この世にはなにか仕組みがある(序章)

こんにちは。鈴山ミミーです。

 

前回の投稿から、半年が経ってしまいました。

皆さま、お元気でしょうか。

 

入籍から早10年が経とうとしていて・・・

正直、あの頃には10年後、こんな気持ちでいるとは思っていませんでした。

 

今日書くことは、こんな方に読み進めていただけたらと思いながら書いています。

 

こういう方にオススメ

  • パートナーの発達障害について色々調べては対策しまくったけど何もうまくいかずどうしたらいいか分からなくなっている
  • これまでの人生がんばってきたのに、なぜこんな仕打ちを受けなければいけないんだという絶望感がある
  • 同じカサンドラな方の情報に触れる中でなにか違和感を感じる、相手を責める姿勢を見聞きしていると、共感する一方で、なんだか心が重くなることがある
  • 現状を打破する突破口がほしい

 

つまりこれ、わたしです。

 

ちなみに、発達障害のパートナーを持つ、カサンドラといわれる側からの話がメインになりますので、その点、重々ご承知ください。

 

 

 

 

なぜこうなる?見事な八方塞がり

 

ずっと、発達障害の特性を持つパートナーと向き合ってきた方には、その発信を拝見するに、とても真面目で、気が利く、聡明な方が多いような印象を受けます・・・

他人には理解してもらいづらいことに加えてベラベラ口外するのも気が引けて、ひとり奮闘されてる方も多いのでは。

 

なぜ自分がこんな仕打ちを受けないかんのだ?

なにか悪いことした?

 

そんな風に思っている方も少なくないというかそういう方がほとんどなのではないのでしょうか・・・

 

これまでの人生もハードモードだったり、今の生活から逃れようにもなんらかの理由で抜け道を見出せなかったり。(例:経済的に夫の収入に頼ってしまっている、実家を頼りにすることが難しい、等)

 

わたし自身、

 

「人生って、うまくいかないように、めちゃくちゃうまくできてるな・・・」

 

って時々感動すらしてしまいそうなほど、何もかもがうまくいかないと感じてしまうこともあります。

 

 

発達障害のパートナーを責める気持ちへの罪悪感

 

ここ最近は発達障害関連のワードに知名度が出てきたのか、多くの記事や動画を拝見しています。

 

そして、とても論理立って、共感しかない内容に

「うわぁ、うちとめちゃくちゃ一緒だわ・・・」

「やっぱりこれって特性なんだ・・・」

と見聞きするとともに、

 

なんだかモヤッとするというか・・・

謎の罪悪感に包まれます。

 

「あなた、夫のダメなところをあげつらって、自分の正しさを証明したいわけじゃないんですよね?」

 

と、まるで誰かに言われているような・・・。

 

 

 

この、八方塞がりに罪悪感トッピングというスペシャルセット。

なぜこんなものをわたしは頂いているのか。

 

そこには、絶対に理由があると思うんです・・・

 

 

こうなっていることには絶対理由があるという確信

 

というのも、わたしの人生、定期的に「とんでもない淀み(よどみ)」にハマることがあって、、、(それなりにメンタル強いほうだと思うのですが、本当に死を考えるレベル)

 

その後に、スコーン!と抜けるということが、今までに2度あったんです。

ちなみに抜けた後は、「解決した〜!」とかいうレベルじゃなくて、明確に、人生のステージが変わってしまう感じです。

 

「わたしの人生にこんな素晴らしいことが起きるなんて・・・夢みたい・・・!!!」

って、それはもう、この世に生を受けたことへの感謝が止まらないレベルで。

 

なんだか今思うとそれがすごく不思議な体験で、

「一体あれはなんだったんだろう・・・こういう経験してる人って、他にもいるんだろうか・・・」

 

ってずっと思いながら生きてきましたが会えた試しがなく、

 

今回の人生状況も淀むとこまで淀んできて、これは・・・きとるな・・・と思っていたところ、下記の youtube を見て驚いたんです。

 

わっっ!!!!

同じこと経験してる人!同じ思想の人がいらっしゃる!!!!!

 

と。

 

最後にもまた同じ動画リンクを貼りますので、とりあえず先に読み進めていただけたらと思います。

 

www.youtube.com

 

 

この世にはなんらかの仕組みが絶対にある

 

お話されている、田坂広志さん。不勉強なもので存じ上げなかったのですが、東大卒で理系出身、社会に出てからも数々の華やかな経歴をお持ちの方が、めちゃくちゃ真面目に、ちょっとスピリチュアルっぽいことを仰ってるんですけど、

 

まさに、自分の人生で経験してきたこと、自分が大切にしていることと一致しすぎていて、いろいろな動画を一気見してしまいました・・・

(わたしなぞこの方の足の小指の爪の垢にも及ばないという点には突っ込まないでください)

 

ちょっとスピりはじめたターニングポイント話はこちらをお読みいただければと思います。

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

 

世の中では、科学的に証明できないような理解しがたい話を「スピリチュアルだ!(怪しい!!!)」と敬遠する風潮がありように思いますが、田坂さんが話されているように、正直、こうしたことって、

 

この世の仕組みそのものでしかない

 

と個人的には思っています。

 

わたし自身、物心ついた頃から、「この世にはおそらく魂を磨きにやってきている」「徳を積むためにこの人生が与えられている」となぜか考えながら生きてきたのですが、

 

夫は、魂だとか生まれ変わりだとかそういうものも一切信じておらず(というかそもそも考えたことがないそう)、死んだら消えてハイおしまい、徳って仏教の概念でしか使わない言葉でしょ、くらいの感じで・・・

だからこの人生は楽しんだもん勝ち〜という思想らしく・・・

 

なにかあっても、感情を表に出さず、諭すように淡々と話すわたしに

 

「そこまで論理的にこっちのことまで考えたやさしさと強度のある提案を言われたら、こっちとしてはぐうの音も出ずに、カッとなって怒りで返すしかない・・・」(おいおいなんでだよ・・・)

「ミミーって、一昔前の人というか、お坊さんみたいだよね・・・」

 

と、よく言われます。(精神を鍛えさせてくれてありがとうと言いたい)

 

 

でも、世の中を見た時に。

この人本当にすごいなって、ずっと成功し続けたり、語り続けられたりしてる人って、

 

絶対に、人格者じゃないですか?

 

いい人で成功できていない人は居て、きっと成功(と一般的に言われるようなステージ)までの途上で上がっている途中なんだと思うんですが、

 

中身が伴わずに、すばらしい人生送ってるような人っていなくないです・・・?

 

これって 100% 因果関係があるようにしか思えなくて、

なんだかわたしは小さい頃から「人生研究家」みたいに生きています。

 

 

というわけで、なんだか気になってきた、という方。

下記、田坂広志さんのお話、ぜひご覧になってください。

 

田坂さんのお話に共感される方には、今後書いていくことも参考にしていただけるんじゃないかと思っているので、またお読みいただけるとうれしく思います。

 

 

ここ最近での気付きや、わたしの考え方に共感する方にめちゃくちゃ読んでもらいたい(!)本など、次回以降、ご紹介していけたらと思っています。

またよければ、本ブログの更新通知をしている instagram をこっそりフォロー・適当にイイネしてもらえると、また書く励みになりますので、ぜひポチッとよろしくお願いします。

(コメント/DM含め、皆さまとの交流は全くしていないのですが・・・なにか反応がないと書くのもなかなか腰が重くて・・・甘えたこと言ってゴメンナサイ 爆)

 

instagram: @suzuyama.mimi

 

田坂さん、力強くもやさしさをひしひしと感じる口調からも、お人柄が伝わってきます。

皆様の心にも、届きますように。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

www.youtube.com

 

【 意識して手放そう!】負の感情を持つことで得ているメリット

こんにちは。鈴山ミミーです。

 

朝晩の寒さも和らぐこの頃、「春眠暁を覚えず」と昔から言われますが、

季節に関係なく秋口頃から毎日7時間快眠モードのわたしです。

 

なんででしょう・・・異様に眠すぎて、小学生ぶりに寝てます・・・

寝ることが急にすばらしいことに思えてきて、ここ二十ン年、ショートスリーパー自慢してきた自分を殴りたい気持ちでいます。

 

 

さて、今日は、忘れないうちに備忘録も兼ねて、

ここ最近の気付きについて綴りたいと思います。

 

「何度も何度も言ってるのに、どうやったら忘れられるの・・・?!」

「なんでこんな非効率的なことやって、しかもあなたがキレてるの?!(泣) 」

 

・・・といった感情。

これまでの人生で、一度はお持ちになったことがあるのではないでしょうか。

 

 

愚問でゴメンナサイ!

