【HSP大全】幸せな生き方についての考察(おすすめ本7選)

こんにちは!鈴山ミミーです。

 

最近、HSPについて取り上げられた記事を、よく見かけるようになりました。

 

「わたし、これだわ・・・!」

 

心当たりがあり、HSPについてネットサーフィンしていたところ、

ん?外向型HSP
刺激追求型?
HSS?HSCにHSE・・・??

なんだかいろいろタイプがある?ようですが・・・

 

ん〜 私はこれなのかなぁ〜
でもこの説明とはちがうしな〜・・

 

と、正直、なんだか ピーン!とは来なくて。

 

そこで今回は、ちまたで見かけるいろいろなHSP情報ですが、
HSPの立場から、

HSPの2つのタイプと、理想の生き方について

超個人的見解でまとめました

 

「内向型か、外向型か・・・はたまた刺激追求型か・・・?」
ということには深く触れていません

 

 

結論からいうと、

 
・本当にやりたいことが見つかっているHSP
・やりたいことが、まだ見つかっていないHSP

 

タイプはこの2つに尽きると思います。

 

 

科学的な研究はきっと、もっともっと複雑だけど、この記事を読んでいただくことで

 

・自分のHSP特性について理解する
・どうすれば、本当にやりたいことが見つかるのか

 

を、知っていただくことができるかと思います。

 

 

私自身、なんだか周囲とは違う、繊細すぎる、面倒な性格と長年向き合い、付き合ってきました。

自己分析とトライアンドエラーを繰り返すことで、たびたびの紆余曲折がありましたが、
今は好きな仕事をして、人間関係で悩むことも少なくなり、だいぶ生きづらさを手放すことができました。

 

 

何より、自分の人生を自分らしく、しあわせに生きられているように思います。

幼かった頃や、学生時代の自分に、大人になったらもっとラクで楽しくなれるよ!っておしえてあげたい。

 

 

学術記事などとはちがうかもしれませんが、わたしの考え方がしっくりきて、
参考になる方がいたらうれしく思います。

 

超個人的なまとめです。ご了承くださいませ!

 

 

 

 

HSPとは(脳科学をシンプルに解説)

 


HSPの特性というのは経験や学習による後天的なものではなく、

生まれつき、脳の扁桃体のはたらきが活発なために備わっている性格だと言われています。

この「扁桃体」は、なにかを見聞きした時に、瞬時にそれが生存に関わることかどうかを判断します。
そして危険だと判断した時には、「不安」や「恐怖」といった感情により、その状況を回避しようとします。

このはたらきが強いということは、センサーが敏感で、とても用心深いということですね。

 

これは身体に害を及ぼす危険だけではなく、

たとえば、

人の不機嫌な表情や、怒っている声色に対して
「良からぬことに巻き込まれるかもしれない・・・」と好ましくない事態を想定したり、

ショッキングな事故映像を見せられたら
「自分もこうなったら大変だ・・・」とリアルな想像をふくらませてしまったり、

日常生活の中でも常々このセンサーを働かせて、HSPではない人よりも不安や恐怖を度々感じていることになります。

ふつうに、めちゃくちゃ疲れますよね。

 

ちなみに、この扁桃体のはたらきを制御しているのが「前頭前野」。
前頭前野では、理性的な状況判断を行っています。

つまり、前頭前野のはたらきをしっかりサポートしてあげれば、扁桃体がいきすぎた不安や恐怖の感情をつくり出すことを、幾分抑えることができるわけです。

そうした意味でも、HSPについて知り、論理的に攻略していくことはとても大切だと感じています。

 

HSP:悩みの種である「共通特性」はこの3つ


HSPの特性を判定するチェック項目にはいろいろありますが、HSPの根本の根本、
悩みの種になりやすい「これは共通なり!」というものは、以下の3点にまとめられるのではないかと。

① 人のきもちが分かってしまう(共感性が高い)
② 感情をともなうことは、些細なことも覚えている(ネガティブ・ポジティブの両方)
③ 深い考察や、内面世界の充実を大切にしたい

 

それぞれについて、私のケースで簡単に説明したいと思います。

 

人のきもちが分かってしまう(共感性が高い)

テレパシーではないし、第六感があるというわけでもないのですが、

悪意のある発言や嘘が、分かってしまう。

そして、そうしたことを言う人(相手)って、特に学生の頃なんかだと決まって、友達が少ないことが多い。
集団生活している中で、みんな付き合いたいとは思わないんですよね。

で、その人が孤立しているという状況の気持ちも察して、気にかけてしまう。

結果、その相手になぜか好かれる。(分かってくれるのはあなただけ〜みたいな)

一緒にいて、疲れてしまうこともしばしば。

 

そんな経験、ありませんか?
私、こんなことの繰り返しでした。

 

意地悪をしてくる人のきもちにも気付いてしまうけど、逆に、好意を持ってくれていることにも気付きます。

「あ、この人も、人の気持ちを察するタイプの人なんだな」という人からの好意が、私にとって一番安心で心が許せる人間関係です。

大人になってからは、深い話をした時の相手の反応で、この人はHSP的な特性があるかどうか?が結構分かるような気がしています。

 

感情をともなうことは、些細なことも覚えている

わたし、異常に記憶力がいいと言われることがよくあります。

なんでそんなこと覚えてるの?と。

これはネガティブなこと、ポジティブなことの両方にあります。

ネガティブなことだと、
・他人のデリカシーのない言動
・自分自身の言動への後悔(←すごく引きずる。一番タチが悪い)
・非人道的な映像 等...

もう絶対にいやだ!とその場面ごと記憶に焼き付いているので、同じことを繰り返して再度ダメージを受けないよう、そうした状況をつくらないよう回避して生きています。
(人からこう言われた時にはこういう言葉を返そうとか、こういうこと言ってくる人とは極力会わない、とか)

ある意味、臆病だけれど、学習能力は高いです。

 

一方、ポジティブなことだと、
・心揺さぶられる感動
・成功体験
・自分への共感の喜び 等...

正直、こちらの方が数が少ない。(人生ってそういうものですよね)
でも、その時のきもちを思い出すと、心の中がじゅわ〜と潤って、極度に疲れている時とか場面によっては、それだけで泣けます。

こうした鮮明に残るほどのポジティブな記憶を、時々思い出しては反芻して噛みしめることが、
生きていく上でのこころの糧、支えになっているとも言えます。

 

深い考察や、内面世界の充実を大切にしたい

上記の2つの特性でわかるように、日常生活だけでも、キャッチする情報量がめちゃめちゃ多い。
(感覚過敏な方も多いと思うので、そうした感覚刺激の情報もまたプラスとなりますよね)

 

だから、それらを自分の中で処理することが必要になります。

・あの人は、どういう意図でああ言ったんだろう?
・わたしがあの場面でやるべきは、何が正解だったんだろう?

特に、わたしは幼い頃から「誰も傷つかない、機転の利いたこたえ」を今後のために考えることを、もはやライフワークとしてきました。

 

そうした考察を重ねることって、ほんとに脳みそが疲弊するんですが、
私にとっては「多くの情報から真理を追求する作業」といった感じで、
人生の質が上がっていく大きな助けになっています。

また、あらゆる状況とその時の対応を想定しまくって網羅することで、どういう状況になろうと
「あとで後悔することのない振る舞いをして生きよう」
と、年々、道徳的な人間になっていった気がします。

(後悔が一番ひきづるので、そもそも後悔するような局面を作らない!といった感じです)

 

そうしたことを積み重ねてきた30代後半の今、生活でも仕事でも不要にオロオロすることはなく、
逆に毅然と居られるようになっていて、すごく生きやすくなっています。

 

あと、HSPの特性である「ひとりの時間が必要」は、まさにその通り。

自分の中に入ってきたたくさんの情報を処理して整理するのは重労働だし、
さらに情報がはいってくるのを避けるために、ひとりでいることを選択するんだと思います。

誰かといたら、何気ない発言をまたキャッチしてしまい、あれこれ思いを巡らせてしまう。
それがまた処理するべき情報になってしまうんですね。

うーん、厄介な特性であります。

 

外向的?刺激追求? HSPについて図解してみた

生まれつき、外向型HSP
そして、一部のHSPは刺激追求型?

わたしにはここが一番、難解で。

わたし的に、HSPとしての人生を攻略するにあたって、そこは別に気にしなくてもいいんじゃないかと思えて。
(だってHSPに限らず、それって人それぞれだし、変わることもありますよね)

気にするべきは、上記の共通する基本特性(人によっては+α)であり、
内向型/外向型、刺激追求型/非刺激追求型っていうのは、

それぞれの人生の経験や、学習によって変わってくるんじゃないかと。

 

イメージとしては、ざっくり、こんな感じです。

 

f:id:suzuyama-mimi:20210217161457p:plain

 

生まれた時には、きっと、「生まれつき外向的」とか「刺激追求しないタイプ」とかあるとは思うんですけど、
与えられた環境によっては、必ずしもそういう生き方ができるとは限らない。

だから、自分の居心地のいいポジションを探すという人生ゲームなのではないかと。

 

HSPの特性上、元来、臆病であると思うなので、左下の「内向的 x 非刺激追求」から人生ゲームがはじまることが多いのではないかと思うのですが、

そこから学習や、チャレンジ(成功体験)を重ねることで、
すこしづつ、「なりたい自分」になっていく。

日々の人生に違和感を感じない、理想の生き方に近づいていくのではないかと思っています。

 

ちなみに、各エリアを移行するイメージはこちらです。

 

 

f:id:suzuyama-mimi:20210217161504p:plain

 

 

つづいて、各エリア間の変遷について、わたしの場合で説明します。

 

 

鈴山ミミーのHSP人生

どうせ期(0 - 12才)


わたしの場合、きっと生まれつき外向的なタイプだと思うんですが、
スーパー保守的な親の元で、アダルトチルドレンよろしくな感じで育ったので、

なんだか悶々とした幼少期を過ごしました。

 

参考:

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

大人に対して、
「理不尽だなぁ・・・」
「デリカシーがないなぁ・・・」
と感じたネガティブな記憶は、3才頃の記憶から残っています。汗

小学校卒業くらいまでは親の影響力が及ぶところも大きく、
子供特有のすこしの万能感と、「どうせ私なんて」という諦めを持っているような、
些細なことでよく思い詰める子供でした。

おそらく、このエリア(内向的 x 非刺激追求)は、わたしにとって、自分らしさを感じられない場所でした。

 

f:id:suzuyama-mimi:20210217161510p:plain

 

チャレンジ期(13 - 18才)

小学校でいちばん運動神経が悪いと言われていたわたしですが、
中学生になり、部活動見学で見た花形スポーツに惹かれ、
身長が高くモーレツな勧誘を受けたこともあって思い切って入部。

まだ体罰も容認されていた時代。吐くほどしんどい練習で毎日死にたいとまで思っていましたが、
まさかの キャプテン、しかも エース選手 になってしまった。

マイペースでのろまとして有名で、文化部一択だと思っていたわたしが、
ここからは体育が得意科目となり、大きな成功体験を得ました。

むちゃくちゃ勇気いるし、乗り越えるのは死ぬほどしんどいけど、
チャレンジすれば人生って変わる・・・!!!
 
