【 意識して手放そう!】負の感情を持つことで得ているメリット

こんにちは。鈴山ミミーです。

 

朝晩の寒さも和らぐこの頃、「春眠暁を覚えず」と昔から言われますが、

季節に関係なく秋口頃から毎日7時間快眠モードのわたしです。

 

なんででしょう・・・異様に眠すぎて、小学生ぶりに寝てます・・・

寝ることが急にすばらしいことに思えてきて、ここ二十ン年、ショートスリーパー自慢してきた自分を殴りたい気持ちでいます。

 

 

さて、今日は、忘れないうちに備忘録も兼ねて、

ここ最近の気付きについて綴りたいと思います。

 

「何度も何度も言ってるのに、どうやったら忘れられるの・・・?!」

「なんでこんな非効率的なことやって、しかもあなたがキレてるの?!(泣) 」

 

・・・といった感情。

これまでの人生で、一度はお持ちになったことがあるのではないでしょうか。

 

 

愚問でゴメンナサイ!

 

 

その感情、もしかしたら、「負の感情」ではないのかもしれません。

 

というのも、そういった感情を持つというのは、そうすることに メリットがあるから であって、負の感情と同じだけ、実は得ているものがある、という話です。

 

私自身、このことに気付いてから、自分の感情をますます観察するようになり、

負の感情を自分は持ちたくて持っていたんだな、

もうそんな感情をもてあそんで疲弊する必要はない、

 

と思えるようになってきたので、

 

もし参考になる部分があればと思います。

 

 

 

 

すべてのことはポジティブでもネガティブでもない

 

この世のことは、すべてのことがフラットであり、良いも悪いもなく、

ポジティブでもネガティブでもない。本質的には、無である。

そうしたことは個々人が意味付けているだけ。

 

といった話を耳にしたことがあったのですが、

 

その時、わたしの中で「確かにそうかもしれない・・・」という気持ちと、

なんだか現実的には落とし込めない感覚が、同時にあったんです。

 

でも最近、そのことを思い出して、一旦気付いて腑に落ち始めると

急にストンと理解できてきて・・・

 

 

というのも、夫が何回も何回も、わたしにとって理解不能な言動を繰り返すわけです。

こちらがどれだけ先回りしても、それを超える奇想天外なことをしてくる。

どれだけ配慮しても、言い方を工夫しても、試行錯誤を繰り返しても、ダメ。

こんなにうまくいかないことってあるんだ・・・と、もはや感動するくらいに。

 

この10年くらいで、ものすごい色々試してきたわけですよ。

関わり方にしても、伝え方にしても。伝えるタイミングや、

相手の気分を害さないような言い回しまで、もうそれは試しました。

100回やろうと、まるで1回目のようなテンションで接するわけです。

次第に感情はすり減り、暴言を吐かれようが、理不尽なことを言われようが、

ブレなくなってきた。( ※ 言葉にならない虚しさはある)

 

 

でもね、あーこれは言わないとな、という場面でね。

負の感情が募って、メーターがレッドゾーンに差し掛かって、

なにかしら言うわけです。

 

たとえば、

「何回も同じことやってるのはそっちなのに、怒らないでよ。やらなければ、わたしだって注意する必要もないんだから、そしたらもう二度とやらないでよ。」(絶対の絶対にまたやることはわかってる。まじでおでこに注意書きでも貼っておいてほしい。)

とか。

 

・・・で、思ったんです、この前、急に。

 

(あ・・・わたし、この人より自分は学習している、優れている、って思ってるんだ。)

 

って。

 

夫に対して不満を抱き、心の中で負のループに入るたびに、

 

この人はできない人だ、覚えられない人だ、学習しない人だ、

それに対してわたしはこんなに分かっている、とっくに学習している

 

と、心のどこかで思っていると。

 

 

うわーーーーこれって、恐ろしいな、、、、、

と、ちょっとぞっとしました。

 