 

 

その感情、もしかしたら、「負の感情」ではないのかもしれません。

 

というのも、そういった感情を持つというのは、そうすることに メリットがあるから であって、負の感情と同じだけ、実は得ているものがある、という話です。

 

私自身、このことに気付いてから、自分の感情をますます観察するようになり、

負の感情を自分は持ちたくて持っていたんだな、

もうそんな感情をもてあそんで疲弊する必要はない、

 

と思えるようになってきたので、

 

もし参考になる部分があればと思います。

 

 

 

 

すべてのことはポジティブでもネガティブでもない

 

この世のことは、すべてのことがフラットであり、良いも悪いもなく、

ポジティブでもネガティブでもない。本質的には、無である。

そうしたことは個々人が意味付けているだけ。

 

といった話を耳にしたことがあったのですが、

 

その時、わたしの中で「確かにそうかもしれない・・・」という気持ちと、

なんだか現実的には落とし込めない感覚が、同時にあったんです。

 

でも最近、そのことを思い出して、一旦気付いて腑に落ち始めると

急にストンと理解できてきて・・・

 

 

というのも、夫が何回も何回も、わたしにとって理解不能な言動を繰り返すわけです。

こちらがどれだけ先回りしても、それを超える奇想天外なことをしてくる。

どれだけ配慮しても、言い方を工夫しても、試行錯誤を繰り返しても、ダメ。

こんなにうまくいかないことってあるんだ・・・と、もはや感動するくらいに。

 

この10年くらいで、ものすごい色々試してきたわけですよ。

関わり方にしても、伝え方にしても。伝えるタイミングや、

相手の気分を害さないような言い回しまで、もうそれは試しました。

100回やろうと、まるで1回目のようなテンションで接するわけです。

次第に感情はすり減り、暴言を吐かれようが、理不尽なことを言われようが、

ブレなくなってきた。( ※ 言葉にならない虚しさはある)

 

 

でもね、あーこれは言わないとな、という場面でね。

負の感情が募って、メーターがレッドゾーンに差し掛かって、

なにかしら言うわけです。

 

たとえば、

「何回も同じことやってるのはそっちなのに、怒らないでよ。やらなければ、わたしだって注意する必要もないんだから、そしたらもう二度とやらないでよ。」(絶対の絶対にまたやることはわかってる。まじでおでこに注意書きでも貼っておいてほしい。)

とか。

 

・・・で、思ったんです、この前、急に。

 

(あ・・・わたし、この人より自分は学習している、優れている、って思ってるんだ。)

 

って。

 

夫に対して不満を抱き、心の中で負のループに入るたびに、

 

この人はできない人だ、覚えられない人だ、学習しない人だ、

それに対してわたしはこんなに分かっている、とっくに学習している

 

と、心のどこかで思っていると。

 

 

うわーーーーこれって、恐ろしいな、、、、、

と、ちょっとぞっとしました。

 

というのも、これ、一つ前の記事で書いたことにつながると思うんですが、おそらく自分の人生で向き合うべきことにきちんと自分自身が向き合えていないことに対する不満を、

夫のことを相対的に下げることで、自分が上がっているように錯覚させている んじゃないかと思ったんです。

 

なにも、なにも変わっていないんですよ。現状は。

 

わたしが向き合い、解決すべきことはなにも変わってないんです。

だから、イライラはそのままなんです。

このスタンスでい続ける限り。一生。

 

夫に対して、お前はだめなやつだ、という感情を持ち、

わたしはこんなに優秀なのに、とっくに学習しているのに、

なんならあなたの思考の傾向まで分かってきていて、

もはや行動予測さえできるようになってきているのに・・・

 

そんなよく分かっているわたしが!あなたのせいで不幸なのよ!

全部あなたのせいなのよ!!!・・・って、

 

やっぱり人のせいにして自分の人生の責任逃れをしたいだけなんだなって思ったんです。

 

一旦、そのことに気付いてから、なにかに負の感情を持つたびに、

 

「あぁ、負の感情っていうのは、一方では同時に、わたしはそれができるのに、とかいうプラスの感情も生み出しているんだな」

 

と、妙に客観的に見られるようになってきました。

 

 

あと、負の感情の裏側にある「わたしは〇〇なのに」という部分に、

もっと発揮したい、発揮しきれていなくてもやもやしている、

自分がここから行動するべきヒントがあるかもしれません。

 

 

 

違いがあるからこそ、自分がわかる

 

たとえば、世の中にたった一人、自分しかいなかったとしたら。

良いも悪いも、美しいも汚いも、価値基準を設定できないと思うんです。

 

 

比べるものがあるから、物差しができる。

 

 

食べ方が汚い人が、いる。

「うわぁ、あんな食べ方するんだ・・・」

「不快だな・・・いやだなぁ・・・」

と思うと同時に、

「わたしのほうが、きれいに食べられる」

「あの人よりマシ。」

と思っている。

 

 

ちょっと、徒党を組んで人の陰口を言うのと似てるかもしれません。

現実はなにも変わっていないんですけど、思考の範囲でだけ、

誰かを下げることで、自分は上がったような気持ちになれる。

 

頭の中でだけで、ひとりで思考を巡らせるだけだとしても、

負の感情にはそんな側面もある気がしています。

 

 

 

あの人なら、どうするだろう?

 

自分も、あぁなりたい。

そんな尊敬できる人格者、一人はいるのでしゃないでしょうか?

 

憧れのファッショニスタや、フォロワーが多いとかいう尺度ではなく、

・この人には到底かなわない、

・生きているうちにわたしにはたどり着けない境地にいらっしゃる、

くらいに思える 精神性を持ち合わせた人です。

 

ガンジーとかマザーテレサとかジョブズとかになるとちょっとかけ離れすぎてイメージしにくいかもしれないので、ビジネス書やエッセイなどでよく触れたり、そこに内面的な部分の描写がされている人のほうがいいかもしれません)

 

で、負の感情がおきた時、考えてみてください。

 

「あの人なら、どうするだろう?」

「あの人なら、ここでどういう風に考えるだろう?」

 

視点を変えて物事を見始めたら、ここからの人生が拓けるきっかけになるかもしれません。

 

 

 

まとめ

 

負の感情が起こったらまず、そこから自分はどんなメリットを得ようとしているのか?

自分のこころの声を、掘り下げ、掘り下げ、掘り下げてみてください。

どこかで、温泉が出てくると思います。(温泉・・・)

 

そして、

「こう言う時、あの人ならどう考えるだろう?」

「どういう対応をするだろう?」

と、イメージしてみてください。

 

わたし自身、人生何事も、焦点を当てたところに自分が近づいていくという実感があります。

時間はかかるんですけどね・・・そう、継続的にやることがなによりも大切で、なによりも大変。

 

でも、はじめたところからなにかが変わり始めます。

 

 

今回の記事も、どなたかの人生が、本質的に上向くヒントになればうれしいです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

【大前提】向き合うべきは夫ではない

こんにちは。鈴山ミミーです。

 

前回の投稿があまり内容のない意味不明な話だった気がして、早速、次の話を書きはじめました。笑(全然更新しないくせにね〜)

 

今回は、具体的な話をいろいろ書くにあたって、大前提となるひとつのこと。

 

 

「そもそも、夫と向き合ってはいけない」

 

 

という話を書きたいと思います。

 

 

 

 

① なぜ発達障害の夫にイライラしているのか

 

これ、毎度毎度、問題が起きるたび、感情が揺さぶられてイライラするたびに、忘れそうになるので立ち返らなければいけないことなのですが、

 

アスペルガーADHDといった特性を持つパートナーにイライラしているのは、おそらく、

 

 

そのパートナーのせいではありません。

 

 

えっ、だってあんなにひどいこと言われたのよ!あんなことだってこんなことだってあったし・・・!!!と過去のあれこれまで噴出させてしまうかもしれませんが、

じゃあ、一体誰のせいなのか?なにに苛立っているのか?というと、それは、

 

 

自分の人生の問題に向き合えていない、自分自身に苛立っているんです。

 

 