ただ、すごく内向的なままでした。

顔とか体型がコンプレックスで、人前であまり笑えなかった。
(じぶんの笑った顔が、人を不快にさせるとさえ思っていました・・・)

今、その頃の自分に会えるのなら、母親が口にするデリカシーのない言葉を気にしちゃだめだと抱きしめてやりたい。

そんな6年間でした。

図でいうと、このあたりでしょうか。

 

f:id:suzuyama-mimi:20210217161516p:plain



 

ドン底期(19 - 21才)

小さい頃から抱えてきた、理不尽とか悲しみとかいう感情が、ここで一気に暴発します。

 

わりかし勉強はできるほうでした。

学区トップの高校に行ったものの、正直、大学受験の時点でじぶんは何をしたいのかなんて分からず、
(本当は美術系に行きたかったけど、進学校だったためよほどの熱意がない限り推奨されませんでした)

母親から提示された「大学行くなら、家から通える国公立」と、
とりあえず勉強は得意だし「偏差値が高くて、すごいと思ってもらえる大学にしよう」という
安直な2つの尺度のみでそれなりの大学に入ったわたし。

入学当初からとてつもない違和感に襲われ、ここは居るべき場所ではないと感じつづける暗黒期がはじまります。

そして3年生になった時に、自分でもわからないんですが、
急に勉強ができなくなりました

 

成績はよかった。単位も十分すぎるくらい足りてる。(むしろほぼトップだった・・・)


でも、なぜだか勉強できなかった

 

やろうと思うと手が震え、動悸が止まらなくなり、一日中ほろほろと涙が流れていました。

 

 

今思うと、おそらくパニック障害だったんだと思うのですが、

 

・親の期待に答えようとしてわたしの人生ここまできてしまった
・すべてもう手遅れだ
・どうせ死ぬのになんで生きてるんだろう・・・?

 

つらすぎて、そんな風に考えていました。

 

ふとテレビで流れていた映画版クレヨンしんちゃんを横目に、
「私は5才に戻ってやり直すことはもうできないんだ・・・」
と、消えたくなったのを覚えています。

 

一気に左下に、どーーーん。

 



 

限界突破期(22 - 28才)

チャレンジ期での成功体験があったわたしですが、どうにもこうにも腰が重く。。。

もう、しんどいばかりの人生いやだ。
ラクに生きたい。
でも、そんな人生ってもう生きてる意味ない。

どうしようもない状態の日々がつづきました。

 

そんな時、もう本当に死にたいと思いすぎて。

「死ぬんだったらもうあとはどうでもよくね?」となり。

これまで、人のことを羨ましいと思いつつ気にしないようにしてきた、
むしろ苦手意識さえあったから手を出せずにいたこと。

やればいいのに「どうせ自分には合っていない」とか、
「親もいい顔しないだろうし」とか、
なにかと理由をつけて自分をあきらめさせてきた、
そんなことに挑戦しました。

 

結果、目の前が一気に パッカーーン! とひらけて。(!)
目はギンギンの、キラッキラ。

「わたし、人生でまだまだやりたいことある・・・!!!」

メーターが一気に振れてしまい、まるで別人のようになってしまいました。

 

「自分の人生を手にした!」「これが本来のわたしなんだ!」と強烈に感じた この時からは、不思議と、友人とグループをつくって群れたりすることに興味がなくなりました。


それまでは、なんだか所属意識がないと不安だったんです。

あと、じぶんという人間を臆することなく受け入れることができるようになり、
人前でもよく喋り、きもちよく笑えるようになりました。

 

そうか、わたしを苦しめていたのは、他の誰でもない「好きになれないこのわたし本人」だったのかもしれないと、今になって思います。

 

それまでは心の底で恨めしく思っていた親からの抑圧も、ここからは気にならなくなり。
家庭という場が、私にとっては最強の社会勉強だったなぁ、、、と。(遠い目)

母親は「ミミーは 180度、人が変わってしまったね・・・」と、おそらくもう自分の精神的支配下に置けなくなったことを、残念そうにしていました。
(それでもモーレツな攻撃をやめられない母ですが、その話は機会があったらまた書きます)

 

この時の感覚は、

・わたしは自由なんだ・・・!
・自分という人間を信じて、すばらしい自分の人生を進もう!

といったものでした。

 

これまでも、わたしはずっとそう生きたかったのかもしれない。
急に人生があかるく、これから先が楽しみなものになりました。

 

f:id:suzuyama-mimi:20210217161529p:plain



 

ちなみにこの限界突破期の26-27才頃に、一度、またひどく病んでいます。笑

そうです。
またしても、よく考えずに入った会社で、同じことが起きました。(呆)

 

実際はすごく考えた上だったんですが、当時はまだインターネットも普及していなかった時代。
そこまで豊富な情報もなく、型にはまった就職活動をしていました。

 

入社してから必死で働き、正直、普通の人よりは結構できるほうだったんじゃないかと、、、
でも、急に「これは人生をかけてやりたいことじゃない感」で一杯になってしまい、
(うぎゃーーー!!!)となってしまったんです。

 

しかし、この展開はもう学習済み。笑
せっせと、次なる開くべきとびらを探して、情報収集や各種セミナーへの参加、資格取得などを矢継ぎ早に展開し、脱出に至りました。

 

この時に学んだのは、

わたしは24時間365日やれるくらい興味があって、それをやる意義が十分に感じられることを仕事にしなければいけない

でした。

 

もはや、神様がわたしにそれを気付かせるために、何度もわたしを病ませ、そして人生を軌道修正させてきたんだと今となっては思えています。

 

安定期(29才 - 現在)

 

「24時間365日やれるくらい興味があって、それをやる意義が十分に感じられる仕事」

これは、わたしが大学進学の時に頭をよぎりつつ気にしないようにしていた、芸術系のことでした。

 

大学を卒業してサラリーマン生活をしていた時にも、結局は、休日にそうした芸術系のことに勤しむのが楽しみで、その他の週5日をがんばって会社で働いているような状態でした。

 

当時付き合っていた今の夫の転勤を気に、サラリーマンを退職。
他の記事を読んでいただいた方はご存知の通り、夫は、ADHDと受動型アスペルガーの特性を持っています。


退職にあたって夫はめちゃくちゃ寛大で、
「いつ始めたって、ものごとに遅すぎるなんてないよ!」
「そんな君がすてきだ!」
みたいな感じで背中を押してくれて、すこしスクールにも行ったりしながら徐々に仕事になり、今に至ります。

 

でも正直、そういう世界なんだとは思いつつ、それを仕事にして食べていくのはめちゃ大変。汗
なので、ダブルワークでがんばっていますが、自分にとって今の生き方がものすごく合っていて。
わたしにとっては、お金よりも、やりたいことをやることが最重要なんだなと。


どれだけうまくいかなくても、気持ちは前向きで燃えるばかりなんです。
わたしの人生で「乗り越えるべき困難」に立ち向かってる、みたいな。

生きる上で大事にするべきことの軸なんて、人それぞれでいいんだ。
これまでずっとエリート志向が染み付いていただけに、それを受け入れることにさえ、わたしには時間がかかりました。

 

きもちが満足して安定しているとはいえ、きっと現状維持を一生つづけることはないので、どこかでまた軌道修正する時が来るのかもしれません。
そしたらまた、図中のすこし上のほうへ行く(チャレンジする)ことを繰り返しながら、自分の心地いい場所を探していくんだろうなと思っています。

 

f:id:suzuyama-mimi:20210217161535p:plain



 

HSPが理想の人生のためにするべき行動

 

これはずばり、

今の自分に違和感があるのなら、情報収集しまくって、チャレンジする

この一点に尽きると思います。

 

もちろん、「これだ!」と、すぐに見つかることはないと思います。
わたし自身、「生きているのがつらい」「もう死にたい」そんな時間も長かった。
そして、めちゃくちゃいろんなことに、お金も時間も投じました・・・

食に関することと、金融系についてはかなり詳しくなりました・・・。笑
それはそれで、後々の人生でもとても役に立っています。
あとは調査のみで実行しませんでしたが、北海道に住み込みで牧畜の勉強しに行こうとしたり、大学を中退して歯科衛生士を目指そうとしたり、手話の学校に編入しようとしたりもしました。(大学は辞めず、1年追加して5年で卒業しました)

 

とりあえず、
・なんかちがう・・・
・自分がじぶんの人生を生きていないような違和感がある・・・
・毎日を消費しているような感覚で息してるだけ

そんな風に感じている方がいたら、

 

情報収集しまくって、チャレンジしてください。

 

元々、センサーの感度が抜群のHSP
数打ちゃ当たるではないけれど、どこかで必ず、

 

魂が揺さぶられるような出会いがあると思います。

 

それはもう、

・自分がやりたいのは、これかなぁ〜?
・うーん、たぶん、これかもなぁ

とかじゃなくて、

 

 

こ、こ、これだああぁぁぁぁ!!!(パアアァァァ)

 

 

っていうくらいの、考えただけでワクワクが止まらない、
これじゃなかったらもうなんなんだ!くらいの確信を持てることだと思います。

 

これができたら、これをやっていけるんだったら、もう他なんていいや!
これまであれこれ考えすぎて思い詰めて生きてきたけど、そのパワーのすべてをこれからは、これのために使って生きる!
 
