【今すぐやめよう】Twitterでカサンドラ検索するのをやめた話

またまたお久しぶりです。鈴山ミミーです。

 

以前の更新からすこし経って、なんだか世の中の様子が変わってしまいました。
 
お仕事への影響や、中でも在宅ワークの導入などは、
カサンドラにとって切実な問題ですね。。
 
「お願いだから仕事行って。」
この一言、まだ言ってません。
 

(えらい〜えらいよ私!)

 

 

今回は、タイトルの通り、
 
Twitterで、カサンドラ情報を収集してはいけない
( + \ かわりにこれをしよう!/)
 
の話をしたいと思います。
 
 
この記事は、
パートナーとの関係を続ける限りはできるだけ心おだやかに過ごしたい、
できることならすこしでも何か改善をして、お互い心地よく、心を軽く過ごしたい方
へ向けて書いています。
 
そういう方に向けて書いているというだけで、どんな方をも否定も批判もしておりません。
なぜならみんな違うのだから・・・(!)
 
なので、否定された〜批判された〜など思われる方は、
どうか、光の速さで上部 ✖️ ぼたんで即閉じてくださいね。
 

どうぞよろしくお願いいたします!

 

 

Twitterは見ない方がいい


一般的に「発達障害」と呼ばれる "ADHD" や "アスペルガー症候群" その他の特性を持ったパートナーについて、
もしくはご自身のカサンドラ症候群について。
Twitterでもたくさんのツイートを見かけるようになった気がします。

これらについて、Twitterで情報収集しない方がいいと思う理由は、
大きく分けて2つあります。
 
 

負の感情をもらいに行ってる


Twitterの性質上、発信側が感情的である場合が多いです。
よく練られた上での発信ももちろん無いわけではありませんが、このテーマとなると、やはり一時的な感情の吐露が多い。


Twitterってそういうツールであり、
ある意味、それが正しい使い方なんだと思います


ただ、負の感情は伝播しやすい。
感情的 × ネガティブ発信は、めちゃくちゃ相性抜群。
そこにネガティブワードが並んでいることを分かってのぞきに行くのは、わざわざ嫌な気持ちになろうとしてるのと一緒なのではないかと。
わたしの経験上、そう思うようになりました。

怒りや悲しみは、暴れ馬のように心の中をかき乱してしまうので、一度飼い始めてしまうと蹴り殺される覚悟でいなければいけません。
飼い慣らそうと、一緒に調教してくれる人はいません。入れてしまった、自分の責任です。
「馬、お断り」
ぜひ黒字で大きく書いて、心の入り口に立てておきましょう。
 
正直、カサンドラとして思い悩み、パートナーとの関係を続けるも終わりにするも、
どちらの決断も正解だと思っています。
それが、怒りや悲しみで一時的に沸き起こった感情ではなく、
例えば、美味しいものを食べながらすごくリラックスした状態で、
 

あ、やっぱりこれで間違いないわ。

 

と心の揺さぶりがなくフツーに思えたのなら、
後悔することも決してないと思います。

(感情的に決めた方を否定するものではありません。
そういう方は、よほど "動物的直感" と "行動力" に長けてらっしゃるんだと、私のような石橋を叩いて割って渡って落ちる人間は思います。)
 
「共感」も「興奮」も、手軽な摂取はとても魅力的なだけに、要注意です。
不要なものからは離れて、日々、平常心でいられる心の訓練なのだと思っています。
 
 

余計な記憶が呼び起こされる


ツイート自体がなにかに向けた解決策ではなく、ただただ共感がほしいネガティブ発信であることが少なくないように思います。


もうこれも、本当にしょうがない。
だって、日常にハートフルな共感が足りていたら、カサンドラになんてなっていないのだから・・・!

この枯渇した承認欲求!
Twitterに向けてなにが悪い!
エスSNSってソウイウモノ!!!

こうでこうで、こんなことがあったのー!という発信。分かる分かる!そうそう!
いいねを付け、リツイートしよう〜 となり、、、

そして次第に自分の経験と重ね合わせていき、
不要な記憶が呼び起こされて、、、
 
あれ、、、
なんだか、、、
余計にイライラするよ、、、
 
分かる分かる〜という共感は気持ちいいのですが、
過去の負の記憶と重ね合わせて、怒りや悲しみをなぞる作業をすることに意味はあるでしょうか。
また湧いてきたその負の感情、パートナーにぶつけたくなりませんか。

そんなこと、相手は覚えてやしませんよ。
 

(ギクっ・・・・!!!)