というのも、これ、一つ前の記事で書いたことにつながると思うんですが、おそらく自分の人生で向き合うべきことにきちんと自分自身が向き合えていないことに対する不満を、

夫のことを相対的に下げることで、自分が上がっているように錯覚させている んじゃないかと思ったんです。

 

なにも、なにも変わっていないんですよ。現状は。

 

わたしが向き合い、解決すべきことはなにも変わってないんです。

だから、イライラはそのままなんです。

このスタンスでい続ける限り。一生。

 

夫に対して、お前はだめなやつだ、という感情を持ち、

わたしはこんなに優秀なのに、とっくに学習しているのに、

なんならあなたの思考の傾向まで分かってきていて、

もはや行動予測さえできるようになってきているのに・・・

 

そんなよく分かっているわたしが!あなたのせいで不幸なのよ!

全部あなたのせいなのよ!!!・・・って、

 

やっぱり人のせいにして自分の人生の責任逃れをしたいだけなんだなって思ったんです。

 

一旦、そのことに気付いてから、なにかに負の感情を持つたびに、

 

「あぁ、負の感情っていうのは、一方では同時に、わたしはそれができるのに、とかいうプラスの感情も生み出しているんだな」

 

と、妙に客観的に見られるようになってきました。

 

 

あと、負の感情の裏側にある「わたしは〇〇なのに」という部分に、

もっと発揮したい、発揮しきれていなくてもやもやしている、

自分がここから行動するべきヒントがあるかもしれません。

 

 

 

違いがあるからこそ、自分がわかる

 

たとえば、世の中にたった一人、自分しかいなかったとしたら。

良いも悪いも、美しいも汚いも、価値基準を設定できないと思うんです。

 

 

比べるものがあるから、物差しができる。

 

 

食べ方が汚い人が、いる。

「うわぁ、あんな食べ方するんだ・・・」

「不快だな・・・いやだなぁ・・・」

と思うと同時に、

「わたしのほうが、きれいに食べられる」

「あの人よりマシ。」

と思っている。

 

 

ちょっと、徒党を組んで人の陰口を言うのと似てるかもしれません。

現実はなにも変わっていないんですけど、思考の範囲でだけ、

誰かを下げることで、自分は上がったような気持ちになれる。

 

頭の中でだけで、ひとりで思考を巡らせるだけだとしても、

負の感情にはそんな側面もある気がしています。

 

 

 

あの人なら、どうするだろう?

 

自分も、あぁなりたい。

そんな尊敬できる人格者、一人はいるのでしゃないでしょうか?

 

憧れのファッショニスタや、フォロワーが多いとかいう尺度ではなく、

・この人には到底かなわない、

・生きているうちにわたしにはたどり着けない境地にいらっしゃる、

くらいに思える 精神性を持ち合わせた人です。

 

ガンジーとかマザーテレサとかジョブズとかになるとちょっとかけ離れすぎてイメージしにくいかもしれないので、ビジネス書やエッセイなどでよく触れたり、そこに内面的な部分の描写がされている人のほうがいいかもしれません)

 

で、負の感情がおきた時、考えてみてください。

 

「あの人なら、どうするだろう?」

「あの人なら、ここでどういう風に考えるだろう?」

 

視点を変えて物事を見始めたら、ここからの人生が拓けるきっかけになるかもしれません。

 

 

 

まとめ

 

負の感情が起こったらまず、そこから自分はどんなメリットを得ようとしているのか?

自分のこころの声を、掘り下げ、掘り下げ、掘り下げてみてください。

どこかで、温泉が出てくると思います。(温泉・・・)

 

そして、

「こう言う時、あの人ならどう考えるだろう?」

「どういう対応をするだろう?」

と、イメージしてみてください。

 

わたし自身、人生何事も、焦点を当てたところに自分が近づいていくという実感があります。

時間はかかるんですけどね・・・そう、継続的にやることがなによりも大切で、なによりも大変。

 

でも、はじめたところからなにかが変わり始めます。

 

 

今回の記事も、どなたかの人生が、本質的に上向くヒントになればうれしいです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!