この感覚こそ、HSPが、その特性を最大限に活かしながら生きるためには一番必要なのではないかと。
いちHSPとして、感じます。
 
 
そして先ほど述べたように、ここにたどり着くまでの過程において、

自分が内向型とか外向型とか、刺激追求型なのかどうか?って、
あまり調べてあれこれ思い巡らせなくていい気がしています。

 

今の自分を "なんだか違う" と感じるのであれば、チャレンジしていくしかない。

 

これは、
自分は生まれつき内向型だから、とか、
非刺激追求型だからチャレンジしなくていい、とかいうのではないと思っていて。

 

もし、それですごく幸せだったらいいんです。
「わたしは今、サイコーにしあわせに生きています!」と言えたのなら。

 

でも、もし、周りに対して「どうせ自分には・・・」という羨ましい気持ちを持っていたり、
これでいいんだと、あきらめ半分に自分に言い聞かせている自覚が少しでもあれば、

 

そうした自分にとっての「理想の生き方」というのは、
チャレンジしないと見つからないんだと思います。

 

そして見つかったら、その最高な、理想の生き方を追求していけばいい。
一度このフローを経験してしまえば、次にまた同じような違和感を持った時に、
「この時が来た・・・!」と、またチャレンジすることができる。

 

きっとその時には、前回にやりたいことを見つけた時の成功体験の感覚を思い起こして、より意欲的に行動することができるはずです。

 

ただ、その最初の一回目の発見までが、おそろしくしんどい

 

これは、それだけの覚悟があるのか、神に試されているのだと。
そこまでの道のりは、そりゃあそんなに甘くないよねと。
そういう気持ちで、ひたすら、やりたいことが見つかった後のじぶんをリアルに想像して進むしかないと思います。

 

チャレンジってこわいし、面倒だし、やったからといってすぐに見つかったり結果が出ることでは決してないけれど。


うまくいかなかった時には必ず、

 

・これじゃなかったかーー
・これでまたひとつ成功に近づいたぞー
やってみた上で "これじゃない" と分かると、そのことに対する未練は消えて無くなります

 

と、思うようにするのがポイントです。

 

HSP向け:人生を変えたい時におすすめの本7選

変わりたいあなたへ(3冊)

 

1. [ 絶対ブレない「軸」のつくり方(南 壮一郎 著)]

 
「やりたいこと」があるのに、はじめの一歩を踏み出せないすべての人へ。
(表紙 そでより)
 
この一言を読んで、まだ本文にも入っていないというか表紙部分をめくっただけなのに、核心を突かれてギクリとしたのを覚えています。
 
違う。僕は知っている。
やりたいことは必ずできるということ、そして行動した人だけが味わえる、「感動の瞬間」。そしてそれは、誰にだって、訪れることを。
そのためには、ゼロからのスタートだって問題ない。
かつての僕自身がそうだったのだから。
(プロローグより)
 
スポーツの仕事をしたいと思っていたのに、やっていたのはフットサル場の受付。
そこから驚異の行動力で、楽天イーグルスの創業メンバーとなった、ご本人の実話です。

腰が重くなると、繰り返し開きたくなる一冊です。

 

2. [ 夢をかなえるゾウ(水野敬也 著)]

 

自己啓発系で、わたしの大好きな一冊。

情けない自分がいやになり、「変わりたい」と号泣する主人公のサラリーマン。
関西弁をしゃべる、ふざけてばかりの神様 "ガネーシャ" の教えにより、成功する人生をめざすというストーリーです。

教えも深いのですが、それ以上に、そもそも読み物としてめちゃくちゃ面白い。

わたしは20代中盤に読み、自分がめざしたい生き方にしっくりくる教えが多く、周りとちがってもこれでいいんだ!と、勇気ももらえました。

あらゆる人に読んでもらいたい一冊です。

 

3. [ ガンジス河でバタフライ(たかのてるこ 著)]

 

大学生の頃、「ミミーは読んだほうがいいと思う」と、友人が貸してくれた一冊。

小心者で、英語もできない、海外に行ったこともないけど、もう!こんな自分を変えたい!!!と、著者が、ひとり旅に出るという実話。

そうか・・・人生を変える、自分を変えるってこういうことなんだな・・・と、
その思い切りのよさや、数々のハプニングなどのすべてがリアルに想像されて、
読みながら、こころの中心核がじんわり熱くなっていくのを感じたのを覚えています。

行動しようしようと思っていたわたしの背中を押してくれた、オススメの一冊です。

 

こころの糧になる言葉(3冊)

孤独を愛さざるをえないHSPにとって、いい言葉ほど心強いものはないと思っています。
本はよく読むので本当はもっとあるのですが、、、
今回のテーマに合った、じぶんの生き方や信念の支えとなる3冊を選びました。

 

※ お使いのブラウザ(safari, chromeなど)によって、各サイトへの書籍リンクが表示されない場合があります。その場合は、別ブラウザにてご覧いただけますと幸いです。

 

 

1. [ 死ぬまで仕事に困らないために20代で出会っておきたい100の言葉(千田琢哉 著)]

20代で逃げたことは人生の最後までやらされ続ける

(表紙 そでより)


まさに、逃げに走ろうとしていた自分に刺さり、血まみれになった一言でした。

こういうタイトルの本が一時期 書店によく並ぶことが多く、個人的にあまり好きじゃないと思っていたのですが、この本は、
人生・仕事・時間・組織・勉強・情報・交渉・・・と、10のテーマについて それぞれ10こずつの言葉が、それぞれ見開き1ページで簡潔にまとめられています。

著者が大学時代に一万冊の書籍を読み、のちに、仕事を通して3,300人のエグゼクティブ と 10,000人のビジネスパーソンと対話をすることで、
「これは人生においての本質である」
と確信、厳選した言葉をまとめたとあって、心に留めておきたい言葉がたくさん見つかります。

・「みんな一緒ですよ」と言う人には、近づかない。(「人生」より)
・痛いことを言われたときこそ、「なるほど」。(「交渉」より)
・お互いに孤独でなければ、友情は育めない。(「友情」より)

扁桃体のはたらきを制御するために「理論を補強」するという意味でも、HSPには心強い一冊かと思います。

 

2. [ 超訳 ニーチェの言葉 ]

「今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ」

(表紙 そでより)

 

そういう生き方ができている人がいるのか・・・と、なんとも言えない気持ちが沸き起こったひと言。

「自分の人生はしんどいことばかり。私なんて、私なんて」
そんな風に思ってる場合じゃないのかも・・・と、ページを繰るたびに思わされました。

全部で232の言葉が収録されている、大ボリューム。
読む時にはポストイットを用意して、何かあった時には見返していきたい一冊です。

 

3. [ 声に出して読みたい論語齋藤孝 著)]

 

こちらは別の記事で既出ですが、本当にいい、手元に置いておきたい一冊なので再掲します。

小さい頃から、人生の要所要所でじぶんのなかで発見してきた「生きることの真理」みたいな言葉がたくさん書いてあって、
何千年もの間、語り継がれ今ものこる言葉には、積極的に触れるようにしないともったいないと思わされた一冊です。

参考:

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

まずは自分を知ろう(1冊)

[ さあ、才能に目覚めよう ストレングスファインダー ]

 

本に付属したコードを入力することで独自のweb診断を受けることができ、
そこで発見された自分の強みや弱みの活かし方などが、本で解説されています。

何をするにも、まずは適性を知っておきたいな・・・という方で、ネットの無料診断などでは物足りない方におすすめです。
短所だと思っていたことが長所として活かせる指摘があったりと、意外な発見があるかもしれません。

こちらの本、購入する際には 中古本を買わないように注意してください
本に付属しているコードは再利用できないため、web診断ができません

わたしが読んだものは今となっては旧版となっているようで、今はこちらの新版が出ているようです。
すこし内容も変わっているのかも・・・?
以前読んでからだいぶ経ったので、私もまた買ってみようか検討中。

 

 

HSPだからこそ、やりたいことは見つけられる

やりたいことを見つけよう!なんて、あまりにもきれいごとに聞こえるかもしれませんが、

 

些細なことを敏感にキャッチして、思いを巡らせる、何かあれば対策を施していくという特性は、発揮するべきところで使えば、他の誰にも真似できない、ものすごい力であるはずです。

 

あと、やりたいことを見つけるだけの思考力や、そこにたどり着くまでの抜群のアンテナを持っているのも、HSPの強みなのではないかと。

 

夫は、ADHDと受動型アスペルガーの特性を持っていますが、

「あ〜人生で打ち込めること、俺も見つけたいなぁ」

と、飲み会から帰ってくると、よく言います。

でも、もう次の日にはそんなこと思ってない。
完全に忘れている。
次に飲み会に行って、また、同じことを思って、またぼやいている。
そして翌日にはまた、そんなことは忘れているんです。

 

きっと、HSPの特性を持つ人って、一度気になりはじめたらその思いがどんどん増幅して、やらざるを得ないところまで気持ちを積み上げられるのではないかな、と。

そこで、
その気持ちにフタをしてその後も生きていくか、
もっとしんどいけれどやりたいことを見つけるチャレンジに出るか。

 

それは人それぞれで、どっちが正解ということはないんだと思います。

 

・本当にやりたいことが見つかっているHSP
・やりたいことが、まだ見つかっていないHSP

 

自分は、どちらとして生きていきたいか。

(少しでもモヤモヤしていれば、まずは本を読んでみて、ぜひご自分のこころの動きを感じてみることをおすすめします)

 

超個人的なこの記事に、参考になる部分がありましたら、とてもうれしく思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

カサンドラの方でHSPかも?という気づきがあったり、HSP記事としてたどりついて「自分はカサンドラかも」という発見がありましたら、また他の記事も参考にしていただけますと幸いです。

 

【やってみて】カサンドラは「脳内離婚」で状況整理しよう

こんにちは。鈴山ミミーです。

 

「このままでいいのか・・・別れるべきなのか・・・」
「もうどうしたらいいか分からない・・・八方塞がりだ・・・」

 

これを読んでいただいている方の中には、そんなどうしようもない気持ちを抱えてらっしゃる方も、少なくないと思います。

私も、そうした無間地獄のような気持ちになることが定期的にありました。

 

そんな葛藤から脱却するために。
今回は、悩めるカサンドラの皆さまは、まずはぜひ

 脳内離婚をしてください という話をしたいと思います。

 

これは単なる、

離婚を想定して、備えましょう
備えあれば、憂いなし!