このことに私自身 気づいた時、「あぁ・・・・・」と色々と思わされました。

 

過去の記事にも度々書いたかと思うのですが、わたしは昔からなにかと「私ってなんのために生まれてきただんだろう」「こんなことするために生まれてきたんじゃないよなぁ・・・」と人生探求みたいなことを今もしながら生きているのですが、

 

21歳の頃に一度大きな人生の転換期があって、それまでの価値観とは全くちがう自分になってしまい(これは自分の中でも未だに不思議体験です・・・)、

27-8歳頃にこの人生で取り組みたいことを見つけて、今も日々、手探り進んでいる状態です。

 

参考:

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

 

そして、気が付いたんです・・・

 

・自分の仕事で、成果が出せていないこと

・経済的に自立できていないこと

 

にわたしは苛立っているのであって、

おそらくこれらのことをクリアしたならば、ここまで夫に対して不満を感じていないんじゃないかと。(もしくはそういう状況であればとっくに離れ離れになっている)

 

でね、こう思ったんです。

 

「この先の自分の人生体験のためには、きっと、このステージを通過しなくてはならないんだ・・・」と。

 

こうして、「自分の人生が自分の思ったものになっていないことに対する不満やイライラを、夫のせいにして感情のやり場を作っている」ことに気付きはじめました。

 

これは逆も然りで、夫がわたしに対して怒っている時というのもまた、

「夫が向き合うべき自分の人生の問題に向き合えずにいるやり場のない気持ちを、わたしに向けているんだ」

と、冷静に思えるようになりました。

 

 

 

② 人は自分の問題に向き合おうとしない

 

でも、その自分自身の問題ってなんなんだろう? 私にもある?(やっぱり私の場合は旦那のせいだと思う!)

と思われる方もいるかもしれません。

 

でも、誰しもの中にあるものだと思います。

 

ただ気付いていない、まだ見つけられていないだけであって。

 

 

ひとつ例をあげたいと思います。(長いです)

 

わたしは人と会うたびになんだか疲れてしまうのですが、長い間、一体これってなんだろう・・・(HSP的な資質のせい?)などと思いながら生きてきたのですが、最近になって、

 

みんな自分の本音が分からず、建前ばかりで話しているから、その不一致を聞くことに違和感を感じて疲れるんだ

 

ということに気が付きました。

 

もしかしたら、本当に自分のやりたいこと を探すヒントになるかもしれないので、この前あったことを一例として共有しますね。

 

・A子ちゃんとの会話

A子ちゃんとわたしは元々同じ会社で働いていて、A子ちゃんは今もまだ働いています。将来出世することは周りに分かるほど優秀で、本人もそれを望んでバリバリがんばっているんです。

今、2人目の子供を産んだあとのお休み中なので、久しぶりに会ってお茶をしたのですけど、その時に、

 

「ミミーはやりたいことやれてていいな、そういうの羨ましいなって思う」

 

と言われたんです。

 

「ミミーはあの部署での仕事は難しい、だから辞めようと思って、それからやりたいことを探しはじめたの?」

 

と聞かれたから、

 

「難しくはあったけどやれるようになっていくのは楽しかったし、実際に充実して仕事してはいたけど、このまま30年働くことを想像したら居てもたってもいられなくて、働きながらずっとどうするべきか模索していた」

 

と答えたんです。

 

そしたら、なんだかA子ちゃんをポカーンとさせてしまって・・・

 

「自分にはできないから、難しいから辞めたんだよね?」

 

とまた聞かれたので、

 

「わたしも、自分にはできないということを認めたくなくて強がってるんじゃないかって自分でも自分自身を疑ってみたりしたんだけど、そういうわけじゃないんだよね・・・できてたし、今やれって言われてもたぶんできるけど、

人よりできるからすごい!さすが!って賞賛されるのが嬉しいっていう承認欲求でやっていただけで、本当にやりたいことではないと思ったから辞めたんだよ。」

 

って答えたんです。

そしたら、A子ちゃん 「ふ、深いね・・・・・」って閉口してしまって。

 

「人よりできて、すごいって言われる以上の理由というか・・・承認欲求がなんなのかとかよくわからないけど・・・わたしは一体なにがやりたいのか分からなくて、だから会社で働き続けてるだけなんだよね。それが一番簡単だから。」

 

って返ってきたんです。

 

でね、彼女がこう言ったんです。

「でも2回も産休育休とって、世の中こういう経済状況だし、会社の昇給制度も変わっちゃったし、私はこのくらいのポジションまでしかいけない、このくらいの給料までしか上がらないっていうのが最近ますます分かってきちゃって、なんだか本当にやりたいことを探したいと思いはじめて・・・それに定年も早まりそうだし、このまま働くのはちがう気がしていて・・・」

 

なんかね、、、これを聞いた時に、わたしの中で、すごい違和感があったんですよ。

嘘ついてるわけじゃないとは思うんだけど、「・・・ん?」と、なにか引っかかるというか。

 

で、「もしさ、今 3億円、急にポーンと入ってきたらどうする?返済しなくていいし、本当にただもらえるお金。普通に暮らせば、一生働かなくてもいいと思うんだけど」(そもそもA子ちゃんの旦那さんはサラリーマンで安定収入がある)

 

って聞いたら、もうずっと、ずっと、キャリアウーマンというポジションしか取ってこなかったA子ちゃんが、質問から1秒後にこう答えたんです。

 

「今すぐ仕事やめて、田舎に引っ越して、産めるだけ子供産んで、子育てを存分に楽しむ!!!」(目が驚くほどキラキラ)

 

って。

 

それなんですよね。答えは。

会社の制度がどうとか、昇格とか昇給とか、そういうのはきっと後付けでペタペタとくっつけた見せかけの理由で、A子ちゃんの本心の本心は、

 

産めるだけ子供産んで、もしくはこれ以上産まないにしても、とりあえず子育てを存分に楽しみたい。だから会社をやめたい。

 

なんだなって、腑に落ちました。

 

 

わたしは内観が趣味みたいなところがあって、ずっと自分の心の動きとか、想いの真偽みたいなものを観察しつづけているので当たり前のように思っていましたが、

「それが本当にやりたいことなんじゃない?すぐに辞めないにしても、今からやれることなにかはじめてみたら?」という提案に、またポカーンとさせてしまったので、

 

きっと彼女自身でなにか気づいた時に動き始めるのかなぁと思いました。

 

 

 

③ 自分の本心を見つけて、向き合う

 

A子ちゃんの例でいうと(彼女はいわゆるカサンドラではありませんが)、きっと彼女の抱える日常に対する不満なんかも、その奥底には

 

「本当は子育てを存分に楽しみたいのに、バリバリ働くこと」

 

を自分が続けていることが原因なんじゃないかと思うんです。

バリバリ働くことへの憧れとか、周りから高い評価を受けている感覚を手放すのが怖くて、子育てが意外に楽しくてハマってしまっている、ここにきて見つけてしまったあたらしい自分(=本来の自分)を認めてあげられないんじゃないかと。

 

バリバリ働くってね・・・特にそれが、親戚 / 知人 / 友人に言っても尊敬されるような大きな会社なら尚更・・・それだけでなんだか安心するんですよね。

この世界の中で、自分の存在が承認されたような気分になるので。

 

(こうした、本心とは向き合わずに「人の目を気にした選択をする」というのは、この世界に用意されたトラップのように感じることが度々あります。)

 

自分の中にある本心に気が付いたならば、

家庭内でなにか問題があった時にも、「わたしがこんなに我慢して働いているんだから、あなたもこのくらいは我慢してよね!」

 

ではなくて、

 

「わたしは本当は存分に子育てしたい。働きたくないわけではなくて、子育てを優先したい。それっだったら、在宅の仕事ってどうなんだろう?ちょっとググってみよう」

「収入としてはこれくらいほしい、仕事内容としてはこういうことができるから・・・へーーこういう仕事や働き方もあるんだ」

 

と考え、動き始めることができ、これってもうただのワクワクする作業に変わってくるんじゃないかと。

 

もちろんすぐにとてもいい選択肢や候補が見つかるものではないと思うけれど、見つけようとしない限り、絶対に、100%、現状って変わらないです。

まぁしょうがないよねぇ、これが私たちの人生だよねぇって、みんなで集まって愚痴りあって気を紛らわすことになります。(こういうのを楽しむのも人生の一つだと思うので、否定しているわけではナイデス!そうしたことが合わない、現状をどうしても変えたいという方へのメッセージだということをご理解クダサイ!)

