいたで楽しいだろうし、でも、治療してまで授かりたいというわけではなかった。
いなくても、2人で楽しくやっていけたらそれでいいと思っていた。

 

なのに、なんで私、ここまで子どものことに固執しているんだろう?

結果としては、

「子どもがほしいと二人で願い続けたけど、授からなかった」

ということと一緒なのに。

 

夫の言動に嫌悪感を抱くあまり、そのことばかり考えてしまって、

あれもいや!これもいや!ぜーーんぶいや!!
って怒りや悲しみを増幅して、

何もかもをアスペルガー夫に転嫁しているかもしれない。

 

そんな風に、思うことが最近あるんです。

 

私の人生最大の目的って、何だったっけ?

そこに立ち返り、

 

「いけない、完全に感情を引っ張られてる・・・」
「これは私に新たな困難を与える宇宙のパワー・・・!」

 

と、思ったりしています。
(スピリチュアルなことには傾倒していません)

 

「あれ?私、悩みたいのかな?」
「がんばって悩もうとしている?」


無限につづく負のループを断ち切れたり、
少し違った視点から物事を捉えるきっかけとして
ぜひ、使ってみてください。

 

ちなみに私の中のベストアンサーは・・・

「これから◯年間トライしてみて、授からなかったらそれ以降は2人で楽しく過ごすことにしよう。」
もしくは
・こちらが納得できる「子供がほしいと思わない理由」を提示する。

です。

子供を持つかどうかってとても重要な問題だから、無理強いするつもりはないんです。
でも、「特に理由はない」「じゃあお金が勿体ないってことで」って言われると
「ちょっと待ってよ・・・」となるんです。

おそらく、家庭の外では外面良男100%で振舞っていて無理があるため、
「自分一人のことで手一杯なのに面倒を見る存在ができるなんて無理だ」
ということを自覚しているんじゃないかなと思うのですが・・・

育った家庭環境とかその他、深層心理でもなにか思いがあるのでしょうが、
そんな高等な記憶力と思考回路を持っていないので聞き出せず、
ものすごくもやもやしたままになるのです・・・。

 

私の価値観を押し付けている?

 

そもそも、私が自分で選んで結婚した相手です。

他の人より、「この人だ」と思った人なわけです。

 

正直、人としての素質としては、私よりよっぽどいい人間だと思っています。
実際、私以外で、夫のことを悪く言う人はいないとさえ思います。
(外面良男100%ですからね。)

 

そして我が家の場合ですが、
少しずつ、お互いに理解を深め、夫自身も次第に自覚して、
どうにかしようと努力しようとしてくれてはいて・・・

 

それだけに、なんだか私が「我こそが正義!」という
大前提を突きつけている気がして、
いやな気分になってしまうことが度々あるんです。

 

これは私にとっての正解ではあるけれど、
夫の世界では、自分の考え方とは全然違う。
理不尽なことで責められていると感じているんだろう、とか。

 

あと、どうしたってアスペルガーADHDというのは「脳の特性」だから、
夫には、私が話したことから意図を汲み取ったり、
その情報を積み上げて、組み合わせたりして、
今後に活かすということは期待できません。

 

だから、うれしいことも悲しいこともどうせ忘れるんだし、
話した前提での会話ができないならもう話さない方がいいと思って、
コミュニケーションを取ることをやめてしまうんです。

 

これも、「人と人なんて、解り合えない」のが当然であって、

理解しあっているように見える夫婦も、
実際は「どちらかが我慢しているだけ」なのかも・・・

私は彼に、私のこともっと分かってほしいと
ただワガママをいっているだけなのかも・・・

と、やるせない気持ちになることがあります。

 

▽こう思うのは、私がHSPの特性を持っているから・・・?
参考記事はこちらです。

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

 

いやはや。
書きながらも実感する、これぞカサンドラ症候群
本当、考えたくないと思っても葛藤してしまう・・・

 

今日も悩めるカサンドラの皆さまに、読んでいただいて参考になる部分がありましたら幸いです。

 

そして皆さま、今日もお疲れさまです。
(心の底から!)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!