という呼びかけではありません。

 

私自身、この考え方を知ったことで、以前のような負の無限ループにハマることはほぼなくなりました。
ぜひ、以下をお読みいただき、参考にしていただけたらと思います。

 

 

 

脳内離婚のメリット


人は、どうしたらいいのか分からない状態にあると、ただひたすら悩み続け、神経を摩耗していきます。。。

 

「あーーもういやだ・・・夢なら覚めてくれ・・・」

と、もう100万回は祈りましたよね。
(私はたぶんその100倍は祈りました)

 

悩みすぎて、若干、思考停止に近くなることもありました。

 

このどうしようもない悩み。

きっと、なんだか色々積み重なりすぎて、もうすべてがいやで、
別れるかどうかに行き着くまでのことを把握していないというか
もう考えたくないし、どう考えればいいのかも分からない

から悪化していくんじゃないかと思うんです。

 

例えるなら、「箱の中身はなんでしょうゲーム」を想像してもらったら分かりやすいかもしれません。

(バラエティ番組でよくある、箱の中身が何かわからない状態で手を入れて、何が入っているか当てるあのゲームです)

 

あのゲームって、何が入ってるかわからないから、こわいんですよね。

 

中身が何か分かっていれば、苦手なものだったとしても、そこまで怖がる必要はないわけです。
もっと言えば、そうだったとて、「適切に怖がることができる」わけです。

 

あの中身がわからない箱を、カサンドラの最後の手段、「離婚」と仮定します。

 

何が入ってるか分からない。
これ、めちゃくちゃ怖い。
ロクなものが入ってる予感がしない。。。

 

この状態でゲームするの、ただただ不安で、恐怖が増幅されていきます。

 

「ぎゃーー!手入れるの無理ーーー!(猛烈にジタバタ)」

 

っていう心理です。

 

中身を見ましょう。
中身が何か分かれば、
それをどうやって触ればいいか分かったら、
もしくは「絶対に触れないもの」だと分かったところで、

 

その時って、たぶんそこまで怖くなくなっているはずです。

 

それが何だか分かっているから。
ダメならだめで、どうしたらいいか考えますよね

 

そもそも、なんでそうした無限ループのカサンドラ的な葛藤に陥っているかというと、
きっとご自身の性格として、

・なんとかしてあげたいという、相手を突き放せないやさしさを持っている
・これまでの人生では、自身の深い洞察力で課題解決してこれた自負がある
・献身的で、自分の心を守る防衛能力が低い

というところがあると思うんです。

 

相手の気持ちに寄り添って、
「どうにかしよう」
離婚なんて考えちゃいけない
「私のがんばりが足りないんだ」
とがんばった先にあるのは、

 

「こわいよーー!手入れるの無理ーーー!!!(猛烈パニック)」

 

です。

 

だからこそ、脳内離婚してもらいたいと思っています。

 

最初に書きましたが、
人は、どうしたらいいのか分からない状態にあると、ただひたすら悩み続け、神経を摩耗していきます。

 

・今、自分が抱えている葛藤は、そもそも抱えるべきことなのか?
・それを手放したら、なにが起きるのか?
・そもそも自分はどうしたいのか?

 

こうした掴み所のない葛藤が、脳内離婚をすることで、状況を把握して、さらには自分自身のしあわせのための課題が見えてきます。

「離婚」というワードのせいでなんだかネガティブな印象を受けて拒否反応が出そうですが、この作業、状況が好転することしかないと思っています。

 

以下に、具体的なやり方と例を挙げて説明します。

 

騙されたと思ってやってみるのがミソです。

 

 

具体的なやり方

 
ステップとして、3段階に分けてやります。
 
 
脳内離婚のやり方
ステップ1. 離婚したあとの状況を具体的に想定する
ステップ2. その時に起きること、やることを書き出す
ステップ3. それぞれについて対応を考える

 

 

参考までに、わたし(30代後半、子無し夫婦)の場合、こんな具合で脳内離婚しました。

 

 

ステップ1:離婚したあとの状況を具体的に想定する

例)
○ひとりで生きていけるよう、自分で稼ぐ
(今は経済的に夫に頼っているため)

○引越しをする
(今は夫が購入した家に住んでいる)

○再婚相手を探す?一生独身でいたい?

 

 

次に、それぞれで想定されることを書き加えていきます。

 

 

ステップ2. その時に起きること、やることを書き出す

例)
○ひとりで生きていけるよう、自分で稼ぐ
在宅ワーク?もしくは会社勤務?(生活費+αはいくら必要?)

○引越しをする
どこに住むか決める(仕事による)

・引越し費用と白物家電の購入費用、家賃が必要(いくら必要?)

○再婚相手を探す?一生独身でいたい?

・子供が欲しかったら再婚相手探したい(そうでなければ一生独身でもいい)
 
 
ここに、できるだけ具体的に、想定されうる限りの対応を加えていきます
 
 
ステップ3. それぞれについて対応を考える
例)
○ひとりで生きていけるよう、自分で稼ぐ
在宅ワーク?もしくは会社勤務?(生活費+αはいくら必要?)
 →今の在宅仕事は続けたい。それにプラスして別の在宅ワークが理想的
 →必要な生活費の確認、求人のチェック

○引越しをする
・どこに住むか決める(仕事による)
 →在宅ワークをプラスできるなら、他県でもOK
 →住みたい場所をチェック
・引越し費用と白物家電の購入費用、家賃が必要(いくら必要?)
 →相場をチェック

○再婚相手を探す?一生独身でいたい?

・子供が欲しかったら再婚相手探したい(そうでなければ一生独身でもいい)
やりたい仕事ができることが最優先、あとは出会いがあれば
 
 

ここまできたら、ざっくりではありますが、
 
 
・やりたい仕事をやっていくことが最優先。
・まずは仕事を探して、仕事に合わせて家を探す。
・新しい出会いについては、当面考える必要なし。

[ 課題 ]
お金に困らないよう、十分に稼げるやりたい仕事を見つける
 
 
こんな感じで、自分が持つべき状況課題が見えてきます。
 
 
そうしたら何が起こるか。
 
 
これまで言いようのない不安だったり、なにか得体の知れないものに苦しめられていたのが、
その対象が何者なのかが分かってきて、落ち着いて未来を考えられるようになります
 
 
あともうひとつ重要なのが、
生産的な思考を巡らせることで、不要な怒りや悲しみがこころに入る隙がめちゃくちゃ減ります

 

これを深めていくと、人によっては、

例えば、

 

「あ・・・もしかしたら今の生活に不満はないかもしれないから、これを捨てていきなり出ていくくらいならもうちょっと夫と向き合って、夫のこういうところを改善してもらえるように働きかけよう・・・」

とか

 

「やっぱ別れるべきだわ・・・善は急げ。何県に住も。持病を考えて、まずは病院のリサーチはしておこう 」

とか

 

「急には無理だけど、また限界が来たときの備えが必要・・・資格の勉強でもしよか・・・あ、これ面白そうやん。とりあえず資料請求。(ポチッ)」

とか

 

「こどもを連れて行くとなると、住むところ重要・・・あの校区じゃなきゃいやだから通える会社の求人見てみよう・・・てか養育費の相場ってどれくらいなんやろ・・・(鬼検索)」

とか。

 

ほんと、ものすごく現実的にイメージすることが重要・・・!
ですが、それができれば、
なんだか不安で、思い悩み続けるだけの自分からは、脱却できるのではないかと。

 

 

そして、ここまできてやっぱり別れるという決断に踏み込まない方には、
やっぱり何か、

別れるに至らないだけの理由
今のままでいた方がメリット

があると思うので、

離婚という選択肢についてはもう考えることはやめて、
「悩みへのアプローチを具体的に考える」という次のステージに進めるのではないでしょうか。

 

[ 参考:私が離婚に踏み切っていない話はこちらです ]

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

 

いや、でも、分かってます。分かってますよ。
カサンドラがそんなきれいごとではないことは。

それでも、今の場所でずっとぐるぐると思い悩んでも、なにも生み出しません。

 

 

さきほどの「箱の中身はなんでしょうゲーム」で例えたように、

離婚についてよく考えずに離婚しないでいるのと、
離婚を想定して考え抜いた上で離婚しないことは、

なんとなく現状維持を続けているだけなのか、
熟慮した上での、意思のある選択なのか、

という点で、

一見、同じようでいて、全然ちがうと思うんです。

 

 

今、立っているところから一歩、何かの拍子で飛び出すことで、
急に状況が変わることだってあるんじゃないかと。

それは、状況ではなく、物の見方や 考え方ひとつなのかもしれません。

 

もうこんな自分がいやだ!こんな毎日がつづくのはいやだ!(でも一体どうすれば!)
という方には、ぜひお試しいただきたいと思います。

 

実際、わたしは「どう転んだってしあわせに生きられる人生」を設計しようと、
心の中の「非生産的な葛藤」が入っていた場所に、「しあわせな人生のためにやることリスト」を少しづつ入れていくことで、
どうしようもない不安な気持ちに駆られることが激減しました。

 

 

おすすめ書籍


今回の脳内離婚についてですが、
何ヶ月か前にこちらの「道は開ける」を読み、

悩みに対して具体的な行動計画を立てる

というアプローチを知り、実際に "脳内離婚" を通してやって見たところ、なるほど!と私自身、実感できたので今回綴ることにしました。

 


 


この本、悩みや不安を解消するためのいろいろなアプローチ方法や、
あとは、そうやって

ただ悩み、人生を無駄にした人の話がめちゃくちゃ載ってます。

同時に、そこから変われた人の話も載っているので、

 

「うわ・・・こんな人周りにいるけど、もしや私も・・・」
「こうなると思うとゾッとする・・・変わろう・・・」

 

と、重い腰を上げるきもちにさせてくれます

 

序盤は、翻訳本 独特の読みづらさがありますが、ノッてくると止まらなくなる系です。

同じ本、同じ言葉からでも、人によって受け取り方や、そこからの解釈は千差万別。

世界中で長年読まれているロングセラー!とかいう謳い文句はあまり好きでは無いのですが(汗)、
内容が、実在の人物の体験をベースに構成されているため、
哲学的なきれいごとの羅列ではなく、すこし泥臭くて実践しやすいと思います。

 

読んだことがないという方は、レビューもご一読の上、ぜひご検討いただけたらと思います。

 

 

今後、世の中がどうなっていくのか、気になるところですが。
すこしでもこの記事が、気持ちが前向きになる助けになりましたらうれしく思います。

本日も、皆さまお疲れさまでした。

どうぞ、どうぞご無理のありませんようお過ごしください。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

【今すぐやめよう】Twitterでカサンドラ検索するのをやめた話

またまたお久しぶりです。鈴山ミミーです。

 

以前の更新からすこし経って、なんだか世の中の様子が変わってしまいました。
 
お仕事への影響や、中でも在宅ワークの導入などは、
カサンドラにとって切実な問題ですね。。
 
「お願いだから仕事行って。」
この一言、まだ言ってません。
 

(えらい〜えらいよ私!)