 

逆に、うーんどうだろう?これかなぁ、こういうのかなぁ、、と見つけよう見つけようと探求していると、不思議と向こうから、呼びました〜?みたいな感じでポーンとやってきたりします。

 

 

 

④ 自分自身と向き合おう(ミミー流 本心の見つけ方)

 

興味がある方は、こうした自己啓発系の関連書籍など色々調べていただいて、ぜひご自分に合うものを見つけていただきたいのですが、

わたし自身、いろいろな本や情報を元にこれまで試してみて、自分の本心(本当にやりたいこと)を探し当てるために、

シンプルにこの2つの質問を、自分に問いかけています。

 

 

1.  24時間 365日やれるなら、やりたい!やってもやっても疲れない、むしろやることでエネルギーが満ちてしまうことは?

2. 急に、3億円もらえることになった!もう働かなくていい。さあ、これからどうする?

 

 

考えたり、書き出したり、トコトンまで煮詰めないと出てこないし、「これだ〜!」と思っても、人生なんて常に軌道修正ありきなので、人生の節々でこれは自分に問い続け、見つめ直しつづけなければいけないと思いますが、

 

もし、これまであまり考えてこなかったなぁ、まだ見つかっていないなぁという方がいらっしゃったら、この機会にぜひ考えはじめてみてください。

 

 

これが見つかると、ちょっと世界の見え方が変わるかもしれません。

 

 

今回はすこし大枠の話になってしまいましたが、大前提ということで共有しておきたいので、つらつらと書きました。

日常生活の中で夫に対して湧き上がるどうしようもない感情への対応など、もっと具体的な話についてはまた次回以降書きたいと思います。

 

 

これまで、発達障害HSPといわれる特性、またカサンドラといった見方で多く書いてきましたが、最終的には、

「全員そのままで、あなたのままで完璧である」

ということを、一方的であっても、誰彼かまわず相手に思えるようになるところがきっとゴールなんだと思ってはいるんですが、

 

それにはあと100万年くらい修行が必要な気もしています。爆

 

 

人生きっと、ずっと迷いまくる。

ならば、最高に楽しめればなぁと思います。

(最近の目標は、「死んだら1秒で成仏する」です。)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

※ 自分はHSPかな・・・?という自覚がある方、こちらの記事もぜひ参考にしてみてください

suzuyama-mimi.hatenablog.com

夫との向き合い方の転換点

お久しぶりです、鈴山ミミーです。

 

ここ最近、カサンドラとの向き合い方が劇的に変わり、そのことについて「書くべきか?書かないでおくべきか?」

 

などと逡巡することもありつつ、時間が経ってしまいました。

 

一体、向き合い方がどのように変わったのか?ということですが、

 

「は?なに言ってるの?意味わからん」という方も、

「うわ・・・めっちゃ分かるわ・・・」という方もいると思うので、

 

どうぞ、後者の方のみ 今後もお読み進めいただけたらと思います。

 

手短に言うと、

 

謎にちょっと、スピりはじめます。爆

 

 

 

 

ある日気づいたこと(その1)

 

夫とは、うまくいったりうまくいかなかったり、

そもそも「うまくいっている」というのも波風が立たないというだけで

のらりくらりとやり過ごす感じできたのですが、

 

なんでだか家庭の外でも、主に仕事を通して、

 

「あ、この人は発達障害だわ」

 

と分かる方と、何人も何人も、ご一緒することがあったんです。

 

こういうタイプの人って、こんなに世の中にいたっけ?と思うくらいに。

 

 

「ん? なんかわたし、誰かれ構わず発達障害だと思ってしまってやいないか・・・?」

 

と、自分の感覚を疑ってもみたんですが、おそらくアスペルガーADHDといわれる特性を強く持った方々で、どの方も、ご自分でも「人と仕事ができない(人間関係がいつも破綻してしまう)」「友達がいない」と漏らしていたり、驚くくらい急に人前でヒステリックになってらっしゃったりしました。

 

これ、夫とのことに向き合わない限り、続くんやない・・・?

 

なんかそんなことを薄々思い始めてはいたのですが、意味不明なポイントで噛み付かれたり、カサンドラのプロとしては相手方の心情をなんとなく把握しているだけに「よき理解者」としてなんだか執着されてしまったりで、

こうしてまた一人、また一人とそうした方との出会いを重ねるたびに、

 

あーもう発達障害の人との向き合い方、試されてるよね・・・

 

と、確信に近い形で強く思うようになりました。

 

 

あと、もう一つ。

 

離婚しちゃえば終わりじゃん、となれない状態にあって、、、

 

前にも書きましたが、夫といるからわたしは自分のやりたいことに挑戦することができていて、夫はそこに対する理解はものすごくあるんですね。(つまり夫と一緒にいるメリットを大いに享受している)

それにわたしが家を飛び出して実家に転がり込めるような境遇であればとっくにそうしたとも思うのですが、実家かぁ・・・それもまた厳しいな・・・という感じでそれもできない。

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

 

これ、めちゃくちゃ巧妙に、夫と居続ける今の状況が作られているな、、、と。

 

この世界は、とてもうまく、なかなかうまくいかないようにできているなと。

 

これを読まれている方の中にも、全くおなじでないにしても、簡単に別れるという選択ができずに結局一緒に居るんですよね・・・という方、いらっしゃるのではないでしょうか?

 

今後忘れそうなのでちょっとここにフラグを落としておきますが、こんなに家庭の中と外で人格が変わってしまう夫が、人生うまくいっているというのもまた不思議でした。

 

そう見えているだけで本当はうまくいっていない部分もあるのでしょうが、「これ、わたしのほうが違うのかも・・・?(なんだか一人でジタバタしている感覚)」 と感じることも度々ありました。

 

 

 

ある日気づいたこと(その2)

 

一方、夫に対してどういう対応をしていくのが正解なのかが一向に分からず、

試行錯誤をするということが正しいのではないのかもしれないと思うほどに気持ちは磨耗して、もはや「無」に近い状態になってきていたのですが、

 

イライラしたり、感情的になってはいけないということだけはわかっていたんです。

 

わたしの性格というか、信条というか、、、そうした態度や行動をとるという自分でありたくない、というのももちろんあるのですが、それ以外にも、

 

たとえば、

「うわーーん、でもやっぱりイライラする!!!」と心の中で夫に対して罵詈雑言をぶわ〜と浴びせたり、もしくは夫にちょっと(何度も言っていることだけどそれでも覚えちゃいないことを嫌味っぽくとか)不満を言ってしまったりすると、

 

・急に、その時料理していたフライパンから(はねるものなんてないのに)急に油がバチーン!とはねてきたり、

・距離感わかってるしぶつけたこともないのに「え?今、壁がこっちに張り出してきた?!」って感じで足の小指を思い切りぶつけたり、

・洗濯後のタオルを立ちながら畳んでいたら、真ん中のたわみの部分を誰かにチョップされたみたいにすごい力でタオルが下に落ちたり、、、

 

そんなことが毎回起きるから、そのたびに、

 

「ですよね、ごめんなさい、ちゃんと向き合います、でもちょっと今は!イライラしちゃってますーーごめんなさいーー!」

 

と、心の中で懺悔をぶちかまして冷静さを取り戻していたんです。

 

上に書いたみたいなことは、イライラを抱え始めるとほぼほぼ100%起きるので、わたしの中ではもう不思議さとかもなく、、、

 

「ですよね〜〜ごめんなさい!」

「でも!どう解釈してどう対応するのが正解なのか分からなくて!こうしちゃいけないっていうのは分かってはいるんですけど、どうするのが正解なのかまだ分からなくってわたし!」

 

という感じで、心の中でなにかに訴えかけていました。

 

 

 

ある日気づいたこと(その3)

 

そんなある日(去年の春なので、ちょうど1年前くらい)、ものすごい衝動に駆られて、大々的な断捨離をし始めたんです。

 

そしたら、10年前くらいに、一体自分はこの人生でなにをやりたいのか?を本気で悩んで考えていた頃のメモ書きが出てきたんです。

 

当時は、自分がやりたいことをやってたのしそうに生きている実業家の方などの本を読み漁って、どうやったらそういったことを見つけられるのだろう?(私もそういう大人になりたい!)と、そうした楽しく生きる大人たちの中になにかしらの共通点(ヒント)を見つけようとしたりとか、