 

SNS上には、参考になる専門家の方のご意見や、有用な情報ももちろんたくさんあります。
 
ただ、それ以上に中毒性の高い情報がたーくさんあること。
素性が分からないだけに、最低限の礼儀をわきまえないというかその基準が本当にいろいろで、たぶんお互いに一生理解し合えない "誰か" とも接触しうる、そういうフィールドであると理解しておくこと。
そのリスクが大きいことをよくよく分かっておかなければいけないと思うんです。
 
あと人って、不思議なもので、いやなことを考え続けて、
「わざわざ」いやなことで頭をいっぱいにして暮らしてしまうことがあります。
そんなことしなきゃいいんだけど。
人間だもの・・・
 
できればしたくないけどね・・・
人間だもの・・・!!!
 
なぜ私の更新が少ないか、というのも、
日々のわたしの感情の起伏を伝えて、
読んでいただいている方の感情をわざわざ振り回したくない、
というのがあります。

カサンドラについてこれまで思い悩み、
たくさん読み、調べ、勉強して、もはや研究を重ねてきましたが、
私はただ、より心穏やかに幸せに過ごしたいだけであり、
 
発達障害についての研究家になりたいわけでも
プロのカサンドラになりたいわけでもない。笑
 
できるだけ自分の人生を豊かにすることに時間を使うために、必要以上に "思考の奴隷" にならないようにしています。
 
いや、でもこれは、
実行するのは本当にむずかしい。笑

もう、日々意識してやっていかなくてはいけないんだろうと思っています。
 
 

そしたらかわりにこれをしよう!


SNS上に転がっている情報を読み漁る代わりに、
「本を読む」ことをやはりオススメしたい
 
 
【本を読むと得られること】
別の考え方や、新しい視点を得られる
自分のきもちを「言語化」できるようになる
 
 
一回のランチ程度の金額で、たくさんの知恵が得られるし、
なにより新たな内的発見があると、
それだけで心のやすらぎを得られます。

あと、人が混乱したり、どうしようもない虚無感に襲われたりするのは、
そのきもちを言葉で表現できないから」だと聞いたことがあります。

これって一部の発達障害の方は特に苦手とする作業ですよね。
(夫も、なにが分からないのかも分かっていない状態によくなっています。)
人って自分のきもちを適切なことばで言い表すことができれば、他の人に説明して理解を求めたり、
その先を考えることもできるし、すっと受け入れられるものなのかもしれません。

そうした言語化は、インプットなしには成し得ないように思います。
もっと!もっと私のきもちを的確に表した!言葉をクレー!!!
と本を読むうちに、どこかで感動的な出会いがあるものです。
 

また、私たちが今抱えている悩みについて、もうすでに先人たちが悩みに悩んで、
答えを出しているんだとしたら。
それが、読み手のことを考えて、推敲に推敲を重ねて、書き記されているとしたら。
読むしかないですよね。
読まない手はありません。
 
ちなみに私は元々、読書が大大大の苦手で、読書感想文のために読んだことすらありませんでした。。。

大学生の時に村上春樹さんの本にはまり、そこから人生の節々で、数々の本を手に取って自分がぶち当たっている課題について模索し、自分にとっての答えを、自分の中で生成するようになりました。
 
これができるようになると、
自分の人生に起きる困難をなにかのせいにしたくなっていた以前と違い、
誰のせいにもせず、自分の人生に責任を持って、「より豊かに生きるぞ〜!うおおぉぉぉ〜!」
と進める自分になったと感じています。
(でも、もちろん、混乱することもあります。人間だもの。。。)
 
タイムマシーンに乗って、過去のわたしに
「早よ読まんかい!」と伝えに行きたい本を、
次回からすこしずつ更新したいと思います。

できるだけ、本の中でわたしに刺さったところをピックアップしながらご紹介できたらと思っているので、
同じような思いで日々を過ごしておられる方には、またぜひチェックしてもらえたら幸いです。
 
結果、本を読んでほしい訴えの比重が大きくなってしまった。笑
 
早く、日常が戻りますように。
お気をつけて、お過ごしくださいね。

自分を甘やかすことを、お忘れなく。(!)
 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!