 

 

今回は、タイトルの通り、
 
Twitterで、カサンドラ情報を収集してはいけない
( + \ かわりにこれをしよう!/)
 
の話をしたいと思います。
 
 
この記事は、
パートナーとの関係を続ける限りはできるだけ心おだやかに過ごしたい、
できることならすこしでも何か改善をして、お互い心地よく、心を軽く過ごしたい方
へ向けて書いています。
 
そういう方に向けて書いているというだけで、どんな方をも否定も批判もしておりません。
なぜならみんな違うのだから・・・(!)
 
なので、否定された〜批判された〜など思われる方は、
どうか、光の速さで上部 ✖️ ぼたんで即閉じてくださいね。
 

どうぞよろしくお願いいたします!

 

 

Twitterは見ない方がいい


一般的に「発達障害」と呼ばれる "ADHD" や "アスペルガー症候群" その他の特性を持ったパートナーについて、
もしくはご自身のカサンドラ症候群について。
Twitterでもたくさんのツイートを見かけるようになった気がします。

これらについて、Twitterで情報収集しない方がいいと思う理由は、
大きく分けて2つあります。
 
 

負の感情をもらいに行ってる


Twitterの性質上、発信側が感情的である場合が多いです。
よく練られた上での発信ももちろん無いわけではありませんが、このテーマとなると、やはり一時的な感情の吐露が多い。


Twitterってそういうツールであり、
ある意味、それが正しい使い方なんだと思います


ただ、負の感情は伝播しやすい。
感情的 × ネガティブ発信は、めちゃくちゃ相性抜群。
そこにネガティブワードが並んでいることを分かってのぞきに行くのは、わざわざ嫌な気持ちになろうとしてるのと一緒なのではないかと。
わたしの経験上、そう思うようになりました。

怒りや悲しみは、暴れ馬のように心の中をかき乱してしまうので、一度飼い始めてしまうと蹴り殺される覚悟でいなければいけません。
飼い慣らそうと、一緒に調教してくれる人はいません。入れてしまった、自分の責任です。
「馬、お断り」
ぜひ黒字で大きく書いて、心の入り口に立てておきましょう。
 
正直、カサンドラとして思い悩み、パートナーとの関係を続けるも終わりにするも、
どちらの決断も正解だと思っています。
それが、怒りや悲しみで一時的に沸き起こった感情ではなく、
例えば、美味しいものを食べながらすごくリラックスした状態で、
 

あ、やっぱりこれで間違いないわ。

 

と心の揺さぶりがなくフツーに思えたのなら、
後悔することも決してないと思います。

(感情的に決めた方を否定するものではありません。
そういう方は、よほど "動物的直感" と "行動力" に長けてらっしゃるんだと、私のような石橋を叩いて割って渡って落ちる人間は思います。)
 
「共感」も「興奮」も、手軽な摂取はとても魅力的なだけに、要注意です。
不要なものからは離れて、日々、平常心でいられる心の訓練なのだと思っています。
 
 

余計な記憶が呼び起こされる


ツイート自体がなにかに向けた解決策ではなく、ただただ共感がほしいネガティブ発信であることが少なくないように思います。


もうこれも、本当にしょうがない。
だって、日常にハートフルな共感が足りていたら、カサンドラになんてなっていないのだから・・・!

この枯渇した承認欲求!
Twitterに向けてなにが悪い!
エスSNSってソウイウモノ!!!

こうでこうで、こんなことがあったのー!という発信。分かる分かる!そうそう!
いいねを付け、リツイートしよう〜 となり、、、

そして次第に自分の経験と重ね合わせていき、
不要な記憶が呼び起こされて、、、
 
あれ、、、
なんだか、、、
余計にイライラするよ、、、
 
分かる分かる〜という共感は気持ちいいのですが、
過去の負の記憶と重ね合わせて、怒りや悲しみをなぞる作業をすることに意味はあるでしょうか。
また湧いてきたその負の感情、パートナーにぶつけたくなりませんか。

そんなこと、相手は覚えてやしませんよ。
 

(ギクっ・・・・!!!)

 

SNS上には、参考になる専門家の方のご意見や、有用な情報ももちろんたくさんあります。
 
ただ、それ以上に中毒性の高い情報がたーくさんあること。
素性が分からないだけに、最低限の礼儀をわきまえないというかその基準が本当にいろいろで、たぶんお互いに一生理解し合えない "誰か" とも接触しうる、そういうフィールドであると理解しておくこと。
そのリスクが大きいことをよくよく分かっておかなければいけないと思うんです。
 
あと人って、不思議なもので、いやなことを考え続けて、
「わざわざ」いやなことで頭をいっぱいにして暮らしてしまうことがあります。
そんなことしなきゃいいんだけど。
人間だもの・・・
 
できればしたくないけどね・・・
人間だもの・・・!!!
 
なぜ私の更新が少ないか、というのも、
日々のわたしの感情の起伏を伝えて、
読んでいただいている方の感情をわざわざ振り回したくない、
というのがあります。

カサンドラについてこれまで思い悩み、
たくさん読み、調べ、勉強して、もはや研究を重ねてきましたが、
私はただ、より心穏やかに幸せに過ごしたいだけであり、
 
発達障害についての研究家になりたいわけでも
プロのカサンドラになりたいわけでもない。笑
 
できるだけ自分の人生を豊かにすることに時間を使うために、必要以上に "思考の奴隷" にならないようにしています。
 
いや、でもこれは、
実行するのは本当にむずかしい。笑

もう、日々意識してやっていかなくてはいけないんだろうと思っています。
 
 

そしたらかわりにこれをしよう!


SNS上に転がっている情報を読み漁る代わりに、
「本を読む」ことをやはりオススメしたい
 
 
【本を読むと得られること】
別の考え方や、新しい視点を得られる
自分のきもちを「言語化」できるようになる
 
 
一回のランチ程度の金額で、たくさんの知恵が得られるし、
なにより新たな内的発見があると、
それだけで心のやすらぎを得られます。

あと、人が混乱したり、どうしようもない虚無感に襲われたりするのは、
そのきもちを言葉で表現できないから」だと聞いたことがあります。

これって一部の発達障害の方は特に苦手とする作業ですよね。
(夫も、なにが分からないのかも分かっていない状態によくなっています。)
人って自分のきもちを適切なことばで言い表すことができれば、他の人に説明して理解を求めたり、
その先を考えることもできるし、すっと受け入れられるものなのかもしれません。

そうした言語化は、インプットなしには成し得ないように思います。
もっと!もっと私のきもちを的確に表した!言葉をクレー!!!
と本を読むうちに、どこかで感動的な出会いがあるものです。
 

また、私たちが今抱えている悩みについて、もうすでに先人たちが悩みに悩んで、
答えを出しているんだとしたら。
それが、読み手のことを考えて、推敲に推敲を重ねて、書き記されているとしたら。
読むしかないですよね。
読まない手はありません。
 
ちなみに私は元々、読書が大大大の苦手で、読書感想文のために読んだことすらありませんでした。。。

大学生の時に村上春樹さんの本にはまり、そこから人生の節々で、数々の本を手に取って自分がぶち当たっている課題について模索し、自分にとっての答えを、自分の中で生成するようになりました。
 
これができるようになると、
自分の人生に起きる困難をなにかのせいにしたくなっていた以前と違い、
誰のせいにもせず、自分の人生に責任を持って、「より豊かに生きるぞ〜!うおおぉぉぉ〜!」
と進める自分になったと感じています。
(でも、もちろん、混乱することもあります。人間だもの。。。)
 
タイムマシーンに乗って、過去のわたしに
「早よ読まんかい!」と伝えに行きたい本を、
次回からすこしずつ更新したいと思います。

できるだけ、本の中でわたしに刺さったところをピックアップしながらご紹介できたらと思っているので、
同じような思いで日々を過ごしておられる方には、またぜひチェックしてもらえたら幸いです。
 
結果、本を読んでほしい訴えの比重が大きくなってしまった。笑
 
早く、日常が戻りますように。
お気をつけて、お過ごしくださいね。

自分を甘やかすことを、お忘れなく。(!)
 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【カサンドラ向け】乱れた心をととのえる論語のすすめ

f:id:suzuyama-mimi:20210814232930p:plain

お久しぶりです。鈴山ミミーです。

 

「あれ…?私がおかしいのかな…」
「何が正しいのか分からなくなってきた…」

 

私はカサンドラ真っ只中のとき、そんな疑問が自分の中で無限ループとなります。

 

夫には受動型アスペルガーADHDの傾向があります。(未診断)

 

私とは、考え方も言動も違う。
だから、面白いと思えることもあれば、一向に理解できず腹立たしくなることも。

 

私がなにか間違っているのでは…
私の正義を押し付けていやしないか…

(ざわざわ…)

 

そんな時、心をリセットする対策として、
昨年は「論語」に出会い、お世話になった一年でした

 

なぜ論語なのか


孔子の弟子が、孔子の言葉を書き残したと言われる「論語」。
私はこれまでにも、ニーチェアドラーなど、私にとって自己啓発に役立つ哲学者の本を何冊か読んできました。

 

人って、自分を肯定してくれる人を、言葉を、探しながら生きているんじゃないかと思うんです。

誰だって、自分のことを認めてほしいし、認めてあげたい。

そんな時に、他人にそれを求めて「承認欲求クレクレ人間」になってしまわぬよう、自分を取り戻す手段として、こうした本に立ち返るようにしています。

 

本にはそれぞれの良さがあり、どれが一番ということはもちろんありません。

 

ただ論語には、その教えが明瞭で参考にできるというだけではなく、
覚えて、生活する中で「ふと唱えられる」という点が、他とは違うように思います。

 

今回は、そんな論語の中でもオススメの教えを勝手に紹介したいと思います。

では第5位から、超個人的なランキング形式でお届けします。


※超個人的解釈を含みますので、興味を持っていただいた方は、ぜひ末尾の書籍をご参照ください・・・!