 

よくある手法ですが、やりたいこととやりたくないことを書き出す、とか

できることと得意なこととお金にできることを書き出す、とか

なんかそういうワークを自分なりにやっていたんですけど、

 

そうした何枚ものルーズリーフの痕跡の中に、

 

 

「この人生でやりたいことリスト」っていうのが出てきたんですね。

 

 

とりあえず100個くらいうわーっと書き出して、その中でも優先順位の高いいくつかに丸をつける(到底叶いそうもない夢みたいなことでもいいからとりあえず叶ったことを考えるとワクワクできること!)みたいなリストだったんですけど、

 

10年くらい前に それを書いた時には、

「まぁなに書いたっていいっていうし、本当にこんなことが実現したら夢みたいなこと書いちゃおう」

と思って書いたんですけど、

 

 

それ、ぜんぶ実現してたんです。

 

 

ちょっと、怖くなりました。

 

 

 

でね、その時に気づいたんです。

 

 

夫と結婚してなかったら、叶ってなかったんです。

 

夫と結婚してからの不思議な流れで、芋づる式にぜんぶ叶ってたんです・・・

 

 

この時に、なにか自分の中で 確信したんです。

 

 

あ、これはなにか設定されているなと。

 

自分の中にはここで越えるべきなにかが与えられているんだなと。

 

 

「わたしのがんばりは報われない、この人のせいでむちゃくちゃだ!」

 

・・・では、なかったんです。やっぱり。

 

 

わたしのがんばりは報われまくってるんです。

そして、たぶんこの先の人生のステージに進むためには、きっとこれを受け容れてどうこうしなきゃいけないんだな、と。

 

方法はまだ分からないけれど、なにか不思議な力に気付かされた感じがありました。

 

 

 

もしかしたらカサンドラへのメッセージは同じなのかも

 

以前にも書いたことがある気がしますが、カサンドラになる方って、なんだか思慮深くて、能力が高い方が多い気がするんです。。。

 

そもそも、相手が発達障害であることに気が付いて、それでも自分の細やかな気配りや洞察力をもってすれば解決できる!と思ってしまうが故のカサンドラだと思うんです。

(おそらくそこまで心から真摯に向き合おうとする人自体、少ないんじゃないかと・・・)

 

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

今回の人生において、いわゆる「これこそが正義!」と自分の中で思ってきたものが本当に正しいというわけではないんだよ、ということを学ぶ段階なのかもしれない・・・し、そうではないのかもしれませんが(おい笑)、

 

ここ1年くらいで、向き合い方を変えてからどのような風にしていったか?

について、具体的なことをまた書いていこうと思います。

 

わたし個人の感じ方ではありますが、心があまりザワつかなくなったし、ひとつまたひとつと気づきや学びを得ている感覚があるので、

読んでくださるどなたかの参考になることがあればいいなと思います。

 

ちなみに私、昔から不思議な体験・・・スピリチュアルというよりもあまりにも不思議な偶然などが身の回りで頻発したり、不思議な感覚を幼い頃から持っている人間で、そういう話をするたびに周りから「またわけわからんことを〜!笑」と言われてきたのですが、
ここ数年で、目の前で消えたものがまた現れる・・・みたいな、ん?なんだこれは?という明らかにおかしな体験もしていて、、、そういう話や、それがなんだったのかについての個人的考察についてもまた書こうかなとか思ってます。(アヤシガラナイデ!笑)

 

相変わらずとりとめのない、わけの分からない長文でごめんなさい。笑

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

【HSP】自分が アスペルガー/ADHD とすこし似て非なると思う考察 〜概要編〜

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お久しぶりです!鈴山ミミーです。

 

あれ?梅雨入りしたけどめちゃくちゃカラッとしてるな?という気持ちのいい日が続きますが、どうか農家の方々などに影響が出ていませんようにと祈りながら、

家庭のことで心がゾンビ化して、もはや "感情" という概念を時空の歪みか何かに吸い込まれて失ったんじゃないかと思っている鈴山ミミーです。

 

さて。「HSP」とは。

アスペルガー」とは、「ADHD」とは。

いずれも人間が属性や傾向に基づいて便宜的に名付けた名称にすぎませんが、なんだか最近、「わたしはすごくすごく繊細なんです!」という謎のHSPアピールをSNSなどで見かけることがあるんですが、そういう方達の大半が、

 

アスペルガー/ADHDの傾向があるとされる発達障害の方な気がしています。

(※わたしの周りには、アスペルガー/ADHDのどちらの傾向も持っている人が多くいて、この2つを切り分けて話すことができないため、併記しています。勉強不足かもしれませんが、素人の話としてつづきをお読みいただけますと幸いです。)

 

というのも、、、本当にHSPぽい人ってそれを口にすることすら憚られて、「私はHSPだから!!!」と、まるで免罪符のように振りかざしたりしないんじゃないかなと感じるんです。

で、「なんでこの人たちは自分はHSPであるアピールをしているのか?」と思ったら、きっと「生きづらさ」とか「繊細」とかいうことを取り上げた本やネット記事を読んだときに、「自分は繊細だから生きづらいんだ」と納得して救われる人たちが多々いると思うのですが、

そこには「生きづらさ」を感じる過程が全く違うタイプの人間が、十把一絡げにされてしまっているのではないかと思うのです。

それゆえ、「生きづらい」→「そうか、私が繊細だからなのか」→「繊細で生きづらいのはHSPと言うらしい」→「周囲が私を理解するべき」・・・みたいに思っている人もいる感じがしてならないんです。

 

以前、こちらの記事(→【HSPの私が思う】HSPがアスペルガーと結婚してカサンドラになる経緯と対策)でも書きましたが、おそらくHSPである私と、受動型アスペルガー/ADHD (未診断) である夫との間には多くの共通点がありますが、そうした行動や言動の理由を掘り下げてみると、まったく異なったものでした。

私自身も、自分はアスペルガーっぽいのかなぁ・・・?とふと思うこともあり、やはり類似する点は少なくないように感じています。

 

そう感じる共通点ってなんなんだろう?

なんで惹かれちゃったの?(自分を殴りながら)

 

SNSなどですこしのぞく限りでも、HSP発達障害の方が結婚してカサンドラ問題を抱えているケースってめちゃくちゃ多い気がしているのですが、思考を深く掘り下げるのが得意なHSPの方にとって、

新しい観点を知ることで新たな対策をとるきっかけになったり、ただただ心が軽くなるようなことがあったり、、、なにかしら参考になることがあればと思い、

わたしがモヤモヤから抜け出すに至った、超ざっくりとした考えを綴りたいと思います。

 

 

 

 90:5:5 の法則


専門家でもなんでもないただの私見ですが、わたしの肌感として、日本人はこのくらいのバランスなんじゃないかと思っています。

 

HSPでも発達障害でもない大多数の人(ここではそれ以外の多くのカテゴリーは一旦無視します)=90%
HSPとされる人=5%
発達障害アスペルガー/ADHD)とされる人=5%

 

市販のスナック菓子などに、ADHDなどの傾向を強める人口調味料などが使われているというのは、近年よく耳にする話です。しかも中毒性があるとなると、より手軽に手に入るようになっている今の時代、発達障害の傾向を持つ人が増えているというのは納得できる気がします。

 

また、爆発的な人口増加を起こしている国や、上記のような人口調味料への規制があまりない国などについては、相乗的に増えるのではないかと。なので、きっと国や地域によってもこうした比率が違ってくるのは当然だとは思うのですが、とりあえず今の自分の周囲の肌感としての 90:5:5 をベースとして話を進めたいと思います。

 

念のため、、、

「どちらが良くて、どちらが悪い」という話では決してありません。そこには「違い」があるだけで、善悪は一切ないと思っています。

 

HSPという立場での見方に寄ってしまう点をご了承の上、
どうぞお気軽にお読み流しくださいませ!