 

第5位

過ちて改めざる、これを過ちという
(あやまちて あらためざる これをあやまちという)

意訳:間違えなんて、誰にでもある。そこから学ばず、また同じ間違えを繰り返すことこそが、本当の過ちなのである。

 

「それそれーーー!」
「分かってらっしゃる・・・!」

 

そんな声が聞こえてきそうです。
もしくは私の声が漏れ聞こえているだけかもしれません。

 

これはもはや使う頻度が爆発的に多いため、すぐに覚えられます。

「うわ、また・・・またやってる・・・」

という時に唱えて、

そうです。孔子先生もおっしゃってました。

薄目を開けて、そう思いながら心を鎮めましょう。

 

そしてよほど気持ちが収まらない時には、つづけて

天誅!」

と、景気付けに付け加えましょう。

 

第4位

学びて思わざれば即ち罔し。思うて学ばざれば即ち殆うし。
(まなびておもわざれば すなわちくらし おもうてまなばざれば すなわちあやうし)

意訳:学ぶだけで自分の考えに落とさなければ、身につくことはない。また、自分で考えるだけで人から学ぼうとしなければ、考えが凝り固まってしまい危険である。

 

なんだか先ほどのお言葉とも繋がるものがあります。

そしてこれは夫の言動に対して思うだけではなく、私自身に対しても(特に後半部分)大いに言い聞かせる必要があるなと。。。
そうした意味でも、本を読み、到底会って話すことはできない偉人賢人の言葉をもらえる読書って有益だと思う次第です。

 

第3位

巧言令色、鮮なし仁
(こうげんれいしょく すくなしじん)

意訳:(言動や顔つきを取り繕う)外面だけいいような人間に、人格者はいない。

 

なんなんでしょう。
至極当たり前のことなのに、刺さります・・・

コウゲン レイショク!」

ちょっと呪文っぽいので、覚えやすく、キマるところもポイント。


「巧言令色!テンチュウ!」

ここまで言えたなら、完璧です。

 

第2位

徳は孤ならず
(とくは こならず)

意訳:徳のある人は孤立することなく、理解し助力してくれる人に恵まれる。

 

風向きが、急に自分の方へ変わりました。
カサンドラの方の心に、ぜひ留めてもらいたい言葉です。

 

そうです、あなたはがんばっている。
徳は、徳を呼ぶ。
見る人は、見ている。
だから自暴自棄になっちゃだめ。

 

これまでの人生でも、とんでもなく辛い時期の後には必ず

あぁあれも私にとって意味のある必要な試練だったんだなぁ・・・

と思う時が必ず来ています。

 

大殺界が去るのを息を殺して待つように。
道を間違えず、辛い時ほどその後に徳がやってきてくれることを信じて
ひたすら(もはや盲目的に)自分に正しく生きようと努めることにしています。

 

でも、過度な無理は、ダメぜったい。

「辛いけど頑張れ」というのではなく、

あなたの頑張りは徒労では終わらないから大丈夫

といったメッセージであるように思っています。

 

そして!栄えある第1位は・・・!

 

(ドゥルルルルルルルルルル・・・・・・)

 

(パアァァァン!)

 

内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え、何をか懼れん。」!
(うちにかえりみてやましからずんば それなにをかうれえ なにをかおそれん)

意訳:自分の心を省みてやましいところがなければ、何も心配することも恐れることもない。

 

こちらも、やはり矢印が自分にほうに向いた言葉です。

 

「私は、間違っていない!」
「こいつがおかしい・・・!!!」

 

カサンドラって、そんなことの日々の積み重ねからはじまると思うんです。

意味不明な夫にあまりにも腹が立ち、私の中で「我こそは正義!」と言わんばかりの「王様モード」に突入することを自覚することがあるのですが(その時の私自身の主張は真っ当なんじゃないかともしばしば思うのですが・・・)、

 

そうした時の私自身の言動についても、

 

・それが他人の前でも言えたものなのか?
・相手と同じ土俵に立ってしまい、恥ずかしい自分になっていないか?

 

すっと冷静になって、「どうしたって自分自身に気負うところがない振る舞い」をしようと。

ここでもし感情爆発してもたら、そんな自分も嫌いになってまうんや。
罪悪感に苛まれて、きっとそれもまた夫のせいにしたくなって、、、

 

そしたらもう相手の思うツボや!

 

「そうはさせるかい!私はわたしの良心に従い、私のペースで、振り回されることなく正しくいかせてもらいまっせ!」

そんな気持ちにさせてくれる、私の中での魔法の言葉になっています。

 

まとめ:論語のおすすめ書籍


ここ最近 投稿していなかったのは、「自分との向き合い方、世の中との関わり方、ものの捉え方」などを今一度見直して少しずつ変えることによって、「ストレスを軽減させる術」を身につけ、あまりカサンドラについて考えず生活できているためかと思います。

 

(あと、365日手帳の効果もあり家庭内での揉め事もかなり減りました・・・!)

参考:

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

私にとって「本を読む」ということは、冒頭でも述べた通り、私が求めている言葉と出会い、再発見することで新しい視点を手に入れる、大切なライフワークになっています。

 

論語は、これまでとは違う視点で相手や自分自身と向き合うのにおすすめなので、今回、興味を持っていただいた方にはぜひ、下記を参考にしていただけたらと思います。

 

私は最初にこちらの図解版を読みました。

仕事編(正しい心配事のなくし方/正しい信頼のされ方 etc...)、人間関係編(正しい心配/正しい突き落とし方/正しいキレ方 etc...)、学び編(正しい理解/正しい努力/正しい柔軟性の保ち方 etc...)と、分野ごとに教えが紹介されており、解説も興味深いです。

文字が大きめで挿絵もあるため、本を読むのが苦手な方でもすいすい読めるかと思います。



 

 

※ お使いのブラウザ(safari, chromeなど)によって、各サイトへの書籍リンクが表示されない場合があります。その場合は、別ブラウザにてご覧いただけますと幸いです。

 

興味深かったので、次に買ったのがこちら。

論語がなんと100個!収録されており、論語は大文字でふりがな付き。
解説や身近な例なども簡潔で興味深く、読みやすいです。
最初からこちらのような体裁のものを探していたのですが、なかなか見つけられませんでした。
活字が苦手ではない方には、最初からこちらをおすすめします。

 

ちなみにどちらも、齋藤孝さんの著書になります。
文章がとても読みやすく、心地いいのでおすすめです。

 

もやもやに任せてポチってしまえば、1〜2日で届きます・・・!
どうか、ご自身の心の支えになる論語との出会いがありましたら幸いです。

 

(今回は論語の紹介でしたが、他にも“心の栄養”になるようなおすすめしたい本が何冊かあるので、またご紹介させてください。)

 

みなさま、本日も大変お疲れさまでした。

ご挨拶が遅れましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

【徒労回避】カサンドラ妻におすすめしたい!365日手帳を利用したコミュニケーション

f:id:suzuyama-mimi:20210814232924p:plain

ご無沙汰しています。鈴山ミミーです。

 

「何度言っても相手は忘れる・・・」
「言った言わないで会話が成り立たん(白目)」

 

そんなことを毎日お思いのカサンドラの皆さま。
そして、わたし。

今日もお疲れさまです。

 

最近、夫とのコミュニケーションが以前よりも成り立つようになってきました。

 

時々こういう時期はあるので、気は抜けませんね。

 

以前の記事でも書いたのですが、私がカサンドラに陥る一番の要因は、夫の

脳内情報を整理して、原因と結果の因果関係を考えることができない

という点であると思っています。

 

それについての過去記事はこちら:

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

夫は「受動型アスペルガー」と「ADHD」の特性を持っています。
その発達障害的な特性については、私と夫の間ではもはや当たり前・・・前提のことのように話しています。

しかし、病院での診断や投薬は本人が拒否している状況(わたしも強要するつもりがありません) において、ここに対する根本的な解決はできないものか・・・

 

そこで、ここ数ヶ月利用してきたのが、一日1ページの 365日手帳 です。

 

本来、日記的な使い方ができる365日手帳。
一日1ページのため、日別で書き込むスペースが十分にあるのが特徴です。

 

[ 使い方 ]

当日のページに、相手に伝えたいことをお互い書く
(→基本的に書くきっかけは私ばかりで夫が自主的に書くことはほぼありませんが、それも想定内です)

・相手への要望、感謝など何でもOK

・返事が必要な場合、数日中に追記する

※過去のトラウマ案件や要記憶情報に言及しながら書いたりすると、それも記録として残せます。
 
これだけです。
 
 
毎日書く必要はありません
ただでさえわざわざ書くのは面倒なので、「書くことがあるとき」に書きます。
 
内容が当日のことである必要もありません。
いつのことであっても、「その日に伝えた」ということを残すことが大切です。
 
これまで口頭で済ませてきたことを、家庭内で交換日記をして書き残すような感じです。
 
 
365日手帳を使うことによるメリット

・いつどんなコミュニケーションをしたか後からでも辿ることができ、証拠として残るので言った言わないの争いがなくなる

・「注意すべきこと」を見返せる

・「うれしい言葉」も読み返せる

 

 

そして、夫の変化ですが・・・

・「言われてない!」を言わなくなった。

・「言ってない!」も言わなくなった。

・過去の事案について読み返して、内省することがある。
 (最近は言いたいことをグッとこらえて、まずは謝ってくれます。驚)

・私からの感謝の言葉を読み返して、自分にできることを強化するようになった。

・口ではパッと言えないことを、時間をかけて伝えてくれるようになった。
 (私は10分くらいで書くのですが、旦那に返事を求めたら3〜4時間かかってます・・・ただでさえ苦手なことなので、その時の相手の気分や向き合い方によります。なので、返事をもらうのに2週間ほど待つこともあります。)

 

 

正直な感想としては、

過去の事案があることを前提に話を進められるようになって、画期的…!

 

 

書く時間が必要になるのでその点は手間ですし、
返事を書いてもらったものの的外れすぎて、

「うおぉぉぉい!なんの話や!」
「質問してるのに、質問返しして切り抜けようとすな!」

となるのはいつものこと。
(なので、読むのは夫がいない時にしています)

 

あと、貝殻に閉じこもられては困るので、そういう時にも

「ここについてどう思うか、もう少しくわしく教えてほしい」
「◯◯について聞きたいっていう意味だったの。ごめんね」

など、さらにやりとりを深められるよう追記するようにしています。

 

紙面においてもそうしたすれ違いはもちろん起きますが、
夫が私の言葉に対して、どういう受け取り方や考え方をしているのか分かるきっかけにもなるので、
今後の私からの伝え方を考え直すことにもつながります。

 

それにもちろん何度も、ことあるごとに読み返してもらわなければいけないのですが、
言い争いになりそうな段階で、

 

とりあえず全部読み返してからにして。

 

この一言でまず手が打てるの、めちゃくちゃ楽です。

彼の主張は大体、すでに一通り過去に議論してきたことであり、
その答えが手帳の中にあるので、ここ最近は
不要な論争が始まることなく、やり過ごせています・・・!

 

ちなみに我が家で買ったのはこちら。

生活空間の中で悪目立ちしない、スッキリした印象なものがよくてこれにしました。
おそらくレフィルですが、無駄のないデザインでこのままで全然使えます。

 

有名どころの「ほぼ日手帳」だと、こちらがシンプルでおすすめです。
(こちらはA6サイズです)
各ページの雑記が、夫にとって気が散る材料になりそうで今回はやめておきました。

 

実はこの365日手帳を利用したコミュニケーション、かなり関係がどん底のところで
最後のお試しくらいの気持ちではじめました・・・

(その時になにがあったかについてもまた綴りたいと思います・・・)

 

書くことに対する苦手意識や得手不得手の個人差はもちろんあると思いますが、
無限リピートされる徒労でしかないやりとりに虚しさを感じている方には、
ダメ元くらいの気持ちで一度、お試しいただければと思います。

 

みなさま、本日も、本当にお疲れさまです。
夫婦関係について悩んでブログで解決方法を探すだなんて、すばらしすぎます。
私も自分で自分を褒めて、今から甘いもの食べます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【根深い】「私は幸せになるべき」問題と向き合ってみた

こんにちは。鈴山ミミーです。

 

「アスペ夫のせいで辛い・・・不幸すぎる・・・。」
「私の人生こんなはずじゃなかった・・・」

 

これを読んで頂いている方のほとんどが、過去形なり進行形なりで、
そんな絶望感を経験したことがあるのではないでしょうか?

 

私には「私自身の生まれ育った環境も相まって、夫に対してそういう感情を持っているんじゃないか…?」と思うことが時々あります。

 

今日は、そんな私が自分のなかに潜む観念と向き合い、「幸せに生きるための心構え」を再発見することで得た、
最近の悟りについて綴りたいと思います。

 

ちなみに、気付きのことを「悟り」と呼んでいます。
日常生活でここに至るまでに「おっしゃ、悟り開くか」ってくらいの紆余曲折があるからです。

 

 

 

 

「私は幸せになるべき」問題


私が思う、「この人のことが好き」になる基準。
それは、

 

精神的に甘やかしてもらえる
(多かれ少なかれ、依存できる)

 

ということであり、
詰まるところ、

 

誰かが私を幸せにしてくれる

 

というスタンスでいるのかもしれない。

 

自分が経済的、精神的に自立しているつもりでも、
人ってパートナーに対して、深層心理では

 

私はこの人に幸せにしてもらうつもり

 

でいるんじゃないかと。

そんなことを、夫との情緒的コミュニケーション不全に陥った時、ふと思いました。

 

私を幸せにしてくれると思うから。
口にはせずともそう期待しているから、
「好き」になってお付き合いするんです。

でもその先には、いつか期待を裏切られ、
何かしらの越えられない壁にぶち当たり、
悲しむことになる。

 

だって、私を完璧に満足させてくれる人なんていないから。

 

今までだって、
付き合った人とそうやって別れを選んできたんじゃないかな?
と思ったんです。

(もちろんフられたことだってあります)

 

たぶんアダルトチルドレンな私


私は21歳の時に、精神を少々病んでしまいました。

それまで完璧だと思い、進んできたエリート街道からの脱輪。
それを、人生の終わりのように感じてしまったんです。

 

まだたったの21歳。今思えば、なんだってできる歳なのに…!

私が未だに覚えている小学5年生くらいの時の記憶で、
近所のおばさんに、その家の子がやっている習い事を
「ミミーちゃんもやってみたら?」と声をかけられたことがあって。
その時につづけて、
「でもこれってみんな小さい時からやってるからもう遅いわね」
「それに体格も向いてないし、やめたほうがいいと思うわ」

そんなことを言われて、11歳の子供ながら
「もう私はこれから何かを始めるには遅いんだ・・・」
とショックを受けたのを覚えています。

 

小さい頃から、遠慮がちな性格だった私。

「あなたはできる子だから」と親から期待だけされて、
褒められることはあまりありませんでした。

できる子だから、褒めなくてもいい。
元々、他の子よりできるんだから。

 

親の愛情は、手間はかかるが愛嬌たっぷりの
下の兄弟たちに注がれていました。

「だってあの子たちの方がかわいいんだからしょうがないじゃない」

そんな身も蓋もないことばを親から投げられた時、

あぁそうか、ここ(家庭)はこういう理不尽な世界なんだ。

社会はもっと公平に、真っ当な判断をしてくれるはず。

だから私は決して腐らず、正しく、つよく生きよう。

 

そうして、「親から褒められることは期待しない」、
でも「誰の前でも間違えのないつよく優しい人間になろう」と、
完璧な人間を目指して生きてしまっていたんだと思います。

 

その頃から、私の中では

きっとこの苦難はいつか報われる。
こんなに頑張っているんだから、私はいつか幸せになる。

だって小さい頃からこんなに我慢して、勉強もスポーツもバイトも
全部ぜんぶ頑張ってきた・・・!
と。

 

私はいつか幸せになるべき、報われるべき存在

 

だと、思ってきてしまった。

 

そして、21歳の時。

今となってはもう軌道修正と捉えることができますが、
人生の岐路で「大失態」を犯し、

「あれ・・・?何のために生きてるんだっけ?」
「いつか死ぬのに、こんな思いして生きてる必要ないんじゃない?」

という、末法思想にちかい危険な鬱状態になってしまいました。

 

我慢して我慢して我慢して
それでも頑張ってきたのに、
なんで私ばっかり!

 

しかもここにきてこの仕打ち!

 

神さまあぁぁぁ!
わたしはココニイルヨ!!

多分、青山テルマが歌うよりも多く、
私は心の中で叫び続けていました。

 

しかし、誰もその状況を変えてはくれなかった

 

周りに、助けてくれる人がいなかったわけじゃないんです。

人生で本当に困った時って、
誰にもどうすることができないんだなと思いました。

 

「脱・アダルトチルドレン」の転機


この時、半年間病みに病んで、朽ちてしまった私

 

もう野となれ山となれ!
どうせ、いつか死ぬんや!と、

 

今までにも「やってみよう」「いつかは」と思いつつ、

でもいやだな、でもいやだからこそやってみるか?
親の反対?ええいもう死んだも同然の身よ・・・!

と、深層心理でやりたいと思いつつやれてなかったこと挑戦したんです。

 

そしたら、急に目の前がパッと開けて

 

これまでは、親の呪縛に負けないためにがんばっている自分がいた。

 

そしてこんな可哀想な自分は幸せになるべき
誰かが幸せにしてくれるべきだと。

 

でも、その時の挑戦で、

 

私の人生を幸せにできるのは私だけだ

 

と強烈に実感して、突然、親から受けてきたこれまでのことも
すべてがどうでもよくなり、

 

私は自分の人生の舵を自分で取ることができる
私はまさに自分の人生を生きている

 

という実感がしたんです。

 

そして先日、

今、受動型アスペルガーADHDの特性を持つ夫との間でのカサンドラ状態についても、

 

夫は他の誰よりも私のことを理解して、私を幸せにするべき

 

という気持ちが根底にあることに気付きました。

 

(ちなみに ”挑戦” については全然大したことではないのですが、挑戦するにあたって当時話した知人には「やってもう死ぬつもりなんだと思った」と後日言われました・・・。笑)

 

世代を超えるアダルトチルドレン養成問題


今思えば、私の親にしても、そのまた親(私にとっては祖父母)から受けた呪縛があり、そうした呪縛をみんな「下の世代に吐き出す」ことでしか前に進めないのでは・・・
と感じています。

 

自分の親にやり返すことなんてできないから、みんな子供に倍返ししちゃうのかもしれない。

 

まぁ、そうだとしても。

それって何も生み出さない、むしろ負の連鎖を起こしているだけ。

やってる人たちも「世代を超えて繰り返される仕返し」だけでなく、
やってしまう罪悪感や良心の呵責とたたかい、またそれを正当化して…と、
個人単位でも負のループにはまっていると想像できます。

 

私が思うに、これは

 

誰も楽しくない。そして、きっと誰も悪くない。

人間ってそういうものなんだと思います。

 

ただ、私は参加しない

私は私の意思で、強く、やさしく生きればいい

 

それに私は、そんなことに時間を費やせない。

時間っていうのは私の「」だから。

 

そう!これは私の素晴らしい人生で!

そんなことするために生きてるんじゃないから!

 

私は、私を幸せにするんだー!

 

これを心の中で叫ぶと、それだけで不思議と力が湧いてきます。

 

私が、私を幸せにする基盤はある


あと、夫について、今も変わらずいいと思うところ。

 

・純粋で、正直で謙虚
・私の生き方について絶対的応援団
 (以下、今は思い出せないので省略)

 

というところは、今もやっぱり変わらないし、なかなか居ない稀有な存在だと思っています。

そしてこうした夫のいい所が、発達障害の特性から生じる部分であるようにも感じます。

 

そう、私は私の人生を幸せにする環境にあるのです。

 

「いや、応援団というか干渉しないだけでしょう?」
「もっと積極的に理解して配慮してほしいんじゃないの?」

なんて思い始めたら、それはもはや相手を人間として変えようとすることであり、人格否定につながります。
そんなところまで求めても、そんな人はきっといない。(冒頭に戻る)

 

だから、夫と私が「関わる部分」でトラブルがあれば、その点については随時、上手に楽しくやれる対策をしていけたらと「今は」思っています。

これを書いている「今は」。

(気持ちの変動幅大きめです)

 

 

別れるか否か、何が自分にとって良い選択なのかは個別の問題だと思います。

そして、自分の選択がいつだって正解。

それは、今の自分」にとっての正解 でいいんだと思います。
一世一代の!・・・なんて力まずに。
人生は、自分が幸せになるための選択の連続、軌道修正の連続ですから。

 

「わたしにとって、人生で最大の目的はなんだろう?」

 

ぜひ、こちらの記事も参考にしてください。

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

 

今の私が、11歳や21歳の時の自分自身にアドバイスをするように、
20年後から来たあなたは、今のあなたになんとお願いするでしょうか。

 

自分で自分の人生を幸せにするため、

幸せになる覚悟」を持つために、

参考になる部分がありましたら幸いです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【カサンドラ向け】ADHD夫が言う "ありがとうが足りない" "尊敬してほしい" への正しい対応(必殺技)

f:id:suzuyama-mimi:20210814232912p:plain

こんにちは。鈴山ミミーです。

 

 

「ありがとうが足りない!」
「もっともっと感謝してほしい・・・」

 

パートナーからのそんな言葉で、これまでに白目を1万回くらい剥いたであろうカサンドラの皆さま。
今日もお疲れさまです。

 

 

こっちのセリフだ!ばっきゃろー!