 

 

HSPでも発達障害でもない大多数の人(全体の90%)


それでは、偏りまくった 私見をつづけます。

 

このグループの人たちの主な特徴として、下記のような特徴が挙げられます。

 
・所属意識がほしい(群れていると安心)
・不安感から、陰口などで絆を深めることを好む
・世間体など気にしすぎて本当にやりたいことができない
・それゆえ、好きなことをやってる人を妬んでしまう
・でもなにかと言い訳しながらやりたいことはやらずに、群れることで気持ちを誤魔化しながら過ごす

 


なんか感じの悪い書き方かもしれませんが、、、決して全員が全員というわけではなくて。それでも自分の周りの人と話す中で、多かれ少なかれこういう気持ちでほとんどの人が生きているんだなという印象があります。

 

最近驚いたのが、こどもがたくさんいる友人男性が離婚したのですが、、、そんなにこどもを持つほど夫婦仲良かったはずがどうしたのかと聞くと、「元々ずっと夫婦仲は険悪だった。"父親になる" ということで、自信のない自分が社会的に認められる気がしていた」と話していたことでした。

 

これってきっと珍しいことではなくて、、、やりたいことが特にない、自分に自信がない、子供を持たないことがプレッシャーで子供を2人は持ちたい(そうすれば一般的に幸せな家庭とされるものを手に入れて、人と対等なステージに立てる気がする)、という人。結構、多いのではないでしょうか?

 

こうした社会的な同調圧力に順応していけることももちろんひとつの素晴らしい能力で、ナチュラルボーンで本当にそれが真の幸せな人もいると思うし、どれだけIT技術が発達して文明が栄えたとてそうした人が大半でないと種の保存はままならなくなるとも思っています。

 

私自身 かなりアダルトチルドレンな自覚があるので、そうした観点からの(冷めた)見方もつよいと思います・・・!

 

 

②③ HSP (全体の5%) と、発達障害 (全体の5%)


この2タイプ。人口に対する正確な割合はわかりませんが、どちらも少数派であることには間違いないと思っています。

 


さて。ここまでを踏まえて、なのですが・・・

 

 

思い起こしてみると。
たとえば女友達で、ものすごく自分のことを好いてくれて、気づいたら異様な独占欲を持たれ、休日の予定まで把握されたり、ほかの友人と仲良くすることに嫉妬されたり・・・

 

最後にはかなり自己中心的で意味不明すぎることでブチ切れられ、散々罵声を浴びせられ、、、、、

 

その後に「でも私たちは親友だもんね!」「もう今回のことでわかったよね!」「これからもずっと仲良しでいようね!」と、なんだか取り込まれるような形でケロッとまた元の人格に戻られる、みたいなこと、、、経験ありませんか?
(ちなみに相手が変貌した姿を一旦見てしまうと、わたしは恐ろしくなってそれ以上近づけなくなってやんわり関係をフェードアウトさせます、、)

 

わたしは結構、そういうケースを経験していて、、、なんでそういう粘着質な人に執着されてしまうんだろう?と思ってきたのですが、自分がカサンドラになって勉強してはじめて、そういう人たちって(おそらく)発達障害なんだという気づきに至りました。

 

つまり、HSP発達障害の人は、いずれも少数派ゆえ、大多数の9割とは相容れないという実感を持って生きているんですね。

 

そう感じるに至る理由はおそらく違っていて、

 
HSP:「だれかの陰口言って結束固めてるの、なんか異様だなぁ、、、自分が加害者になるのはやっぱりいい気持ちしないし、だからと言ってターゲットにされるのはいやだし、、、良心の呵責を抱えながら一緒にいるのもなんかもういやだなぁ、、、」(→孤独を好む)

発達障害:「仲良くなりたいんだけど、なんだかうまくいかないなぁ、、、なんでだろう、、、こんなに好かれようと頑張っているのに、、、なんで入れてもらえないんだろう、、、もうやだなぁ」(→結果、孤独になる)

 


ここでの違いというのは、おそらく
共感力がありすぎて集団がしんどくなるHSP」と「共感力がないために集団に入っていけない発達障害」であり、
それでいて、どちらも結果として集団からはみ出した孤独なポジションになるんです。

 

ここで起こるのが、HSP発達障害の人との出会い・・・
そして、発達障害の人の「自分のことをこんなに理解してくれる救世主(HSP)、ハッケーン!!!
からの、完全なる精神的依存・・・

 

こんなに分かってくれるのだから!好かれたい!尽くします!だから私のこと好きでいてよ!!裏切ったりしないでよ離れないでね!!!という、嫌われるのが怖いから尽くす好き好き攻撃。

 

HSP側としては、はじめは「なんかよく分からないけど特別好いてくれるいい人だなぁ」という印象からの、次第に募る不安感、そしてプライベートゾーンに侵入してくるもはや脅迫まがいの愛情の押し売り。。。(終盤はただただ恐怖)

 

これが、HSP発達障害の人がいずれも少数派であるがゆえの共通点、そして近しい関係になる理由なのではないかという、ざっくりした考察です。

 

 

まとめ:理解すればストレスは減る


発達障害の人といってももちろんケースは様々で、受動型アスペルガーの夫はまったくこういう感じではありません。受動型なんていう特殊なタイプの人がいることも知らなかったからこそ、自分と同じタイプなんだと思ってしまったわけですが、、、
(夫の場合、相手の意見を100%尊重して 聞き役に徹し、HSPタイプであるように装い続けているので周囲もそう思っています、、そして嘘の自分を演じるのがしんどいから集団を避けて孤独になることを選んでいます)

 

不思議なのは、HSPの親の元に発達障害の子がいたり、その逆のパターンだったり、
お互いが苦しんでいるような、なんだかうまくいかないなぁという取り合わせって少なくない気がするのですが、
なんだかそれって天命というか、今世での学びを得るための魂の配置みたいなものなのかなぁと最近思えています。(断じてスピってません笑。でもそういうのはちょっと信じちゃう。そうだと思った方がラクなのかも)

 

今振り返ると、これまでの人生で苦しんできたことのほとんどが対人関係で、しかもその相手っていうのは発達障害の人だったんだなぁと。。。
夫と結婚することで発達障害という特性を知り、そこから調べたりヒアリングを重ねすぎて、その思考や行動についての傾向やパターンを知ることができたので、

 

今は人とのコミュニケーションでも結構早い段階で識別することができるようになってしまって、そのおかげで「なるほど、それならしょうがない」と早めの諦めと迅速な関係の撤退を実行することができていて、家庭外では思考が負のループにはまるような重度のストレスは抱えることが本当になくなったように思います。
(もちろんゼロじゃないし、日々、世の理不尽さについて思いを巡らせてはいます。ちなみに家庭内でも完全に諦め撤退モードに入っていて、怒りが湧いてくることとかはもう皆無になってしまいました・・・)

 

重ね重ねのお伝えにはなりますが、人間、どういうタイプだから良いとか悪いとかの優劣はなく、そこにあるのは "相性" だけなんだと思います。
同じタイプの方の生きづらさを和らげるヒントになることがあればと綴っているので、同じようにHSPタイプと思われる、今世での消耗戦に励んでいる方の参考になりますと幸いです。

 

あ、冷えたビール置いておきますね。
来世に向けて励みましょう。(遠い目)

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

【友人には話せなくて】カサンドラ案件でクリニックやカウンセリングを利用した話

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こんにちは。鈴山ミミーです。

 

「友人に話しても全く理解されない・・・(そりゃそうだという悲しさ)」
「このままではストレスに押しつぶされそう・・・(動悸が止まらない胸をおさえながら)」

 

ADHDと受動型アスペルガーの特性を持つ夫との結婚生活をつづける中で、特にその特性について知ってからというもの、ありとあらゆる対策・・・話し方や接し方から、忘れることを前提としたスケジューリングまで・・・を試みたものの、

メンタルは削られる一方で、気づいたら自分が自分ではない感覚になるほどすり減ってしまっていました。

 

まったく、話が通じないんですよね。

 

カオスすぎて血の通った人間といる気がしない、なんでそんな言動ができてしまうのかもはや怖い、
といった状況の中、2回だけ(それぞれ別の)友人に漏らしたことがあるのですが、

その時の友人の顔・・・2人とも不審そうな顔で「なんで離婚しないの・・・?」という言葉に、
「そ、そうだよね・・・」と言葉を失ってしまい、

 

そりゃそう言うしかないよねという絶望的な気持ちになりながら、人には話せなくなってしまいました。

 

ちなみにどちらの友人にしても、困らせてしまって悪いことしたな・・・と思うばかりで、決して悪意のあるコメントだったわけではありません。
それに、彼女たちの旦那さんのことを思うと・・・これはもう相性の問題だし「お前が言うな」なのですが・・・あれこれ基準が多すぎる私にはとても結婚できないなと思うので、