 

 

もうそんなことを口に出すことも諦めた、結婚7年目。

 

「いいです、もう自分でやります、あなたには頼まないけどその代わり日々の意味不明なアクシデントやトラブルも金輪際起こしてくれるなよ(←言ってるそばから勃発)」

っていう方、手を挙げてもらいたいです。
(私は両手を挙げています)

 

今回は、そんな「ありがとうが足りない問題」からはじまった、夫とのコミュニケーションを機能させるために試行錯誤してきた会話術をご紹介したいと思います。

 

夫は、「受動型アスペルガー」と「ADHD」の特性を持っていますが、これはADHDの特性のほうが関係しているのかなと思っています。
ただ、そうしたネーミングはあまり気にせず、「うちもあてはまるわ」「なにか参考になるかも」という方にぜひ参考にしていただけたら幸いです。

 

 

 

 

なぜ「ありがとう」をそんなに欲するのか?


ADHDの人は、脳の特性として「報酬系」の働きが弱いと言われています。

報酬系」とは、満足感や達成感といった快感を誘導する、中心的な仕組みのこと。
ドーパミンが増加することで「報酬系」が刺激され、やる気や快感が生じます。

しかしADHDの人はドーパミンの分泌量が少ないため「報酬系」が十分に刺激されない。
そのため、達成感や喜び、やる気が生じづらい と考えられています。

 

そもそも、ADHDの人は、計画を立てたり、優先順位をつけて物事を行うことがめちゃくちゃ苦手。

 

夫はよく、

「みんなが "息をするように" していることが俺にはできない」
「ものすごく脳をフル回転しなきゃできないんだ・・・」

と言っています。

 

私からすれば日々の習慣に近いようなことですら、夫は最大限に脳を使わないとミスってしまう
(夫は話し合いをしただけで脳が疲れるみたいで、いつも嘘みたいに秒で寝ます・・・。)

 

それが「外モード」での仕事だと、他人からの分かりやすい評価があるから頑張れる。

ただ、帰宅してからの「内モード」になってしまうと「やった割に感謝されない」「やったところで見返りがないという感覚が人一倍強いんですね。きっと。

 

でもね、私も頭ではそうなんだと理解していても、
理不尽な「ありがとうクレクレ攻撃」をされると、

「はいはい、もういいですあなたには頼みません」

ってなっていっちゃうんですよね。

 

これはおとなげないとかいうのではなく、
そこに至る日々の生活での溜まった思いがあったりで。

しかも夫は「ありがとう」と言うようなことを特段していなかったり、
それが帳消し以上になるようなことをやらかしていたり。

ましてやそれでも私にできる最大限の「ありがとう」を
シャワーのように浴びせていたとて!言ってくるので、

私は安全装置を作動させて、思考スイッチを切っちゃうんです。

 

 

あなたには頼まずに私がやります
 ↓
私がやること増える
 ↓
じゃあせめてアクシデントは起こさないで
 ↓
言ったそばから何かしら起きる
 ↓
さらに私がやること増える

 

 

これぞ、カサンドラ・・・!(ヨッ!!)

 

 

結局「やれることはやってよ」にいつも帰結する私。

そこで、「ありがとうクレクレ攻撃」に、有効かつ平和的な「必殺技」を編み出しました。

 

※実行する前には、各々の家庭に合わせてカスタマイズ、想定問答のご用意をおすすめします。

 

 

必殺!「教えを請う」!


これは「ありがとうが足りない問題」に限らず、相手からの理不尽な要求について使えるかと思います。
ここでは我が家で頻出の2つの例を挙げたいと思います。


(1)「ありがとうクレクレ攻撃」への対応


分担だったり、お願いした家事をやってくれない時。

 

 

ありがとうが足りなくて頑張れない・・・

 

 

(以下、ミミー回答)

私にはありがとうって言ってくれてる?
私は「ありがとう」を言ってもらうためにやってるんじゃないからいいけど、
あなたに「ありがとう」を言われなくても、それでも、
あなたがやってくれてることに気付くたびに最大限のありがとうを大袈裟に伝えてるよ。

あなたが求める「ありがとう」が、私には分からない
私は、私が言われたら一番うれしい「ありがとう」を言ってるもの。

だから、あなたがほしい「ありがとう」を、私に言ってもらえる
そしたら、「あーーなるほど!これは嬉しい!」って実感して、その通りに私も返すから!

そしたら、二人とも幸せだよね

 


実際、ありがとうの言い方云々じゃないので、夫は困ります。

 

そして次に私に「ありがとう」と言ってくれた時、

 

それがあなたが一番うれしい「ありがとう」なんだね。
なんだーーそういう言い方だったのか!
察しが悪くてごめんね。

「(真似をしながらありがとう

これで、いい?

 


と、相手に請うた教えを最大限、尊重します

 

 

この時、絶対に嫌味ったらしく言っちゃダメです

「えーーそうだったのか!今まで気付かなくてごめんね!」

と、あくまで明るく、すこし申し訳なさそうに言います

 

(ちなみに夫はいつも小さな声で、敬礼みたいなことしながら言ってきます・・・。笑)

 

そしてもちろんこのやり取りも、定期的にやってます。(当然)

でもその度に「教えを請う」と、おそらく実のない無茶なことを言っていると夫自身が自覚して、クレクレ連発していたのが次第に言わなくなってきています。

 

(2)「もっと尊敬してくれ攻撃」への対応


これはありがとうクレクレの進化系になるのですが、

何もない時ならまだしも、これを言うのはいつも決まって、
トラブルが起きた時とか、夫が暴言を吐いた後など、
夫が、今起きていることを処理できずに自己否定でネガティブになっている上に、
私もげんなりしている時に投げかけてきます。

(タイミングの悪さが、秀逸。)

 

もっと俺のこと尊敬してほしい・・・!

 

 

(以下、ミミー回答)

尊敬してと言われてできたらいいんだけど、
あなたも◯◯さんからそう言われたら(←嫌なことを言ってくる夫の苦手な先輩)、
「え?なんで?ちょっと無理…」ってなるでしょう?
尊敬してほしかったら、尊敬できることして下さいよ〜!って思うでしょう?

私だってあなたのことを尊敬したい!
元々、とても尊敬していたよ一番だと思ったから結婚したよ
でも、私にはどんな言動してもいいと思っているのはあなたじゃない

外では絶対にしないような言動、私にはしちゃってるよね?
私はあなたを産んだわけじゃないし、そもそも他人なんだから、
他人が思うのと同じようにあなたの言動に対して思い、感じるんだよ。

私があなたの尊敬してほしいところを分かってないのであれば、本当に申し訳ない
気が回らない人間なのごめんなさい
だから、どこを評価して尊敬してほしいと思っているのか教えてもらっていい
そしたらこれからは、もっと意識するようにするから!
私も、もっとあなたのことを分かって尊敬したい

 


これを言うと、夫は何も言わなくなります・・・

 

そして、得意の質問返しで

逆に、俺の尊敬してるところを教えてほしい

と言ってきます。

 

ここで、私は何も言いません。

私に尊敬してほしいと思っているところを、教えて

この一点張りです。

 

夫は、自分が人からよく思われたいというのは外モードでしか発動しないので、
自分がこうありたい、こうあるべきという振る舞いを家ではしないんです。

 

だから、夫が何も言えないでいると、

もしかして、私から尊敬されることをあなたが放棄しているんじゃない?

と、聞いてみます。

 

そ、そうかもしれない・・・!

夫は頭を抱えて、そのままうーんうーんと考え始めることもあります。

 

もし何か答えが返ってきた時は・・・

例えば、

「俺は、自分はとても素直で正直なのが長所だと思う」

と申し出があれば、

 

そう!それが私が尊敬してるし好きなところなんだよ
だから、そのいいところは大切にしてほしい

 

と返せば、その部分を伸ばそうと、家でひねくれたりすることが
一時的であっても緩和されます。

(本当は外での評価と同じように、もっとかっこいい自分像を私の中にも求めているんだと思います。
でもさすがにそれは自分でも大矛盾を起こしていると分かっているのか、絶対言ってきません・・・)

 

 

夫も夫で、きっと頭の中がぐちゃぐちゃでどうしようもなかったり、
自信が持てなかったり はがゆかったりするから、
こんな元も子もないことを口にしちゃうのだと思うのですが。

 

私としては、そこまでの経緯が経緯なだけに、
「そんなこと言わせてごめん・・・」という気持ちになるどころか、
どの口が言うんや」と思って余計に具合が悪くなりそうなので、

 

一歩進んで、こちらが返事に困る気持ちを相手にお返しして、回答を求める
この「教えを請う」スタイルを常用しています。

 

そもそも、夫は能動的・論理的な思考が得意ではないため、毎回毎回、
「お前に無理難題を吹っかけられた」みたいな雰囲気になるのですが。。。

それも夫から言い始めた無理難題ではあるので、そこで私が心を病んで対応に悩むより、
ブーメランで夫にお返しして、自分で答えを導いてもらおうという策です。

 

ちなみに、「ありがとうが足りない問題」と相性の良い、「夫が家事ができない問題」についてはこちらもぜひご参照ください。

suzuyama-mimi.hatenablog.com

 

合わせ技も有効です。
ちなみに我が家では、家事は拍車をかけてやってくれるようになっています・・・!

 

あと今回の文章、こうした話し合いをこれまでに何回もしているような書き方で、中にはもしかしたら違和感を持つ方がいらっしゃるかもしれませんが、

次の日にはこんな話し合いの内容も忘れちゃうので、これまでにもそしてこれからも、何回も無限で続くやりとりなのです。
(イエス!ザッツ・カサンドラ!)

 

こうした無限に繰り返されるコミュニケーションへの有効な改善策についても、現在、我が家で実践中なので、もう少ししたら綴りたいと思います。

 

カサンドラの皆さま、本日もお疲れさまでした。
ご一緒している気分で、甘いものを食べて自分を癒します。
(最近、食べ過ぎ。)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!