なんだかこれって、もしかしたら私の問題なのかな・・・私がひとを許容できない人間なんだろうか・・・
そんな風に思い悩んでいた時期もありました。

 
私自身、おそらくHSPとしての特性が強く、そこに対する理解が必要でした。
参考:

 

このどうしようもない気持ち、ひとりではもう抱えきれない。

そうして、外部のクリニックやカウンセリングを利用した話、
また、互助会などには参加していないことについても書きたいと思います。

同じような悩みを抱えている方々の、なにか参考になりましたら幸いです。

 

 

 

 

[ひとりで] Aクリニックに行ってみた

夫に、ADHDと受動型アスペルガーの特性があることを知ってから、3年くらい経った頃。

どれだけ砕いて話しても、覚えてくれない。
ことごとく気泡と化す、試行錯誤。
毎日毎日、同じ失敗ばかりを繰り返す。当たってくる。

こちらの精神的な弱みやストレスになることを話すと、良いことを聞いたと言わんばかりにそのまま言葉の凶器をふりかざしてくる。

私にとって、深遠な思考を巡らすこと、相手のことばの端々から意図を汲み取ることなどが親密な関係においては一番大切にしたい(相手に求めてしまう)ことなので、
どうコミュニケーションをとればいいのか皆目分からず弱り切ってしまい、ネットで調べてヒットした隣町のメンタルクリニックに電話をかけて、予約しました。

 

予約の時点で「初診の方は、長めにみておきたいので・・・」との案内だったので、最初にそれなりに話を聞いてくれるんだと思っていたものの、

当日、「どうされましたか」と聞かれて話し始めてからものの数分で、女性の先生、チラチラずっと時計を見てる。。。「時間ないから早く終われサイン」の無言の圧力がすごすぎて、
この人、この職業していていいのかよと心配になるほどでした。汗

 

そこで言われたことは、

「聞く限り、ご主人はおそらくあなたが思っているように発達障害なんだと思う」
「私は論文などでしか知らないから、そこまで色々試して対策して・・・ていうのは聞いていてもはや勉強になります」
「脳の特性なので、相手は変わりません。どうにかしようとするほど全然うまくいかず心が疲弊してしまうので、とりあえず距離を取ってください。関わらないように。」
「よく考えて行動されて、ご自身がどう振舞われるべきかもお分かりなので、精神的に病んでいるということではないですね。話したかったらまた来たらいいけど、お金かかるので勿体無いですよ」

といったことでした。

 

精神的なつながり、心が通うみたいなコミュニケーションが取れるようにはならないのか。
関わらないように、夫婦でい続ける意味ってなんだろう。

 

自分の考えが肯定されたようでかえって虚無感が増した、Aクリニック訪問でした。

 

[夫と] 行ったBクリニックで打ちのめされた話

Aクリニック訪問から、数ヶ月後。

もう、本当に頭がおかしくなりそうだと思い、

「自分の言動、おかしいと思わないの・・・?」
「2人で話してると混乱するから、第三者に入って聞いてもらおう。もう2人で話したくない」

そう夫に話し、ひとりでAクリニックに訪問したことも伝えました。

 

夫は、しんみりした面持ちで、

「そんな風に思わせて申し訳ない・・・」
「俺はなんてことを・・・」

 

とか言っていたけれど、普段のふるまいからのその言動がもう理解不能で、、、

家の中となると、困った時はなんだかしょんぼりするしか対応策を持っていない夫。
なんでもいいからどこかの病院にかかって人のこころを実装してくれ・・・そんなことを一心に願うばかりでした。

夫の会社の人に会うことなどを避けるため、夫が選んだ、人には会わなさそうで少し大きめのクリニックへ行くことに。おとなの発達障害についての相談も受けていると、ホームページに載っていました。

やっと重い腰を上げてくれたんだからと、すこし先になってしまったけれど、発達障害についての検査までやってもらえる日時で予約。

正直、薬を飲んでほしいとかいうことは全くなく、ただただ、「こういう特性があるからこうすればもっとうまくいく」とかいうことが明確になってくれたら、もう少しやりようがあるんじゃないかという望みを持っていたのでした。

 

当日、夫とわたしの前にいたのは、なんだか陽気な30代後半くらいの男性医師でした。
「どうされましたか」と聞かれ、「えっと・・・物忘れとかひどくて、発達障害なんじゃないかと思って・・・検査とかしてみようかと・・・」と説明する夫。

出生から学歴、職歴、子供の頃はどんな子だったかなど聞かれ、答える夫。

 

「どうして発達障害だと思われたのか、お2人からなにかエピソードなどあれば」

そう言われ、夫が「えっとぉ・・・忘れ物をすごくして定期券とかよく取りに帰るし・・・お弁当持たずに会社行きそうになったりとか・・・あと予定立てるのとか妻に比べると自分はゆったりめで・・・」
と、え・・・なんの話してるの・・・と戸惑ってしまうほどに(夫に話させたらそうなるのは当然なのですが)すごくどうでもいいことを延々としゃべり続ける・・・

私の番になり、これはちょっと印象的すぎたというエピソードを簡潔に2〜3コ話そうと思っていたところ、
一つ目のエピソードを手短に話したところで、

「なるほど、えっと、奥さんがすごく厳しくて細かいので、相対的にそう見えてしまうことがあるかもしれませんが、発達障害ではないでしょうね。
そもそも、学歴が高いのと、いい会社でずっと働かれているので、その可能性はまずないと思いますよ。」

と、言い放たれてしまいました。。

そのお医者さん、なぜか終始、ヘラヘラ笑っていて。
メンタルクリニックに通う方が相手だから明るく振舞っているのか・・・なんだかデリカシーがないようにしか見えず怒りが込み上げて来たのと、

最後に、

「まぁ僕、発達障害は専門じゃないんで、検査とかしたかったら別の日に予約してみます?」

と、言われ。

 

夫をやっとクリニックに連れてこれるんだと思って。
検査までこの日にやってもらうという話もすべてした上で、予約したんだよね?

 

もう、つらいのか 悔しいのか 悲しいのかなんなのか、
診察室から出るなり、そこにあったベンチで号泣してしまったのを覚えています。

 

夫が横で、めずらしく落ち込んだ声で、

「俺、検査受けた方がいいんだよね。俺が発達障害、って言われなきゃいやなんだよね」

そう言ってきて、私はどうしたいんだろうと、もう消えたくなりました。

 

[夫と] カウンセリングを利用した話

二人でBクリニックに行ってから、1年後。

 

私「2人で話してると混乱するから、第三者に入って聞いてもらおう。もう2人で話したくない」(再)

ということで、カウンセラーさんを予約することに。

 

カフェなどで話すか、事務所で話すかを選べたのですが、
人目が気になるため、事務所でのカウンセリングをお願いすることに。

予約の時点で、「医療機関ではないことを承知の上で、我が家でこういうことが起きていて
今回お話を聞いてもらいたくて・・・」という概要をメールでお伝えしておきました。
(また「専門じゃない」とかあっけらかんと言われると心臓が爆発すると思ったので)

 

担当のカウンセラーさんは、50歳前後くらいの、とても穏やかで話しやすい女性でした。

2時間だったかな・・・事務所のちいさな一室で、3人で話しました。

話していて、明らかに夫が会話の内容を理解しておらず、空を見つめながらよくわからない返答をするので、
カウンセラーさんがすこし戸惑う→わたしが言葉を補って夫の言いたいことを補足する→夫「そうそう」
ということが繰り返される、なんともコミュニケーションコストの高い会話・・・

 

カウンセリングの中盤、一体どうしたいのか?とカウンセラーさんに聞かれ、

「心が通うようなコミュニケーションが取れるようになりたい、が一番」
「被害者ぶりたいわけじゃないけど、こわいくらいデリカシーのないことを夫が言い放つことでこれ以上トラウマをかかえたくない」

と伝えると、

「奥さまは、この状況をどうにかしたいと思って、お互いに気持ちよく過ごせるようユーモアも交えた色々な工夫をされていて・・・なんというか、カウンセラーになられたらいいんじゃないかと思っているくらいで。
今、ご相談を受けているという状況では、おうちの中でも住む空間を分ける、できるだけ関わらないように生活するということしかないんじゃないでしょうか」

・・・と。

 

やっぱり、行き着くところはそこなのか。

「関わらないほうがいいって、もう一緒に暮らし続ける意味ないですよね・・・?」

そう聞くと、

 

「えっ・・・! でもそこまで色々試されて、愛していらっしゃるんでしょう・・・?!」

 

そんなことを言われて、「それは違いますよね」と言ってしまいたい私がいました。

 

カウンセラーさんを困らせてしまった2時間。
結局、時間を過ぎてなお話が迷走するばかりで、気を遣わせないよう、
私が最後に話をまとめました。

 

クリニックなどを利用しようと思っている人に伝えたいこと

わたし個人の所感になりますが、

「クリニックやカウンセリングに行けば神に救われる」

みたいなことは決してありません

 

ただ私の場合、そこにたどり着くまでにすでにかなりの時間を使って情報収集や試行錯誤をしていたので、
結婚生活に違和感をもった初期段階だったらかなりの救いになっていたかも、、とは思います。

 

あとは、クリニックやカウンセリングで、担当になる人との相性。
これはもう運でしかありませんが、大きいと思います。

 

これまでの二度のクリニック訪問と、カウンセリング利用については、
事前に下調べや電話での確認もしたもののなんともしょっぱい経験になり・・・

そんなところに頼ってもどうにもなんねーよ

という神からの訓示だったのかもしれないなと思ったり。

 

結局、人が人に頼ろうとしているだけなので、そこで期待し過ぎて落胆するっていうのは
滑稽なことなのかもしれないな、という気さえしています。

 

ちなみに、カサンドラの互助会などには参加したことがありません。
完全に個人的なイメージですが、なんだか被害者の会みたいになっているんじゃないかと想像すると、ネガティブなパワーに生気を持っていかれそうな気がしてしまって・・・
ただ、そうした集会が合う人もいるとは思うので、気になるという方はお試しいただいてから判断されてもいいんじゃないかと思います。

 

最後に:すこし救われる本の紹介

嫌われる勇気(ダイアモンド社)

 

もはや読まれた方のほうが多いのではと思うくらいですが・・・
もしまだでしたら、試しにでも読んでもらいたい一冊。

印象的だったのは、

「結局困るのは夫なのだから口出ししないでおこう」「この人がどれだけあり得ない言動を繰り返したところで、わたし自身の価値が毀損することなんてないから平気」といった、"課題の分離" と呼ばれる考え方や、

たとえば私が自分に自信がないことを「毒親に育てられたせいだ」と強く思いながら生きていた場合、それは自分に自信がないことを「毒親に育てられたせい」にして自信を持てる自分になることから逃げているだけであって、

決心してしまえば、今この瞬間からだって、「どうやって自信のある自分になろうか・・・!」といったマインドに切り替えられるんだ、という "目的論" という考え方。

 

親の呪縛から解かれた体験談はこちら:

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

その他にも、カサンドラで思い悩む方にとって新しい視点を得られる機会になるかと思いますので、
もしまだ読まれたことがなければ、ぜひ、たくさんの甘いものを目の前に、いい香りのするコーヒーでも入れて読んでみてください・・・!

 

私自身、こころが疲弊したり、時々回復しながら、のらりくらりとやっていますが、
はたして今の状況をわたしの視点からどう形容するのが正しくて、この先どう振舞えばいいのか、
いつまで経っても分からずにいます。

 

(あと無限にメンタル鍛えられすぎて、いつか出家でもしてしまいそう)

 

「脳内離婚」でイメージングしたものの (参考:【葛藤からの脱却の一歩】カサンドラは「脳内離婚」で状況整理しよう)、うーん、こころは永遠に満たされないし、心が通うなんてのは幻想なんだろうか・・・結婚、とは。

 

そんなことを考えたりしてしまうので、大量のチョコレートでも買いに行こうと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

【雑記】HSP で アダルトチルドレン な私のぼやき

こんにちは!鈴山ミミーです。

 

毎度のことながら、すっかりご無沙汰してしまいました。
コロナ禍以来、不安や恐怖を煽るマスコミのコンテンツから遠ざかるあまり
新首相の誕生を2日後に知りました、独特な情報に囲まれて生きている鈴山ミミーです。

(偏って生きていこうぜ!)

 

前回の投稿からの3ヵ月でも、いろいろなことがありました。

ここをストレス発散のためのネガティブな感情を吐き出す場にはしたくないので(読む方の不安感を煽るようなものは書きたくない・・・)、
気持ちがブルブル不安定なうちは書くまいと思っているのですが、
一周まわって気持ちが落ち着いてきたのですこし綴りたいなと。

これまでのようなブログ形式でがっつり書くのは、体力や・・・なにより時間が必要なので、
気軽に日記的な感じで、みじかいものをこれからは書き留めて行きたいと思います。

近況としては、戸籍や住居の変化はありません

そして、メンタルが落ちたあとの、生命力がみなぎるタームに来ています。

 

今日の夕方にでも、なんなら深夜の時間外申請でも切れるような縁なんだから、
「あーー無理だわ、もう無理だわ ダメだわ 合わないわ」ってなった時に
その後も自分らしく幸せに生きられる道を今から模索して敷いていけば、
不安なことって何もなくない?
(この時点で、相手に対する感情がほぼないのかもしれないな・・・)
と思い始めて、80年代の漫画のモグラ(手が回転するタイプ)のように道を掘り進めています。

参考:不安で不安でしょうがない方にはこちらを。

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

自分の人生だもの、誰のせいでもなくちゃんと責任持って楽しめるように
こころ新たにまたがんばろうと決意したところです。
そうした新たなチャレンジで、なにかしらの変化があるかもしれないし、
その時にはまた綴りたいと思います。

 

ところで。。。最近は芸能界でも悲しいニュースが多くて。
でも、なんとなくうっすら流れてくるネットニュースなんかを見るだけでも、
HSPとかアダルトチルドレンっていう気質?を持った方が多い気がしています。
(※個人的なつながりがあるわけでもないし想像でしかない話です)

家庭環境っていうのも、血縁があるとはいえそもそも家庭内の個人と個人の相性だから、
恵まれないっていう言い方は適さない気がするけれど、
少なくとも自分がその場に「合わない」と感じてアダルトチルドレンの傾向を持つ人間、
その中でも元々HSP気質の人で、

他人に100%の善意で接して、自分にはとことん厳しく、
善悪関係なくすべて神様が見ているから大丈夫と努力しつづけ、
不遇の中でも完璧な自分を作り上げて、ついに大人になった時には、、、

 

社会は・・・自分を認めてくれる!正当に評価される時がついに!
(・・・しかし心の中は虚しさでいっぱい。永遠に愛されたい気持ちを抱えつつ
デリカシーのない人ばかりの世の中に疲れ切ってしまう。)

 

っていう気持ち。

 

痛いほどわかって、そういう人たちで村とか会社とか作りたい。
っていう謎の幻想すら持ちはじめています。

(ちなみに自分の気質の話をすると、わ〜私もそうだわ!HSP!!って全然違うタイプの人に言われて、
えーー全然ちゃいますやん・・・って思っている自分が、なんだか排他的?自分の尺度が美しくて正しい?
と思って自分に酔ってるやばいやつみたいで自己嫌悪に陥ってしまうので、
もうなんだかいろんな話を自分の脳内だけで処理する暮らしをしています鈴山ミミーです)

 

自分は正しい、認められたい、愛されたいって、もれなく人類全員が思ってるんだろうなぁ。

 

元々、カサンドラ問題と向き合うために書き始めたブログだけど、
自分のHSPアダルトチルドレンっていう気質にも目を向けなきゃいけないなと思うようになり、
「もうさ、みんな自分が思うように好きにやったらいいんじゃない?
(合わないんだったら距離取りなよ、人のことに口出したり、人の意見気にしすぎるのもやめようぜ)
って思うようになって、順調に貝になりつつあります


書きたいことが溢れて来そうなので(爆)、つづきはまた整理して書こうかな。。。
同じような心境で過ごされている方の、参考や こころの支えや 暇つぶしになればと思っています。

魂の修行のためにこの世に生まれて来たのだから、大変なのが人生のデフォルトだと思って、
一緒に魂を磨きましょう・・・!
(スピリチュアルには傾倒していません)


お読みいただいている皆さま、本日もお疲れさまでした。
ここに冷えたビール、置いておきますね。

よーし、来世のために、徳を積むぞ〜!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!